090526八期の会*田島汀さま
今年度の私たちの旅行会の企画のなかで
フォーラムにめぐり合ったことの幸運を何より嬉しく思うことです。
そして、埋もれていく戦争の記憶、戦跡を、語り継ぎ、広く知らせる活動に
組織的に精力的に取り組んでおられることに深い感銘を覚えると同時に
感謝の気持ちをお伝えせずにはいられません。
過ぎ去った歴史上の事実を淡々と伝える皆様の活動が
戦争のおろかさを鮮やかに浮かび上がらせ、心に刻ませてくれます。
アメリカ軍の膨大な軍事力に対して、たった5機分の戦闘機の格納庫跡だとか
そんなばかばかしい戦争のあり方に当時の地元の人々が飲み込まれてしまったのは
やっぱり、流れに従わざるを得なかったのか
戦争は起こそうとする勢力が大きな流れにならないうちに、抵抗の意思を表明し
行動を起こさなければいけないのですね。
先の戦争での長野の社村の徴兵関係の資料が
当時の政府の焼却命令をすり抜け保存され続けて、多数発見され
公開されたというテレビニュースに接しました。
どこの町でも村でも行われていたであろう消されてしまったその事実が
志を保ったたった一人の役場の担当者によって、保持され続け、日の目を見たこと、
また、そのことによって、戦争にまつわるおぞましいとも言いたい行為の数々を
私たちが知ることができ、また、別の角度から、戦争の忌むべき面を思い知らされた
気持ちがします。
大戦の敗戦の前後で、あまりにも価値観が変ってしまったことで、
人々の道徳観というようなものが、壊されてしまったのではないかと
私は想像することがあります。
私はやっと物心がついたころなので、はっきりしたことは分かりませんが
もし、私が学徒動員などに駆り出された年代だったらと思うと
どうだっただろうと考えるのです。
やっぱり、日々の暮らしを立て直すことで、なんとかやり過ごしたのでしょうか
両親などのことを思い出すとそうだったかな・・・
ま、父親はその後レッドパージに遭ったりしていましたが。
それにしても、無知でいることは、無責任に通じると思うことです。