【房日寄稿】241107_四面石塔400年の案内
ハングル「四面石塔」400年・平和への祈り
~ コンサートと歴史シンポジウムのご案内
県立高校の世界史教諭として、地域の戦争遺跡や文化遺産を活用し、授業づくりに取り組んでいた私が、教育支援とまちづくりのNPOを設立して20年を迎えた。近年は、心臓病と頸椎の難病で療養中のためご心配をおかけしているが、長きにわたりNPO活動を理解し支援してくださった皆々様に、この場をお借りし改めて御礼を申し上げたい。
私がもっとも大切に扱ってきた地域教材の一つは、浄土宗大巌院にある「四面石塔」という千葉県指定有形文化財である。和風漢字・中国篆字・印度梵字・朝鮮ハングル旧字体で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。
今から30年前、図書室での調べ学習を中心に授業をおこなった。なぜ江戸初期の館山にハングルが刻まれた石塔があるのか?という疑問に対して、自主的に取り組み、探求学習の面白さを体験しながら、生徒らは歴史認識を変容させていった。彼らが書き上げたレポートは、今見ても新鮮な感動を与えてくれる。
この授業実践は広く注目していただき、2002年には館山で日韓歴史シンポジウムも開催された。NPO設立後もこの石塔をめぐり、日韓子ども交流やまちづくり視察を受け入れたり、私たちが韓国に招かれることもあった。国際視野を育む教材であると同時に、心の通い合うインバウンド観光を可能にする文化遺産でもある。
1624年建立の「四面石塔」は400年目を迎えるため、11月9日(土)に記念行事を計画している。10時から大巌院で見学会、10時半からステンドグラスの美しい本堂で李政美(イヂョンミ)さんのコンサート。14時から南総文化ホールで歴史シンポジウムを開催する。
シンポジウムは、房総石造物研究会会長の早川正司氏、里見氏研究会会長の滝川恒昭氏、大巌院副住職の石川達也氏、韓国在住の翻訳家の永渕明子氏にご登壇いただき、「四面石塔」の謎をさぐる。問合せ・申込みは090-6479-3498(池田)へ。
⇒ https://awa-ecom.jp/bunka-isan/15826/
建立の時代
豊臣秀吉は7年にわたる二度の朝鮮侵略で残虐な戦闘をおこない、数万の人びとを日本に連行している。秀吉の死により終戦となり、征夷大将軍となった徳川家康は、朝鮮との修好再開を希望した。いわゆる戦後処理である。江戸年間に12回の朝鮮通信使が交わされるが、初めの3回は「回答兼刷還使」という名目で被虜人送還がおこなわれた。
「四面石塔」には、大巌院開祖の雄誉霊巌上人が建てたこととその年月、山村茂兵なる者が逆修のために水向供養塔を寄進したことが刻まれている。雄誉は、千葉市の大巌寺3世で、安房国主里見義康の帰依を受け、館山市大網に大巌院を創建し、多くの僧侶を養成している。さらに徳川家康・秀忠・家光の厚い帰依と信頼を受け、浄土宗総本山知恩院32世を任命されて、大火後の復興と日本一の大梵鐘を鋳造している高僧である。
「四面石塔」が建立された年は、朝鮮侵略から三十三回忌にあたり、第3回目の回答兼刷還使がおこなわれている。山村茂兵が何者かは不明だが、全国で山村という地名や人名は朝鮮に関わる場合も多いことが分かった。仮に山村茂兵が朝鮮被虜人であるとしたら、自分は帰還を許されたが、犠牲となった同胞を慰霊し平和を祈るために、自らの逆修と供養塔の建立を雄誉上人に願い出たと想像することはできないだろうか。
江戸城築城の石材と霊巌島
徳が高いと評判になり、江戸に招かれることが増えた雄誉は、船着き場のある地を求め、茅場町(中央区新川)に近い葦原の湿地帯を埋め立てて、霊巌寺を創建した。造成地は霊巌島と呼ばれ、房州航路の湊となった。
幕府は10年かけて江戸城の築城工事をおこなっており、その多くは良質な伊豆石が用いられている。県教育委員会の文化財解説では、「四面石塔」は玄武岩と記されているが、石材の専門家からは伊豆石の安山岩である可能性が指摘されている。これを考慮すると、霊巌島経由で搬入した石材を扱った商人と雄誉が近しくなり、「四面石塔」の制作を依頼した可能性もあり得るのではないだろうか。伊東市史編纂の担当者に確認したところ、当時でも特別な発注があれば、伊豆で加工し、館山に直送することは可能だったという。
大巌院の朝鮮人来訪
雄誉の没後、弟子が著した伝記には、大巌院を訪れた朝鮮人について言及されている。本堂には、雄誉自筆の寺号扁額が掲示されており、朝鮮人がこの書をほめ、上人の事績を聞き、「現身の仏陀なりと感嘆」したという。正史では行程にないが、第3回目の通信使が日光へ梵鐘を搬送する際、一部の使節が海路で向かい、館山に立ち寄ったとすれば、重要な歴史といえる。これを裏付ける韓国側の史料発見が期待される。
館山の歴史文化遺産を活かして親交を深めれば、東アジアの善隣友好に寄与できるであろう。次世代に語り継ぎたい市民の誇りである。