101016日本共産党東村山後援会*砂山洋一さま
10月16〜17日の「2010年ゆかりを訪ねる旅『館山の戦跡に学ぶ』」に参加し、赤山地下壕、128高地「戦闘指揮所」「作戦室」、「従軍慰安婦の碑」、米占領軍本隊本土初上陸地などを訪ねた。
NPO法人「安房文化遺産フオーラム」の愛沢伸雄代表は、軍部がアジア太平洋戦争時に①首都東京を守る重要な戦略拠点としてさまざまな軍事施設を建設②戦争末期には米軍上陸を予想、本土決戦陣地・特攻基地を造成③真珠湾と地形が類似する特性に着目し特攻作戦の訓練場として活用した事実を軍部作成の諸資料を駆使して詳細に解説した。
愛沢氏は、自らの人生そのものを費やした「房総半島南端の地が果たした歴史的役割の解明」「戦争遺跡を『未来遺跡』に」との熱い思いを汗だくで語ったが、1945年7月17日のポツダム会談と翌日の杉山元参謀総長の動きの指摘はリアルタイムで観ている錯覚をもつほど緊迫した雰囲気を醸し出した。
講演は、「戦争と平和」と「地域づくり」をキーワードに富士見地域に存在した「少年通信兵舎」へと話が及び、私は「地域から平和への発信を」との問題提起に強く胸をうたれたが、有事立法成立など「戦争は周到に用意される」との指摘に改めて緊張感の維持の大切さを痛感させられた。
(後援会ニュース原稿より)