お知らせ

記念碑の草刈り

保存会では、夏草が伸びる前に、

「海の幸」記念碑の草刈りをしました。

御苦労様でした。

【房日】100416=原寸大の青木繁「海の幸」安房西高にブロンズレリーフ

■原寸大の青木繁「海の幸」

安房西高にブロンズレリーフ

講師の船田正廣さん制作

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館山市の安房西高等学校(熊沢彰校長)に、明治期の画家・青木繁の代表作「海の幸」を原寸大の彫刻にしたブロンズレリーフがこのほどお目見えし、校舎1階の「校内ギャラリー」に飾られた。

2001年から教壇に立つ美術教師、船田正廣氏(72)が制作した「石膏原型」を、同校が約180万円をかけてブロンズに鋳造した。

「海の幸」は1904(明治37)年に制作されたが、同校も翌年の創立で、ほぞ同じ歴史を刻んできた。

熊沢校長は「青木が『海の幸』を描いた館山布良の小谷家住宅の保存運動があることを知り、感じるものがあった。船田さんの作品を校内に残したいという思いもあった。レリーフを通じ、生徒らが郷土の歴史・文化に誇りをもってくれれば」と話している。

船田さんは東京芸術大学彫刻科を卒業。安房南高、安房高で長く美術を教え、定年後ほどなくして安房西高に。「与えられた美術の準備室で、房州に来てからいつも気になっていた『海の幸』(の写真)と長時間向き合うことができた」という。

その中で、青木繁は彫刻家以上に彫刻的な絵を描く画家だとの結論に達し、「この絵から必ず彫刻が生まれる」と確信。原型のサイズ(縦70.2センチ、横182センチ)で「彼の感動に迫ってみよう」と、レリーフ制作を決意した。何度か行き詰まりながらも丸三年の年月をかけ、2004年に完成させた。

重さ約110キロもあるというブロンズ・レリーフには重厚感があり、迫力も十分。原画の持つ力強さを余すことなく表現している。

船田さんは「青木繁と館山の結びつき、『海の幸』の美術史上の重要性を理解していただき、熊沢校長に感謝している。自作がブロンズで残るのは至福な気持ちだ」と話している。

(房日新聞2010.4.16付)

レシピ集「おらがごっつお富崎」

平成22年4月1日

富崎地区のみなさんへ

富崎地区コミュニティ委員会会長 磯部 勲

青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会

会長 嶋田博信

(富崎地区連合区長会長)

皆さんも房日新聞などでご存じかと思いますが、日本を代表する画家・青木繁が明治時代に滞在した布良の小谷家住宅が、昨年秋に館山市の指定文化財になりました。一般住宅としては館山市内で初めてのことであり、富崎地区にとってたいへん喜ばしいことであったと思います。

青木繁の代表作となった名画《海の幸》は、多くの画家に影響を与え、戦後になってから、日本で初めて国の重要文化財となった洋画です。また、阿由戸の浜にある《海の幸》記念碑は、今から50年前に富崎出身だった田村利男市長が発起人になり「青木繁没後50年」を記念して建てたものです。全国には《海の幸》の愛好家が多く、青木繁ゆかりの地である富崎地区を訪れる方々があとを絶ちません。

そこで富崎地区コミュニティ委員会では、館山市内の方々や全国の著名な美術関係者に呼びかけて、「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」を立ち上げて活動してきました。同じ願いをもつ全国の美術関係者からも、将来は青木繁《海の幸》記念館として修繕のための基金を集めようという運動が起こっています。「青木繁没後100年」という記念すべき節目にあたる来年に向けて、富崎地区でも一緒に取り組んでいきたいと思っています。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。

なお、保存する会の事務局を担っているNPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表)では、富崎地区の活性化のために国土交通省のモデル事業「漁村が誇る3つの〝あ〟のまちづくり」に取り組んできました。その一環として、昨年9月に配布された富崎地区のイラストガイドマップがありましたが、今回さらにレシピ集『おらがごっつお富崎』と「保存する会」の案内チラシを作成し、富崎地区の全世帯に寄贈していただきました。

少子高齢化の進んでいる富崎地区ですが、NPOや全国の美術家たちが活性化の応援をしてくれることは、たいへんありがたいことです。これを励みに、コミュニティの活動も活発にしていきたいと思っています。4月24日(土)には、青木繁ゆかりの富崎地区を歩くイベントを企画します。この機会に、ふるさと富崎の再発見をしてみてはいかがでしょうか。地区の皆さんのご参加を願っています。

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レシピ集「おらがごっつお」の内容はコチラ

「新たな公」http://bunka-isan.awa.jp/AAA/に収録。

(房日新聞2010.4.1付)