福田たね画 芳賀町総合情報館蔵
15.円光寺
《海の幸》制作の翌1905(明治38)年、青木繁は懐妊中の福田たねとともに身を寄せた無住の寺院。
滞在中、板戸4枚に焼き釘で平砂浦の荒波『海景』を描いた。右端には富士山見える。大正期に九州の医師が購入したといわれるが、現在は久留米市立美術館が所蔵。
円光寺には、江戸期の彫り師「波の伊八」が制作した欄間彫刻『龍と波』が現存する。青木の板戸『海景』と構図が酷似することから、イメージソースになった可能性が推察される。
《海の幸》制作の翌1905(明治38)年、青木繁は懐妊中の福田たねとともに身を寄せた無住の寺院。
滞在中、板戸4枚に焼き釘で平砂浦の荒波『海景』を描いた。右端には富士山見える。大正期に九州の医師が購入したといわれるが、現在は久留米市立美術館が所蔵。
円光寺には、江戸期の彫り師「波の伊八」が制作した欄間彫刻『龍と波』が現存する。青木の板戸『海景』と構図が酷似することから、イメージソースになった可能性が推察される。