090320立教大学立花隆ゼミ

総勢6名の参加で3月20日に行われた戦争遺跡見学での私の感想を報告します。

感想は人それぞれと思いますので、これはあくまで私の感想です。

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1.米占領軍本体初上陸地点

現地には看板も何もない。砂浜というよりもコンクリートで固められている。普通との違いは近くの陸地には自衛隊の施設があること。施設があって近寄れない部分もある。そもそも上陸地点が館山の海岸だったことは確かだが、さらに細かく指定しようとすると、推定が入ってくるようである。

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2.赤山地下壕

常時一般公開されている。見学者が入れる部分は、天井も高く、幅も広い。地下壕の立派さ(幅、高さ、掘り具合など)で、今まで見学した、松代、松本(里山辺)、浅川、の地下壕に対比すると、松代大本営予定地下壕に似ている。軍の機密性の高いものの格納基地、戦闘指揮所、野戦病院のような医療施設として実際に使われていたと推定されているが、この大きさならそれもありうることと納得させられる。今まで見た地下壕と違って、軍事施設の隣にある地下壕という特色が出ている。

壕の表面にはツルハシの跡がきれいに残っている。それも一部の部分ではなく、全面的に。ツルハシで地下壕を掘り進んだとすると、膨大な人手を要しただろうと推定される。しかしどのように作ったのか、期間を含めてほとんど分かっていない。

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3.戦闘機用掩体壕

敵の爆撃から戦闘機を守るため、斜面に造られた格納庫。屋根部分(コンクリート)には土が盛られ、草が生えているので、上空から見つけられにくい。住宅と畑が混ざったところに、一つだけ残されている。立ち入れないように周りに紐が貼ってあるだけで、看板等は一切出ていない。

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4.本土決戦抵抗地点128高地。戦闘指揮所、作戦室、地下壕

敵上陸を阻止することを目的に作られた設備。館山の海岸、基地を見下ろす、小高い山の中腹にある。遠くには三浦半島も見える。本土決戦を想定したときの最前線。

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5.「噫(ああ) 従軍慰安婦」の石碑。

なぜここにこのような石碑が立っているのかは複雑になるので省略。従軍慰安婦のことが世の中に明らかになり、考えられるようになった、そのトリガーになったものである。戦争の一つの重大な側面を考えるトリガーになる場所である。

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6.戦争遺跡見学をどのように生かすか。

今までの遺跡見学では、保存活動をやっている方の説明を聞きながらの見学だったが、今回は「自分たちだけで見に行く、だから事前に調べられることは調べていこう」とい言う設定だった。

私は時間軸に注目してみた。「占領軍本土初上陸」では、ポツダム宣言発表、同受諾、降伏文書調印、占領軍上陸、という流れに注目。その中に原爆投下が入ってくる。

館山海軍航空隊の設置から敗戦までの15年間という視点での歴史も意識される。丁度15年戦争と重なっている。このように時間軸を考えながら戦争遺跡を見学することも、学びの深化につながることだと感じた。

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7.戦争遺跡の説明活動をやってくださる方々の存在価値

今回はひょんなことから、見学の途中から館山の戦争遺跡の保存活動をやられている方の説明をいただくことができるようになり(その経緯は省略)、そのような説明を受けることのありがたさを実感した。前項で示したようなことも必要だが、それだけでは学べないことは沢山ある。可能な限り、専門家に説明いただくことが大事とつくづく思う。

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そのほか感じたことはたくさんありますが、とりあえずこれで終わりにします。

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立教・立花隆ゼミ「現代史のなかの自分史」blogより

※参考=立教立花組戦争遺跡研究班