交流史年表
年表:南房総・モントレー民間交流史
年表 (▷は関連した動き、アメリカのできごとはアミかけで表示) | ||
西暦 | 和暦 | で き ご と |
1857 | 安政4 | 長崎、飽くの浦(あくのうら)造船所で泳汽鐘(釣り鐘器潜水器)を使用 |
1866 | 慶応2 | 増田万吉、横浜で機械式潜水により英国弾薬倉庫船「ナッソウ号」の船底を修理 |
1867 | 慶応3 | 安房郡根本村、小谷清三郎・たよの長男・源之助生まれる(1月) |
1872 | 明治5 | 安房郡根本村、小谷清三郎・たよの二男・仲治郎生まれる(7月) |
1878 | 明治11 | 増田万吉、根本村沖で器械式潜水によりアワビ漁試験を実施(4~7月)(この時の出資者の一人森惣右ヱ門の弟が、小谷清三郎) |
1880 | 明治13 | 増田万吉、東京赤羽工作分局で、器械式潜水を明治天皇に実演(6月) |
1882 | 明治15 | ▷ 中国人排斥法 |
1883 | 明治16 | 増田万吉、千葉県人・鈴木与助以下37人を真珠貝採取のため、日本政府の許可を得て豪州に2年間派遣(10月) |
1885 | 明治18 | ▷ 日本政府、ハワイへの契約移民(2月) |
1888 | 明治21 | 小谷仲治郎、佐野英語学校に3月まで在学 |
1889 | 明治22 | 関沢明清、大日本水産会水産伝習所長に任命 |
1890 | 明治23 | 関沢明清、農商務省農務局次長心得となる |
1891 | 明治24 | 小谷仲治郎、大日本水産会水産伝習所卒業(9月) |
1892 | 明治25 | 関沢明清、農商務省退官。館山で捕鯨他の漁労開始(8月) |
1893 | 明治26 | 小谷仲治郎、安房郡七浦村千田・平野みわと結婚(1月) |
1894 | 明治27 | ▷ 日露戦争 |
1895 | 明治28 | 野田音三郎、森林伐採・薪切りのためワッソンビルからモントレーに赴く |
1896 | 明治29 | 野田音三郎、採鮑業の有望性に着目、日本の農商務省に水産の専門家派遣を要請 |
1897 | 明治30 | 安房郡七浦村千田で大火(1月) |
小谷源之助、サンフランシスコに到着(9月) | ||
小谷仲治郎、3人の男あまとともに渡米(12月) | ||
小谷兄弟、ホエラーズ湾地域をカーメルランド&コール会社から借りて、干しアワビ製造開始 | ||
海水温が低いため、素潜りから器械式潜水に変更。3人の潜水夫渡米(9月) | ||
A.M.アレン、ホエラーズ湾地域をカーメルランド&コール会社から購入(64エーカー) | ||
1899 | 明治32 | 小谷源之助、新潟県佐渡・田中リンと結婚(9月) |
1900 | 明治33 | 安房郡七浦村千田・平磯からアワビ漁業者7人渡米(2月) |
小谷兄弟UCバークレー校の海洋生物学者によるケルプ、海洋生物調査に協力。小谷兄弟、ホエラーズ湾地域に糸杉の苗を植林し自然保護を行う。 | ||
1901 | 明治34 | 漁獲アワビの大きさ規制 |
小谷源之助、日本の一時帰国 | ||
1902 | 明治35 | 小谷兄弟、A.M.アレンと協働でポイント路ボス缶詰会社設立(同社の取扱量はカリフォルニア州アワビ市場の75%を占めた) |
増田万吉逝去(4月) | ||
小谷リン逝去(9月) | ||
小谷源之助、鴨川町横渚・田代ふくと結婚(12月) | ||
1903 | 明治36 | 小谷源之助、単身再渡米(3月) |
1904 | 明治37 | 小谷ふく、長男・英雄とともに渡米(8月) |
▷ 日露戦争 | ||
1905 | 明治38 | ▷「サンフランシスコ・クロニクル」紙で反日キャンペーン(2月) |
▷「アジア人排斥同盟」サンフランシスコで結成(5月) | ||
1906 | 明治39 | ▷ サンフランシスコ地震(4月) |
安房郡七浦村千田からアワビ漁業者1人渡米(11月) | ||
小谷仲治郎、日本に帰国 潜水士の渡米を援助 | ||
1907 | 明治40 | 安房郡七浦村千田からアワビ漁業者1人渡米(2月) |
▷ 日本人のハワイ等からの転航移民禁止(2月) | ||
1908 | 明治41 | ▷ 日米紳士協約で日本人移民を制限(3月) |
1909 | 明治42 | 漁獲アワビの大きさ規制強化 |
1913 | 大正2 | 小谷仲治郎、千田漁業組合長に就任 |
▷ カリフォルニア州議会で外国人土地所有禁止法(8月) | ||
スライス加工のアワビ商品化 | ||
1914 | 大正3 | ▷ 第一次世界大戦 |
1915 | 大正4 | 干しアワビ製造禁止 |
1917 | 大正6 | カリフォルニア州内のアワビ缶詰工場数は5工場 |
アワビ調理人、ポップ・アーネスト、サンフランシスコからポイントロボスに移る | ||
1919 | 大正8 | 朝日新聞「海の底へ」連載(千田港での器械式潜水体験)。小谷仲治郎について流ちょうな英語を話す人物と紹介(7月) |
1920 | 大正9 | ▷ 写真花嫁への旅券不交付(2月) |
カリフォルニア州議会で外国人新土地法(12月) | ||
1922 | 大正11 | 小谷仲治郎、七浦小学校の学務委員就任(12月) |
1923 | 大正12 | 関東大震災(9月) |
1924 | 大正13 | 「オーシャンクイーン号」購入 |
▷ アメリカ議会で排日移民法(5月) | ||
1925 | 大正14 | ポイントロボスに朝香宮夫妻訪問(11月) |
1927 | 昭和2 | ▷ 親善人形使節「青い目の人形」(約12,000体)横浜港に到着(1月) |
1929 | 昭和4 | ▷ 株価の大暴落で世界恐慌(10月) |
1930 | 昭和5 | A.M.アレン逝去 |
千倉町千田・長性寺で、A.M.アレンの追悼法要(4月) | ||
小谷源之助逝去(7月) | ||
千倉町千田・長性寺で、小谷源之助の追悼法要(8月) | ||
1931 | 昭和6 | ポイントロボスに高松宮夫妻が新婚旅行で訪問(5月) |
ポイントロボス・ゲストハウスに竹久夢二滞在(8~11月) | ||
尾﨑行雄、娘2人とともにポイントロボス訪問(9月) | ||
ポイントロボス缶詰会社閉鎖 | ||
1933 | 昭和8 | 小谷仲治郎、安房郡水産会長就任(4月) |
1934 | 昭和9 | ポイントロボスに倉松画伯滞在(9月) |
1941 | 昭和16 | ▷ 太平洋戦争 |
1942 | 昭和17 | ▷ 大統領行政命令9066号 日系人の強制立ち退き(2月) |
小谷ふく、省三、高橋源之助らアリゾナ州ボストン強制収容所に収容(5月) | ||
1943 | 昭和18 | 小谷仲治郎逝去(4月) |
七浦国民学校で小谷仲治郎の安房郡水産会・千田漁業組合合同葬(4月) | ||
1952 | 昭和27 | 小谷ふく逝去(1月) |
▷ 日系人への帰化権許可(6月) | ||
1964 | 昭和39 | カリフォルニア州水産局技師・キース・コックが平野まつ宅訪問(12月)。平野まつは小谷仲治郎の長男・義雄の妻 |
1988 | 昭和63 | ▷ レーガン大統領、日系人強制収容に関し公式に謝罪(8月) |
1994 | 平成6 | ポイントロボスで記念式典、コダニビレッジと命名(8月) |
2005 | 平成17 | 館山市・南総文化ホールで「虹のかけ橋~ウミホタルとアワビが結ぶ日米交流」開催(9月) |
モントレー・マリタイムミュージアムで「アワビが結ぶ日米交流」イベント開催(11月) | ||
2006 | 平成18 | シンポジウム「The Abalone Connection – Celebrating the Shimmering Bridge Between the Monterey Bay Region and Minamiboso, Japan -」 |
2022 | 令和4 | 日米オンライン調査報告会(2月) |
2023 | 令和5 | 米国モントレーのJACL(日系アメリカ人市民同盟)にて日米交流(8月) |