【千葉日報】111119=里見氏城跡を国指定
里見氏城跡を国史跡指定
館山稲村、南房総岡本、県内27件に
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国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、館山市稲の稲村城跡と、南房総市富浦町の岡本城跡をセットで「里見氏城跡」として国史跡に指定するよう中川正春文部科学大臣に答申した。いずれも房総里見氏が戦国時代に築いた居城跡で、当時の地形を良好に残し、房総半島における中世山城の変遷や、当時の地域社会、政治情勢を知る上で重要と評価された。城跡は現在、ほとんどが山林で個人所有。今後、地元市が公有化を進め、保存・活用方法、整備方針などを検討する。県内の国指定史跡は27件となる。
房総里見氏は戦国時代から江戸時代初頭にかけて10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした戦国大名。初代の里見義実(よしざね)が15世紀後半に白浜城(現在の南房総市)を構えて以降、南房地域で数回にわたって本城を移している。
稲村城は現在の館山市内陸部の丘陵に築城され、3代義通(よしみち)が16世紀前半に居城とした。県教委文化財課によると、城跡は東西、南北ともに約500メートルにおよび、面積約1万8千平方メートル。中心部「主郭」の東、南側には高さ約3メートルの土塁跡が計約100メートル残る。敵からの侵攻を防ぐため丘陵斜面を削った切岸(きりぎし)、尾根を切断した切通しの跡もある。
岡本城は、現在の南房総市の東京湾を望む丘陵に16世紀後半、8代義頼(よしより)が築いた。指定史跡は東西600メートル、南北300メートルで、面積は約7万6千平方メートル「主郭」周辺には2段にわたって計約700メートルの切岸跡が見つかっている。主郭北西側の「三の郭」は、汐入川を通じて海につながり、船が発着する港の機能を備えていたとされる。
同課は「稲村城、岡本城ともに、当時の房総地域では突出して大きな規模で里見氏の勢力の大きさを示している」としている。
地元観光資源と期待
史跡の本格整備目指す
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戦国武将の里見氏の居城だった稲村城(館山市稲)と岡本城(南房総市富浦町豊岡)=市指定史跡=の城跡が一躍、国の史跡指定を受けることになった。国指定にふさわしい史跡整備に向けた取り組みが始まる。
山城の稲村城は国府が置かれた府中を見下ろし、麓に交通路(現国道128号)が東西に延びる。白浜城から北へ勢力を伸ばした里見氏の、安房支配の戦略がうかがえる。4代義豊の1534(天文3)年、天文の内乱で傍流の義堯が勝利し居城が移った。前期里見氏から後期里見氏へ、転換点の舞台が稲村城だ。
国指定に、15年間にわたり保存運動を続けるNPO安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さん(60)は「里見の歴史を見直し、地域の歴史文化を地域みんなで大切にするきっかけになれば」と期待を寄せる。
稲村城跡は1983年の県教委の調査で成果が少なかったことや、土地所有者が複雑で史跡指定を果たせなかったという。一方で91年、後背地に県の工業団地計画が浮上。市は稲村城跡を通る進入路を計画した。愛沢さんらは96年に保存会を結成し、保護を訴えて最終的に1万超の署名を集め、市議会で請願が採択。市道路計画は変更となり、市も史跡保護にかじを切った。
国指定となったが、土地買収の同意はまだ65%。年に数回下草が刈られるだけで本格整備は当分先の話だが、愛沢さんは「長い取り組みを続けたい。市も文化遺産を生かすまちづくりをしてほしい」と単体でなく、安房・上総地域に20ヵ所以上点在する“里見城址群”の史跡化を目指す。
岡本城跡は富浦湾に面し、里見水軍の拠点だった。戦国末期、8代義頼が、上総を基盤とした弟の梅王丸の内乱を治めるなど、ここでも里見の歴史で重要局面を迎えた。
里見の城跡と知られ、74年に富浦町指定(現南房総市指定)となり、頂上部に碑が建つ「里見公園」として親しまれる。国指定に石井裕市長は「地域の重要な文化財として保存管理し、観光資源として地域振興を図りながら、後世に継承したい」と歓迎した。山のほとんどがビワ園。今後整備計画を立てていく。