【東京】250214_保里ますの顕彰 芳賀裕さん
<ひとキラリ>
歴史を知り 誇り持つ 顔見える地域づくりを
南房総の実業家 保里ますの顕彰を企画
・芳賀裕さん
千葉県南房総市岩糸の「ギャラリーMOMO」で資料展「安房女性烈伝 保里(ほり)ます 明治から日米を舞台に活躍した女性の物語り」が14日始まる。同市大井出身の実業家・保里ます(1868~1948年)の顕彰を企画したのが、「みねおかいきいき館」事務長の芳賀裕(はがゆたか)さん(72)だ。「地域の力強い歴史を知って誇りを持ち、顔の見える地域づくりを進めたい」と意欲を語る。(山本哲正)
いきいき館は、「日本酪農の発祥地」で知られる旧嶺岡牧(みねおかまき)にある。1988年創立で、地場産品の販売や、牧場の体験学習をサポートする地域活性化のための交流拠点。創業メンバーの高齢化を受け、芳賀さんは2019年、「地域の核となる施設をつぶしてはいけない」と仲間と共に事業を継いだ。
ますについて調べ始めたきっかけは、同館隣の酪農のさとで展示している、夫でイタリア系米国人ジョセフ・デネレーの写真だ。ますは20歳で単身渡米し17年間、米国で学び、デネレーと結婚。帰国後は大井で、後に東京でも牧場を開いた。優秀な乳牛の買い付けに渡米を繰り返した。日米開戦直前の1941年に米国に戻り、生涯を終えた。
地域の歴史を掘り下げる芳賀さんの視点は、大学時代に培われた。古代中央アジアの歴史を専攻し、シルクロードでの中国と少数民族の興亡を学んだ。現地で研究を希望するも文化大革命(66~76年)の余波で実現できなかったが、「庶民の視線で歴史を見直す」ことを続けている。
大井には91年、東京都品川区から移住。
チェルノブイリ原発事故(86年)後、茨城県東海村での原子力事故も想定し、都心での子育てに限界を感じたからという。エンジニアで、20年ほど前に独立し環境保全装置の製造・販売会社を設立した。
「現在の私は『アフター3・11のライフエンジニア』」。東日本大震災、東京電力福島第1原発事故を受け、地域の自主防災組織を立ち上げた。大災害時に自宅避難を支援できる地域防災の確立を目指している。「最大の防災は『顔の見える地域づくり』。地域の歴史を知り、誇りを持つことはその助けになる」
江戸で学んだますの父・保里昭平と、米国で学んだ長女のますは当時、酪農と東京進出に活路を見いだして動いた。時はたち現代、芳賀さんは「都市部は人口が密集し、災害時の避難の課題など既に限界を迎えている」と話す。「物事は秩序ある状態から無秩序な方向に進む」というエントロピー史観からの見方だ。
ひるがえって、中山間地に位置し、今も銀河や星雲を観察でき自然の恵みを得られる大井地区。「この可能性に満ちた地で、ますが今いたならば、住民たちと結び付いて力をつけ、何を仕掛けるか。持続可能な社会へ、皆さんと考えたい」
◆資料展は24日まで 22日に交流会も
資料展は24日までで各日正午~午後4時。入場無料。火-木曜休み。22日は午後1時半から調査報告&交流会があり、会場の広さの都合で見学しづらい場合もある。参加費千円。事前申し込みで、希望者が多ければ23日も開催可能。問い合わせは芳賀さん=電090(5415)0561=へ。