文化遺産を活かした「館山まるごと博物館」〜漁村が誇る3つの〝あ〟=『自然学校事例集

文化遺産を活かした「館山まるごと博物館」

漁村が誇る3つの〝あ〟(青木繁・安房節・アジの開き)のまちづくり

愛沢伸雄(NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)

千葉自然学校『事例集』

 

1.エコミュージアム運動

1971年、フランスにおいて提唱された「エコミュージアム」の概念は、地域全体をまるごと博物館に見立てて、魅力的な自然遺産や文化遺産を再発見するととともに、市民の学習・研究・展示や保全活動を通じて、地域づくりを進めていくという考え方である。地域像をよく理解したうえで、市民が主体的に活動に参画することによって、地域社会は発展していくだろうと強調されている。

千葉県南部の安房地域では、破壊や荒廃の危機にあった戦争遺跡や中世城跡などを保存し、まちづくりに活かそうという市民運動が1990年代から高まっていった。その結果、大房岬にある幕末の台場や東京湾要塞の砲台跡は2002年に南房総市指定史跡となり、館山海軍航空隊赤山地下壕跡は2004年に整備・公開され、翌年に館山市指定史跡となった。これに伴い、館山市は戦争遺跡を平和学習の拠点とし、まちづくりの目標像を「オープンエアーミュージアム・館山歴史公園都市」と位置づけた。里見氏稲村城跡は17年にわたる市民運動が実り、2012年に里見氏城郭群として稲村城跡と岡本城跡が国史跡に指定された。過疎の進む漁村集落では、青木繁『海の幸』誕生の家・小谷家住宅が2009年に館山市指定文化財となり、地域の人びとと全国の画家が力を合わせて修復・公開を目ざしている。

こうして市民の文化財保存運動は、点から線につながって面に広がっていった。「館山まるごと博物館」活動では、平和人権研修やまちづくり視察などのスタディツアーガイドや講演をはじめ、ガイドブックの発行などをおこなっている。埋もれていた歴史文化は市民の調査研究によって掘りおこされ、魅力的な地域資源はさらに磨きがかけられていった。このような取り組みが注目され、「戦後70年」にあたる2015年は、第19回戦争遺跡保存全国シンポジウム館山大会が開催される。

 

2.安房の地域像

日本列島の中央部で太平洋に突き出ている房総半島南部は、環太平洋造山帯に位置する地震多発地帯である。館山は日本で一番隆起しているといわれ、海岸段丘や海食洞穴をはじめ、内陸部に縄文のサンゴ地層や200万年前の海底地すべり地層などが見られる。関東大震災では99%壊滅しているが、住民自ら安房震災復興会を組織し力を合わせて取り組んでいる。

温暖な房総沖では黒潮と親潮が流れ、豊かな生態系に恵まれている。古くからマグロ漁やアワビ・海藻などの磯根漁業などが盛んであり、果樹栽培や花づくりなどの農業も工夫されてきた。豊かな教育や文化を継承してきた歴史があり、資生堂創業者の福原有信や世界的な歯車博士の成瀬政男など、大きな業績をのこした科学者や企業人も輩出している。東京から航路が開かれた明治期以降は、転地療養や保養地として知られ、多くの文人墨客や経済人などが訪れている。豊かな海洋文化を営みながら、アジア太平洋世界の人びとと助け合い、交流を育んできた先人の姿を見ることができる。

その一方で、東京湾口部に位置するため、軍事戦略上でも中央政権が重視した要衝の地であった。館山海軍航空隊や館山海軍砲術学校、洲ノ埼海軍航空隊などが置かれ、戦争末期には本土決戦が想定されて多くの陣地や特攻基地が作られた。敗戦直後にはアメリカ占領軍が上陸し、本土唯一「4日間」の直接軍政が敷かれている。館山にのこる戦争遺跡は、近現代日本の歩みを知るうえで貴重なものが多い。

こうした歴史的環境から、先人たちが培った〝平和・交流・共生〟の精神が読み取れる。この地域像を「館山まるごと博物館」の理念として、人びとが支え合う持続可能な地域社会づくりを目ざしている。

 

3.漁村が誇る3つの〝あ〟のまちづくり

なかでも、漁村集落の富崎地区(布良・相浜)の取り組みは、特に注目されている。ここは神話のふるさとであり、かつてマグロ延縄船漁発祥の地として繁栄していた。布良瀬は豊かな漁礁であるが、鬼ヶ瀬と呼ばれるほどの難所であり、海難事故が絶えなかった。漁師たちは冬の厳しい漁撈に耐え家族を思い、舟歌『安房節』を唄って励まし合ったという。冬になると南の水平線上に赤く輝く星は「布良星」(学名カノープス)と呼ばれ、亡くなった漁師の魂と伝承されてきた。

しかし近年では水産業の衰退に伴い、少子高齢過疎が深刻になっている。青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会は、富崎地区コミュニティ委員会が中心となり、NPO法人安房文化遺産フォーラムが事務局を担い、2008年に組織された。館山市立富崎小学校では、「青木繁・安房節・アジの開き」の頭文字を取って、3つの〝あ〟のふるさと学習を実践してきたが、2012年春に統廃合のため休校となってしまった。「青木繁の〝あ〟」は文化遺産の保存、「安房節の〝あ〟」は漁村の歴史と生活文化、「アジの開き」の〝あ〟は伝統的な食文化を象徴し、3つの〝あ〟のまちづくりとして市民活動に継承されている。

1904年に青木繁が滞在した小谷家住宅は、地域活性化に賛同した当主の厚意により館山市指定文化財となったが、個人住宅のためその維持管理費は所有者負担とされている。西洋画で日本最初の重要文化財となった『海の幸』誕生の布良は、画壇の聖地として憧憬されており、青木繁を敬愛する著名な画家や美術関係者は、小谷家住宅を保存するためにNPO法人青木繁「海の幸」会を設立した。募金とともに、チャリティで青木繁「海の幸」オマージュ展を全国巡回で開催し、保存基金を創出している。行政機関との連携により、館山市ふるさと納税では「小谷家住宅の保存・活用に関する事業」を指定して税控除対象の寄付を可能にし、3年間で約1,000万円が集められた。『海の幸』を所蔵する石橋財団からも800万円の助成が寄せられた。小谷家当主・保存する会・「海の幸」会・館山市教育委員会は四者協議会を重ね、当主の居住部は敷地内の物置を増改築し、母屋(文化財部分)は修復を施工して、2016年春に一般公開の予定となった。しかし修復基金はまだ目標額の約半分と未だ充足しておらずに達してしないので、今なお募金の協力を呼びかけている。

この活動の経緯において、小谷家住宅から明治期の貴重な書画や書簡などが発見された。千葉県歴史教育者協議会の協力を得て調査したところ、近代日本の水産業発展において重要な漁村であったことが明らかになってきた。また、NPO法人全国生涯学習まちづくり協会との共催でヘリテージまちづくり講座などを実施した。

このような交流が実り、過疎化の進んだ漁村にスケッチツアーやまちづくり視察が国内外から来訪し、少しずつ賑わいが蘇ってきている。布良崎神社では、1トンの神輿を担いで海に入る荘厳な神事がヒントになって『海の幸』の構図が生まれたのではないかと、氏子たちがガイドとなって誇らしげに語る。主婦メンバーは伝統的な漁村料理のレシピ集『おらがごっつお(我が家のご馳走)富崎』を作成し、手づくりのトコロテンをもてなしている。老人会では『安房節』を歌い踊り、伝統文化を継承している。

ほかにも館山美術会や福岡県の青木繁旧居保存会・在首都圏関係者の「くるめつつじ会」など、連携は広範にわたり、まちづくりの先駆的事例として「ちばコラボ大賞(千葉県知事賞)」を授与された。地域の歴史文化を学ぶことで誇りを育み、市民一人ひとりが生き生きとまちづくりに参画している。人の輝きが地域の輝きとなり、未来への希望と可能性を創造しているといえよう。