【東京】230901_関東大震災100年~安房震災史
<関東大震災100年>
安房震災史 記された「地域の誇り」
朝鮮人も恐怖 十分の保護を
流言飛語打ち消し騒動回避
関東大震災(1923年)から1日で100年。現在の千葉県館山市では、ほとんどの家屋が倒壊や焼失で失われ、727人が亡くなる甚大な被害があった。「安房震災誌」(26年)には、東京などで朝鮮人虐殺が起きた一方、当時の行政トップらが住民に対して不穏なうわさを打ち消し、騒動を回避したことがつづられている。地域史を研究する人たちからは「地域の誇り」との声も上がる。(山本哲正)
「朝鮮人を恐るるは房州人の恥辱である。朝鮮人襲来など決してあるべきはずでない」「もし朝鮮人が郡内にいれば、さだめし恐怖しているに相違ない。よろしく十分の保護を加えられるべきである」といった意味の掲示が、安房郡(現在の館山市、南房総市)内の要所に出された。
震災から3年後の26年、安房郡役所が編さん、発行した震災誌には、そんな記載がある。震災で郡役所は全壊したが、雨露をしのぐ仮事務所で救援活動の司令塔となっていた。
震災誌によると、「朝鮮人が暴動を起こしている」との流言飛語が広がる東京の雰囲気が伝わってくる中で、郡内の一部でも朝鮮人からの防衛と称する夜警が始まった。被災者支援の手が足りなくなる恐れもあったため、当時の郡長らが「房州人の恥辱」「(朝鮮人に)保護を」との掲示を出した。「安房に忌まわしき『朝鮮人事件』の一つも起こらなかったのは、郡長の細心の用意があったため」と紹介されている。
館山市大網、大巌院(だいがんいん)には1624年造立でハングルも刻まれている「四面石塔」があるが、これも当時破壊されなかった。
石塔を研究するNPO法人安房文化遺産フォーラムの共同代表愛沢伸雄さんは「主に大正期に済州島からアワビ採取の出稼ぎに来る人々と交流があったことも、朝鮮の人々の気持ちを踏まえた対応の背景にあるのではないか」と話す。
館山市立博物館の学芸員山村恭子さんも「当時のことは誇っていい。ただ、災害時にこうした流言飛語が出てくることはある。今後も惑わされないよう気を付ける学びとしたい」と語った。