【東京】250820_つなぐ戦後80年 館山湾のウミホタル
<つなぐ 戦後80年>
鮮やか青い光に戦争の影 館山湾のウミホタル
子どもら動員し軍事利用採取
夏の夜の千葉県・館山湾に、「ブルーフレイム(青い炎)」が広がる−。吸い込まれそうな闇と化した海に囲まれた桟橋で、青く鮮やかに光るのは、ウミホタルだ。美しく、見ているだけでワクワクする光。しかし、戦時中は軍事利用のため、軍の命令を受けて子どもたちが採取した歴史があった。(山本哲正)
ウミホタルは、カニやミジンコと同じ甲殻類で体長約3ミリ。体内の発光性物質が水分などと反応し光る。
NPO法人たてやま・海辺の鑑定団の竹内聖一(しょういち)さん(60)の案内で、餌となる魚の切り身を入れた瓶で捕らえた。バケツに移してライトで照らしても、茶色っぽい粒のようにしか見えない。だが、網ですくうと所々が光り出した。竹内さんが「下から手を当てて刺激する…」と少しもむと、幻想的な青が広がった。「びっくりするぐらい光るでしょ」
ウミホタルは、波があまりなく、アマモの生えるような砂地を好む。以前は各地の湾に棲息したが、今は埋め立てなどが進んで生息地も限られているという。
地域史を研究するNPO法人安房文化遺産フォーラム共同代表の愛沢伸雄さん(73)は、戦時中、軍がこの生き物を利用しようとした歴史も調べてきた。夜間戦闘時に敵味方を識別する標識や、照明弾への活用が目指されたという。
愛沢さんは、県水産試験場職員で安房水産学校(現・県立館山総合高校)の教諭でもあった尾谷茂さんの論文「うみぼたる(海蛍)」を入手。そこに、「(同僚が)陸軍第八研究所の嘱託命令で『うみぼたる』採捕供出を命ぜられていたので、生徒動員採捕の手伝い」をしたと書かれている。
論文によると、採取は、竹ざおに臭気の強い魚の内臓を結わえ、海中に沈めた。ウミホタルが群がったころ合いを見て引き上げ、バケツの水に振り落とした。水洗いしてよく乾燥させ、発光性物質を活用しようとした。上手に乾燥させるには苦労したらしい。
また、動員された旧制安房中学校の生徒は「ウミホタルの採集は、中学校の1、2年生が通学区ごとに班を作って行(おこ)なった」「このカイミジンコの仲間の不運さは、夜、刺激によって海中で青白い不思議な光を出す、そのことを軍の研究員に知られてしまったことにある」と述懐している。
軍で実用化されたかは、不明だ。館山市やその周辺は、戦時中まで首都につながる東京湾防衛のために複数の砲台があり、住民らは情報統制を受けた。愛沢さんは、子どもたちがウミホタル採取に動員されたのも「戦前の軍事機密保護法のもとで極秘にされ、戦後も長く隠されていた。忘れてはならないことだ」と指摘する。
竹内さんは「『軍事利用』と、僕らの持つウミホタルのイメージとは、違う。(戦時中の)子どもたちはどんな気持ちで捕ったのだろう?」と思いをはせる。今、観察会では「ウミホタルの暮らす良好な環境を守ることは、海を守ることと同じ」と伝えている。「自然を守ることは平和でないとできない。自然を大切にすることへの共感を広げることで、平和な世界にしたい」と語った。
◆「心に生きる力あふれてくる」
哀史きっかけで誕生、合唱組曲 絵本作家・大門さんが作詞
軍事用採取の哀史を知った人々の輪から、2004年、合唱組曲「ウミホタル〜コスモブルーは平和の色〜」が生まれた。序章「夕日の海」に始まり、1〜6章と番外編から成る。
「なんて明るいのだろう なんて不思議な色だろう 心に光があふれてくる 心に生きる力があふれてくる」「すりつぶすのはかわいそう 家であかりにしたい 本が読みたいよ 光の中で暮らしたい」(3章「子どもたちの小さな戦争」)
05年の安房文化遺産フォーラム主催イベントでお披露目され、その後も館山などで複数回、歌われた。
この歌は、絵本作家で作詞家の大門(おおかど)高子さんが02年、訪れた館山でウミホタルを見て、「こんな美しい光でさえ戦争に勝つ手段として研究された」と知ったのをきっかけに作詞した。
大門さんから話を聞いた、県うたごえ協議会議長で市川・合唱団プリマベラ団長の塙治子さん(77)=市川市=も、館山に出かけてウミホタルを見た。「戦争のためにたくさんの子どもや大人たちが動員された。なんでも戦争に結び付ける愚かさ!」と衝撃を受けたという。
作曲について大門さんから相談を受けた塙さんは、作曲家の藤村記一郎さんを推薦した。藤村さんは、戦争で生き残った名古屋の動物園のゾウを見るため、全国から子どもたちが特別列車でやってきた逸話を基に作曲した合唱曲「ぞうれっしゃがやってきた」で知られる。大門さんと塙さんは共に、名古屋へ藤村さんを訪ねたという。
藤村さんも館山を訪れ、ウミホタル観察会に参加した。楽譜に「幻想的な美しさの虜(とりこ)になった」「ぼく自身がウミホタルの美しさとウミホタルにまつわる戦争中の歴史、そして館山という地に惹(ひ)かれて作り出した」と一文を寄せている。