安房の歴史・文化をいかした地域づくり(2001年歴教全国大会神奈川集会報告レポート)
3安房の歴史・文化をいかした地域づくり
—市民が主役の「南総発見フォーラム」を核に
愛沢伸雄 (2001年歴教全国大会神奈川集会・県立長狭高等学校)
(1)はじめに
滝沢馬琴の小説『南総里見八犬伝』は千葉県南房総を舞台にしたフィクションであるが、所々に里見氏の実在の人物や城を登場させた。なかでも稲村城は戦国期房総最大の大名であった里見氏が、15世紀中頃に安房国を平定した頃の本城であり、実在している城である。
この貴重な文化遺産である稲村城跡が、1996年に市道建設で破壊されようとしていた。しかし、地域に根ざして活動している千葉歴教協安房支部はじめ市民らによる粘り強い保存運動によって、2年後には計画をストップさせた。この運動に取り組む「里見氏稲村城跡を保存する会」(以下「保存する会」と略)は、市民による文化財保存団体として、安房地域にある里見氏城郭群の国指定史跡化をめざしながら、地域の文化遺産から地域を学び、文化遺産を後世に伝えていくことを活動方針にしてきた。
1999年11月、「保存する会」代表世話人として私は、川名登氏(千葉経済大教授)ら4名とともに、2000年という節目に南房総の安房地域の歴史・文化をあらためて見つめ直し、歴史的風土を再認識するイベント「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」(以下フォーラムと略)を呼びかけた。この歴史と文化を活用した市民による手作りのフォーラムには、地元県内外から600名近くの参加者があり、身近な歴史・文化を活用した「地域づくり」のあり方のひとつとして、地域に一石を投じることになった。
稲村城跡保存運動を振り返りながら、フォーラムを立ち上げていった経緯と、市民を主役とした地域づくりが現在、どのような動きにあるかを報告し、21世紀に求められる地域づくりの課題を考えてみたい。
(2)里見氏稲村城跡保存運動の意義
里見氏稲村城跡保存運動は96年3月に始まった。文化遺産破壊という緊急事態に対して、マスコミなどの協力もえて、広く市民に訴え運動体を結成した。まず署名活動に取り組み6月には館山市長に2000余筆署名(後に9000余筆)を添えて要望書を、館山市議会には「稲村城跡保存に関する請願書」を提出した。
以来、担当の文教民生委員会では7度継続審議となったが、翌年の12月には全委員の理解が得られ請願書採択となり、本会議でも全会一致で採択された。念願の市道建設計画が変更となり、取りあえず稲村城跡は守られた。この間地元市民はもちろん、歴教協をはじめ全国各地からさまざまな支援があり、とくに手弁当で支援いただいた中世東国史研究者や城郭研究者の調査研究によって、稲村城跡をはじめ里見氏城跡群の歴史的価値が浮き彫りにされ、安房の中世世界の扉が少しずつ開かれていった。
「保存する会」では、運動のなかで地域の貴重な文化遺産である「稲村城跡をはじめとする里見氏城郭群」を国指定史跡を求めていく活動方針を決定した。その実現のために地域の人々とともに、「里見の道ウォーキング」や「里見紀行」など、安房の歴史・文化を見つめ直すささやかな文化活動を実施してきた。とくに稲村城跡の活用の面では、地元稲地区の方々の理解を得ながら、ボランティアによる草刈りや史跡めぐりのガイドなどの活動を続けている。
ところで、本年3月館山市総合計画審議会では、2015年を目標年次とした基本構想を答申した。構想の柱として「館山新世紀発展プラン」をたて、その施策のひとつ「(3)交流・交易のまちづくりと館山湾の活用」のなかで、「美しい自然や郷土の文化を活かしながら、訪れる人を温かく迎え、楽しくさせるようなまちづくりを市民ぐるみで進め」ると位置づけた。また「(4)賑わいと憩いと癒しの観光地づくり」では、「海や花などの自然資源や里見氏などの歴史・文化資源を活かすことを基本として・・・・南房総の観光資源の広域ネットワーク化を実現し、観光地としての多様性の向上に努め」、さらに「ふるさと館山の保全と育成」では、「歴史の中で培われた伝統・文化・・・・などを館山が誇る優れたふるさと性をしっかりと守り、育んでい」くとした。なお「豊かな文化の継承と振興」の項目でも「黒潮や館山湾がもたらした文化交流、里見の歴史、郷土芸能などを後世に伝承すると共に、那古観音堂などの文化財の保存継承を進め」ると述べている。
いずれの項目にも「里見氏の歴史」が位置づけられ、これまでの基本構想とは大きく転換し、従来にはなかった安房地域の歴史的な特性を活かした地域づくりの文言が入った。このような市政の重要な柱の変更がなぜ図られたかを考えるとき、6年にわたる稲村城跡保存運動が一定の影響を与えてきたといっても過言ではない。地道に取り組んできた市民による文化財保存運動の意義は大きい。
(3)地域の文化遺産を学び・伝え・活用する保存活動を
「保存する会」は市民による文化財保存団体として、安房にある里見氏城郭群の国指定史跡化をめざすとともに、地域の文化遺産から地域を学び、文化遺産を後世に伝えていくことを活動方針にしてきた。会の目的を安房地域全体に視野をおいた文化財保存運動にするために、まず第一には「里見氏城郭群の国指定史跡をめざす」とともに、第二に安房の文化遺産から地域を学び、文化遺産を後世に伝えていく役割を担うとした。
そのためにも、まず「活用する」という点では、21世紀にむけて安房の文化遺産のひとつである里見氏城郭群の国指定史跡化をすすめ、安房の歴史的風土の保存・再生の起爆剤とするとともに、文化遺産の活用の場を創造していくことにした。「伝える」という点でも、地域文化の保存と再生を視点に、里見氏関連文化財など安房を代表する文化遺産をはじめ、安房の歴史的な環境や風土をあらわす文化遺産について学びながら、地域に根ざす市民の立場から後世に文化遺産を伝える文化活動を積極的に展開するとした。三つ目の「学ぶ」という点では、いままで取り組んできた戦国期里見氏城郭群の文化財に加えて、海洋に関わる考古・古代遺跡をはじめ、里見氏前史の中世城館跡や、近世の陣屋遺跡・海防遺跡、近代の戦争遺跡、さらには地域にある様々な構造物の産業遺跡などを調査研究しながら、安房が房総半島南端にあることでの歴史的文化的特性を学びつつ、歴史的環境や文化遺産への認識を広げていくことを考えている。その際、安房の歴史が東国史や列島史のなかで、どのように位置づけられるかも視野に入れることにした。
前述のねらいを具体的に実践するには、①安房全体の文化運動・文化活動のために市民サイドにたった活動方針を創造。② 地域・市民ぐるみの歴史的環境・文化財保護のあり方を考えるために市町村の文化関係機関や団体と積極的な交流。地域の文化活動には各教育委員会などに後援要請。③「保存する会」主催の取り組みでは一人ひとりの学ぶ力を結集。会の活性化になる企画・運営を工夫し参加しやすいかたちを追求。会誌を作成し活動の成果や会員の調査研究を報告。④里見氏研究に興味・関心をもつ会員を中心に研究者・専門家の協力で調査研究の勉強会。⑤地域の文化遺産・文化財ガイドブックなどの作成。⑥その他さまざまな文化遺産に関する研究部会などの組織。これら六点を踏まえて活動方針をつくってきた。
なかでもフォーラムの提案は、「保存する会」が目的としてきた「文化遺産の活用の場」であり、「地域に根ざす市民の立場から後世に文化遺産を伝える文化活動」になるだけでなく、「安房の歴史的環境や文化遺産への認識を広げる」役割を果たすものと考えられた。
(4)国指定史跡化運動と市民による「地域づくり」
「里見氏城郭群の国指定史跡をめざす」運動を展開するためには、地域の人々や行政当局にどのように働きかけていくかという長期的で具体的な取り組みが求められる。「保存する会」では、まず市町村の文化行政・地域振興の長期計画を吟味し検討して、テーマパークなど「新しいもの」に頼るのではなく、地域の文化遺産など「いまあるもの」を活かしての地域振興が図られるように、地域に根ざした市民の立場から提案することが重要と考えていた。そのためには、国指定史跡があることで地域振興や地域の活性化につながっている全国的な事例を取り上げたり、地域づくりや史跡指定公園などに活用・整備している具体的な情報を提供する必要がある。また、行政当局を巻き込んで運動を大きくすすめていくためには、全国の国指定史跡化の方法を学び、安房地域での史跡化のプロセスや「国指定」のプランなどを地元・地権者や行政当局・教育委員会に提案していく力量をもたねばならないだろう。今後「国指定」をめざして広域市町村間での連携をとったり、各自治体間の文化行政との兼ね合いを調整するということになれば、市民の文化財保存団体として「保存する会」が果たす役割は小さくないと思う。
いま安房地域では雇用・過疎化・高齢化などの問題を抱え、地場産業の花や海産物だけではない地域振興策のあり方を模索しつつある。地域のさまざまな情報や知恵を集約して、歴史的な風土や文化財を活かした「地域づくり」や「まちづくり」をすすめる時代がきたといえる。この6年間、市民の立場から地道に文化財保存運動を続けてきた意味を問いながら、安房郡市各自治体や議会関係者、各教育委員会をはじめ、商工会議所・青年会議所・観光協会、さらには地元のライオンズやロータリーなどの会員に、その必要性を前向きに訴えていった。
(5)「南総発見フォーラム」の呼びかけと実行委員会
史跡化の重要性を理解してもらうために、まず地域の文化遺産など「いまあるもの」を活かす地域振興や活性化のイベントを具体的に実践することにした。
99年10月、2000年という節目に安房という歴史的風土をあらためて見つめ直すとともに、多くの人々が安房を認識する機会として、地域の文化遺産を活用するイベント「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」の開催を提起した。5名の呼びかけ人の気持ちがひとつになり、5つの団体の共催で実行委員会が結成されスタートをきった。開催の時期は、南房総の花盛りのときである2月11日から3日間とし、名称も安房の歴史・文化の再発見をイメージさせ、リズミカルで親しみやすいものを考え「南総発見フォーラムー花と里見と八犬伝」と名付けた。
1999年10月下旬、呼びかけ人と共催5団体代表が集まり、第1回実行委員会が開かれた。まず事業の趣旨や企画運営の概要や実行委員長・事務局長などの組織体制が検討され決定された。以後11月の第2回目は名称や日程・内容、事務局体制が確認され、12月の第3回目では最終的な企画内容と日程の調整がなされた。そのときまでに千葉県・安房郡市各自治体などの後援や協賛の団体がほぼ出そろった。年が明けて1月の第4回目では、広報や財政関係を確認し、当日の運営方法の詰めや各係の打ち合わせなどをおこなった。
またこの間、事務局会議は12回開催され、実行委員会で決定された方針の具体化をすすめるとともに、日程・企画内容を綿密に検討し、実行委員会に提案していった。実行委員会事務局は「保存する会」事務局スタッフが中心となっていたので、いままでのスタイルを踏襲する形で運営された。
(6)地域の人々の理解を得るために
市民の手作りイベントではあるが、地域づくりに重要な試みであると理解されるためにも、多くの関係各団体の後援と、フォーラムへの参加が必要であった。その結果、千葉県企画部文化国際課からの賛同を得たことで、後日千葉県知事からのメッセージをはじめ、千葉県の後援や県の文化・観光関係機関の後援を得ることができた。また地域づくりの視点から安房郡市各自治体にはとくに丹念に足を運び、直接11市町村長や関係部署、教育委員会・教育長を訪ね、フォーラム開催の趣旨や意義を伝えた。
後援依頼の活動で特筆されるひとつには、従来「保存する会」の活動では思うように出来なかった商工観光関係者や商工会議所関係団体、さらにはロータリーやライオンズ、青年会議所などの関係者との接触が図られたことである。地元のロータリーやライオンズの定例会に招かれミニ講演をおこなったり、フォーラム宣伝の機会を得たことなどは、いままでできなかったことであった。
次に広報活動をあげると、まず地元新聞(安房地域のみで3万3千部)などを中心に、全国紙地域版や通信社に案内掲載を依頼した。なかでも地元新聞新年元旦号において、一面を埋めるフォーラム特集が掲載されたことは安房地域にフォーラム開催が浸透するきっかけとなった。また、手作りポスター百枚や案内チラシを1万枚配布しただけでなく、地元広告会社の協力を得てホームページを開設したことも画期的であった。さらに、里見寺社関係者や全国里見一族交流会、県内外の里見関係者の名簿を約千名分作成し、招待状やフォーラム案内状を郵送したことは参加を募る確実な方法となった。
(7)フォーラム成功の意義
フォーラムの結果をみると、参加者は日程の第1日目「滝田城跡」現地見学とシンポジウムでは約150名、第2日目の「里見サミット」「八犬伝の世界」では約360名、うち約180名が夜の「里見交流会」にも参加し予想を大きく超えた。第3日目「里見紀行」(史跡めぐり)では、里見氏ゆかりの方々を中心にバス2台約80名が参加した。3日間では、約590名と当初見込みの400名を大きく上回り、数からみても市民の手作りイベントとしては、大成功であったと評価をされた。
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イベントで一番大変なのが財政である。収支をみると、収入では入場料や広告協賛金を中心に当初計画の約250万円を超え、心配された赤字にならなかった。交流会の飲食費を含む8000円という入場料(「里見サミット」「八犬伝の世界」のみ3000円)は、この地域の実態からみて高額すぎると指摘され、最終版まで地域市民には今一歩の売れ行きであった。しかし、当日は予想を超えてすべての席が埋まった。支出面ではイベントに関わった方々のボランティア精神が発揮され、とくに招待者には宿泊・交通費の配慮をいただいたり、交流会費やイベントの支出も最小限に抑えられた。当日の運営全体はすべてボランティアで50名を超える方々が支えてくれた。3月の第5回実行委員会において、フォーラム全体の取り組みやその意義について総括をした。
第一に文化財や史跡を活用したイベントに関心をもつ人が増えている状況があり、やり方によっては多くの人を集めることができることを一定証明した。今後の文化財保存と活用については、とくに里見の歴史や文化財を学術的に再考するとともに、地域づくりのイベントに活用する姿を示しえた。
第二には、従来型の観光地づくりだけではなく、安房地域の文化遺産や歴史的風土を活かした視点を踏まえた地域振興のあり方に一石を投じた。この間、館山商工会議所や館山市観光協会の後援、ロータリー・ライオンズ・青年会議所関係者の支援もあり、交流の機会ができたことは従来にない動きで、今後の協力関係では大きな成果となった。
第三には、文化財保存運動や地域づくりのイベントが、市民中心のボランティア運営であっても一定の成果をあげることを示した。千葉県、安房郡市11市町村・各教育委員会とともに、千葉県や地域での商工観光関係団体などの後援や支援を受けたが、今後地域づくりに関わるイベントでは、市民主体の運営と行政からの支援という関係において、どんな連携・協働が求められるか課題となろう。
(8)関ブロ館山集会が「地域づくり」の契機に
2000年12月の歴教協関東ブロック館山集会では、「21世紀にひらく地域文化の再生」をテーマに「地域フォーラム」を開催し、とくにシンポジウム「安房の歴史・文化をいかした地域づくり」で提起された安房の自然や文化をいかした地域づくりのあり方については、引き続き地域分科会において、活発な意見交流がもたれた。
この研究集会が契機となって、館山市の基本構想を先取りした具体的な地域づくりへの動きが新年早々に始まった。毎年10月第3日曜日に開催する「南総里見まつり」(館山市・館山市観光協会主催し今年で20回になる)と連動して、第2回目の「南総発見フォーラム-花と里見と八犬伝」を開催しょうということになった。
後の実行委員会のなかで、館山市のまちづくり担当の企画課長は「・・・基本構想では、海を活かしまちづくり(「交流と交易のまち」)を考え・・・「里見」を軸とした文化交流にもふれながら、基本的には歴史に密着したまちづくりを考えている。『南総発見フォーラム』は里見の歴史を活かしたものであったので、市としても全面的に協力したい。いろいろ知恵を出し合いながら、できたらもっと地域にお金が落ちる形も考えていきたい。予算的には市から百万円補助したい・・・」と述べている。
ところで関ブロ館山集会は、館山市や館山市教育委員会から後援を得るとともに、安房郡市各教育委員会をはじめ小・中・高校や公民館など、これまでになく各方面にポスター・チラシ案内が配布された。また、従来になく地域で活動するさまざまな市民文化団体と接触したことで、地域づくりにつながるきっかけとなった。当日も地元市会議員や教育委員会・自治体関係課担当者をはじめ各方面からバラエティーに富んだ方々の参加があった。当日のことは、地元新聞に「地域文化見つめ討論」との見出しで研究集会が報道されるとともに、社説「新しい地域づくりのために」と題して「地元一般市民も加わっての、実り多い討論の場となった」と高い評価を得たことで、地域づくりを呼びかける環境が整っていった。
(9)市民が主役の「地域づくり」をめざして
本年1月フォーラム開催をめぐる館山市当局者と関ブロ集会シンポジウム4名のパネラーとの話し合いのなかで、呼びかけ趣旨(愛沢私案)を検討した。
内容は「従来『南総里見まつり』実行委員会がおこなってきたものを、新世紀を期して質的にも規模的にも見直し、市民の手作りのイベント『南総発見フォーラム-花と里見と八犬伝』と合同しながら、新たに前夜祭方式や参加型イベントを導入することで活性化をはかる。なお南房総・安房の海と自然、歴史や文化をいかした千葉県を代表するイベントにするために、房総里見氏の発祥の地であり『南総里見八犬伝』の舞台であることをアピールしながら、安房の豊かな海と自然、そして歴史的な風土を世界・全国に広く発信し、南房総・安房のイメージアップをはかる。
この事業をおこなうに際して、千葉県や館山市をはじめ安房全自治体からの支援・協力を受け、安房地域の市民の皆さんや関係市民文化団体、観光商工団体などが実行委員会に参加し、2001年を期して新生『南総里見まつり』事業成功のために企画内容を検討していく。南房総の地域文化の発信地として南総文化ホールを位置づけ、城山公園周辺や館山湾岸をなどをイベント会場とする。また、企画と運営の面では、地域市民が作り上げていくイベントになるようにする。とくに情報の発信や取りまとめでは、民間の力だけでなく各自治体関係機関の支援・協力をうけ、広く地域市民の参加を呼びかけ、地域市民のボランティアによる事業運営を追求していく。さらに、この『南総里見まつり』は地域イベントであるが、さまざまな人々のネットワークとつながりながら、国際交流にも貢献する企画や内容となるように努力していく。
さて、昨今の景気低迷のなかで商工観光・地場産業の活性化を展望するとき、地域振興の面では、旅行・観光関係団体や民間関係企業の支援・協力をうけ、南房総・安房の魅力を『花と里見と八犬伝』をキャッチフレーズに、この地の興味・関心が高まるようインターネットをフルに活用して、自然・歴史・文化の情報をホームページで継続的にながす。そのなかで日本の玄関口の千葉県のなかでも、『南総里見八犬伝』の里〜癒しの地として、宿泊・滞在型の南房総・安房を積極的にPRし、大きく観光・行楽客を増加させていくことをねらう。」趣旨は大筋で承認された。
今後すすめていくうえでは、一つには官民共同のイベントではあるが、従来からの流れもあるのでやれるとことから取り組んでいく。また各団体のネットワークをはかりながら市民参加を追求していく。外から興味・関心をもたれるイベント企画を立てる。二つ目には、各団体の実行委員会形式とし、ネットワークが動いていく体制をとっていくことにする。三つ目に実行委員は組織や団体の代表者ではなく、所属する参加団体とコンタクトをとりながら、フォーラム成功のためにさまざまな団体とネットワークを作る意志のあるものとするとした。最後に「南総里見まつり」実行委員会や商工観光課との連携を取りながらすすめ、日程的には5月ころポスター・チラシ案内ができるようにするために、3月には骨格をつくり、4月に決定する必要がある。なお観光協会の観光プロデューサーが4月に就任するので渉外的なことをお願するとした。実行委員会の組織体制では、名誉会長に館山市出身でパリ在住であるデザイナーの島田順子氏、会長にはフォーラム呼びかけ人である劇団貝の火代表の伊東万里子氏、そして事務局長は今度も私が承認された。
(10)「地域づくり」の確かな広がり
館山市経済界の代表のひとりで観光協会会長の高橋弘之氏とは、ここ一年ほど地域づくりや地域の活性化に対して忌憚なく意見交換をしてきた。意見の相違があっても今日地域において文化や経済が混迷していることを憂えている点では一致していたので、フォーラムを広く呼びかけ開催していくことでは賛同をいただき、実行委員のひとりとして加わっていただいた。
実行委員会では「南総里見まつり」の責任者でもある高橋氏が「まつりは今年20回目をむかえるが・・・以前より前夜祭などやりたいとの希望はあった。観光プロデューサーの浅井さんも秋の観光が弱いので城まつりを種にして、宿泊での誘客を図りたいとの話であった。フォーラムがより具体的で先行しているので、一緒になって客を集めたらどうか。学術文化や地域のモラルをあげる地域中心の行事にすべきか、あるいは地域振興で客を集めるべきかという両面がある。呼びかけの趣旨は、地域振興と学術文化の両面が入っているので乗りやすいと感じた。ただ観光協会の集客だけいって、本来の趣旨をじゃまするものになってはいけないと思っている」と発言し、フォーラムを共同して取り組む観光協会側の考えが示された。
また、4月に就任した観光協会観光プロデューサーの浅井信氏は「館山の観光とまちづくりの関係は、市民が自分のまちを誇りに思い、いい町だから住んでいるという、そこに観光客がひかれてやってくるという観光が必要である。従来型の観光地のように何か見て帰るというスタイルでは、館山の観光は伸びていかないし、時代のながれも箱ものなどでは力もお金も出てこない。いま残されたものは、市民のパワーで自分のまちをどうやって住み良い町に変えていくのかという一点のなかで観光の振興を考えていく必要があるのではないか」と発言し、市民パワーによる地域づくりこそ観光に活きるとの考えであり、立場は違っても市民が主役の地域づくりのあり方が求められていることを痛感した。
(11)おわりに
さまざまな情報を瞬時に引き寄せることができる時代となったが、私たちは足元の地域のことにどれほどの関心を払っているだろうか。雇用や地域経済など地域の状況が悪化している昨今、従来から取り組んできた地域活動を振り返りながら、21世紀に相応しい地域の自然や歴史・文化を活用した地域づくりのあり方を展望していくことは、今日的な課題である。
かって「安房の歴史的風土がどのように育まれてきたかを理解することなしに、21世紀を見据えた地域文化の保存と再生はない。まちづくりや地域づくりには、さまざまな視点からの見解がある。その際、忘れらてならないのは、歴史的風土への共通認識があって、はじめて議論も実りあるものになる」と地元新聞で訴えたことがある。
地域に根ざした市民の立場から見つめ、歴史的な環境や歴史文化を活かした地域のあり方を今後も文化財保存運動から提起していくつもりである。21世紀のスタートにあたり、安房の地域づくりの道が「南総発見フォーラム」の取り組みのなかにあることを示していきたい。