慣れ親しんだ木更津のまちを歩いて

(千葉県歴史教育者協議会:秋の見学会に参加して)
印刷用PDF(松井レポート)

NPO法人安房文化遺産フォーラム 松井啓悟

天候に恵まれた文化の日に、千葉県歴教協2022年秋の見学会に参加しました。「木更津船からオスプレイまで-商都から軍都へ、木更津の歴史をたどる」というテーマで、綿密なスケジュールに内容の濃い資料、とてもわかりやすい解説でした。私はNPO法人安房文化遺産フォーラムに所属し、休日には館山海軍航空隊赤山地下壕などの戦跡ガイドをしていますので、たいへん勉強になりました。

また、今は廃業しましたが、私はかつて館山駅前に本店をもつ老舗書店の四代目で、木更津駅前にも1973年から支店を設け、木更津の文化発展に寄与させていただきました。幼少期からよく訪れ、慣れ親しんだ木更津の歴史が学べるということで楽しみに参加しました。

 

午前は木更津駅西口から海沿いにある中の島大橋まで歩いて「商都」の成り立ちを学び、木更津船により町が発展してきたことや、港湾開発の流れを知ることができました。アクアラインがまだない頃、私は朝4時起きで父に同行し、木更津店で商品の積み下ろしをしてから6時発のフェリーに乗り、船上から中の島大橋をよく見上げたものです。川崎から東京の飯田橋支店で荷下ろしをし、神田、浅草、蔵前を回って仕入れをした後、日本橋で買い物をして木更津店まで戻り、仕入れ荷を下ろして館山への帰路についていました。商売を通じて深く関わった木更津や東京の歴史が繋がり、とても興味深かったです。

特に印象深かったのは、木更津駅の場所が処刑場跡地であり、建設時に人骨が出てきたということでした。その慰霊のために観音祭りが毎年開催されていると聞き、幼少期から店頭で見ていた観音祭りの意味が理解できました。

明治時代には木更津と東京間で蒸気船が運航されており、経済人や政治家、文人等多くの都会人が鹿野山に訪れていたこと、浮世絵で見ていた船が木更津船であることなども初めて知りました。江戸時代には日本橋の一等地に権利を有し、「木更津河岸」として船を横付けしていたこともわかりました。

 

午後は、路線バスで陸上自衛隊木更津駐屯地まで移動し、オスプレイと基地および周辺施設などを見学し、「軍都」木更津の成り立ちと歴史について学びました。鉄道が開通するまでは海上交通で成り立ち、海軍航空隊基地が開隊されて軍都となったことなど、館山と共通点が多いようです。

私の家業は安房北條駅(現館山駅)前で商売をしていたので、兵隊さんが来店したとか、兵書を販売していたとか、店の地下に防空壕があったとか、祖母の生前にはいろいろと聞かされました。なかには「明日特攻に行くから店の上空で旋回する」と言われ、ベランダから「主婦の友」の旗を振って見送ったこともあったそうです。近所の方が米軍機に掃射されてお尻を撃たれたのを店の物陰から見たという話もありました。

オスプレイについては、館山基地にも何度か飛来しており私も目撃しましたが、飛行音が普段聞きなれたヘリコプターの音とは明らかに違います。以前、木更津駐屯地が現在も米軍の管理下であると聞いて驚きましたが、オスプレイが木更津基地に暫定配備され、今後も恒常的に訓練や整備が行われ、整備格納庫も増設し、南総一帯が訓練地域になることが改めて分かりました。

戦跡については、第二海軍航空廠巌根工場(現・航空自衛隊第1補給処)と、「中攻(中型陸上攻撃機)」を手押しで運んだ通称「海軍道路」(現四車線)の存在が新たな発見でした。戦争拡大で巌根工場が手狭になり、君津の八重原工場が建設されたこともわかりました。巌根に軍需工場があったことや、館山の安房高等女学校の生徒が八重原工場に動員されたことなどを文献で見たことがあったので、いろいろと繋がりました。

防火用水跡で、海軍の印が入った消火栓の蓋を見学した時に、同じものが赤山地下壕の入り口にあるよと同行したNPOメンバーから聞いたので、後日、実際に見に行ったら確認できました。

「海軍道路」周辺には、「中攻」用の無蓋掩体壕がいくつもあったと説明がありました。館山では現在残っている有蓋掩体壕1基を平和学習でガイドしていますが、戦争初期には無蓋掩体壕も多く存在していたと聞いています。

また、第二海軍航空廠の開庁により急激な人口増加と環境整備のため、近隣町村との合併機運が高まり1942年に木更津市となったそうです。ちょうど見学会が行われた11月3日は、鳥居崎海浜公園で市制80周年のイベントが行われていました。

普段は通過するだけで見過ごしてしまうような景色ですが、詳しい解説と資料により自分の足で一日歩いてみて、木更津の歴史や地理について見識を広げることができました。館山市との繋がりや新たな発見や気づきもあり、いろいろと身近に感じることができました。どうもありがとうございました。