【房日寄稿】100313*高橋銑十郎=映画「いのちの山河」を観て

【寄稿】高橋銑十郎(館山白百合幼稚園長)

映画「いのちの山河」を観て

対話と実行 遅れていないか〜恵まれすぎた自然をどう生かすか

(房日寄稿200.3.13付)

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母の生まれ故郷は新潟県六日町(旧南魚沼郡五十沢村)、八海山の麓である。近年、雪の量は少なくなったというが、この冬は雪も多く、連日の雲天で太陽の暖かさから見離された毎日であるとの便りである。

映画「いのちの山河」を観て、敗戦直後、中国東北地方(旧満州)通化から引き揚げ、五十沢村立小学校に通った頃を思い出した。夏は素足で、冬は藁靴での通学であった。11月末から3月いっぱい雪に覆われて雪かき、雪降ろしに追われ、仕事らしいことは何も出来ない。藁草履を編むぐらいである。まさに熊の冬眠生活と同じ様なものである。

それに比べると真冬に水仙、菜の花が咲き、四季を通じ野の幸、海の幸に恵まれた南房州地方の平均寿命が高いのもむべなるかなである。

花木、菜花、しいたけ、ブルーベリーなど年間を通して南房州の産物として生産販売の気力さえあれば眠っている宝庫はまだある。

沿岸水産資源についても同様なのではないか。東京という大消費地を近くに有する有利さもある。

2月末に自らの不注意から風邪をこじらせ肺炎になり安房地域医療センターに1週間ほどお世話になった。ちょうど房日新聞では「看護・・・守ろう地域医療II」が連載されており、考えさせられることが多かった。

医療制度は各国の歴史・文化に影響されており、国家間の比較は困難であるが、北欧を含むヨーロッパ、アメリカに比べ、国民皆保険制度のもとでの日本の医療制度水準は決して低いものではないと思う。経済的に恵まれていなかった45年前の学生時代に肺結核の手術をし、また12年前にC型肝炎にかかったが、いずれも十分な治療を受けることができ幸せである。

昭和20年代の食料不足、栄養失調、絶対的窮乏化の傾向は現在は払拭されている。不足しているのは、対話を通して老若男女の豊富な経験と若き気力を結びつける実行力である。それこそが「豪雪、貧困、多病」の「いのちの山河」沢内村を生まれ変わらせたものである。

2009年のOECD(経済協力開発機構)の統計によると、アメリカの総医療費はGDPの16%と飛び抜けて高くなっているが、これは一部の富裕層に高度の医療が偏っているとしか思われない。OECDの平均は9%であり、日本は8%と平均以下である。それにもかかわらずアメリカの年間受診回数は3・8回、日本は15・8回、在院日数はアメリカ7・8日、日本33・8日である。

これらの数字から医療内容が直ちに比較考量されるわけではないが、一つの判断指標である。アメリカの医療制度は歴史的にカーネギー財団、ロックフェラー財団の影響が強く、現在でも病院、保険会社、製薬会社、医療材料会社など資本市場の利益団体の手中にあるといわれている。国家が医療に深くかかわっている日本を含めた他の国との大きな違いである。

現在、オバマ大統領が苦境に立って医療制度改革が後退しつつあるものも既得権益を守ろうとする保険会社、製薬会社等の抵抗にあったのではないかと思われる。

教育と医療は社会的共通資本として、社会にとって最も重要なものだ。市場の論理、一部の私的利益集団によって制度・内容が左右されてはならない。私たちの生活が平和的に発展持続する基盤となるのが教育と医療である。

南房州はあまりにも自然環境に恵まれている。批判を恐れずに極言すれば、為政者が無為無策であっても最低限の生活が確保されるといえなくもない。

豪雪、山間僻地等の劣悪な自然環境にありながら、住民と偽政者が対話の下に制度改善を推進している地域がある。

しかし、南房州はそれらの地域に比べると、遅れをとってきているのが現状かもしれない。それが準看護学校、看護専門学校の相次いでの閉校という現実となって表われてきている。

 

=房日新聞2010.3.13付=