安房の高校生によるウガンダ支援・交流20年のバトン

安房の高校生によるウガンダ支援・交流20年のバトン

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河辺智美(NPO法人安房文化遺産フォーラム)
【子どもが主役になる社会科】2015千葉県歴史教育者協議会

1.つないだ、つながった20年

2014年、千葉県南部の安房地域に住む高校生によるウガンダ支援活動が20年の節目を迎えた。安房地域の三校でバトンをつないできた活動を振り返る集いに、現役で活躍する高校生、卒業生、活動を支えてきた先生方、応援する市民団体や地域の方々など、約40名が一堂に会し、世代を越えてつながる場をもった。残念ながら活動のパートナーであるNGOウガンダ意識向上協会(以下CUFI)のスチュアート・センパラ氏の来日は叶わなかったが、Eメールのやり取りを重ねて共同執筆した日英版の記念誌『安房の高校生によるウガンダ支援・交流20年のあゆみ AWA-MINAMI IN AFRICA FOREVER 1994-2014』を発行した。また元安房南高校美術教師が制作したブロンズ『安房南生徒像』を寄贈した。

活動20年のあゆみをひもとくと、センパラ氏とのやり取りは、手紙からファックスへ、そしてEメールへと変化してきたことに気づく。時代や社会が変わりながらも、なぜ支援活動が20年も続いてきたのだろうか。

ウガンダへの支援が始まった頃を知る卒業生の口からまず語られるのは、自分が高校時代に関わっていた活動が今なお続いていることへの「驚き」、そして後輩たちが引き継いでいてくれていることへの「嬉しさ」や「感謝の気持ち」である。高校時代を振り返り、「私は何も大したことをしていない」とも語る。地道な小さな支援の積み重ねが、ウガンダの子どもたちをどれほど勇気づけてきたか。

支援を受けた子どもからは、「日本の高校生の活動に感動した」「贈られたピアニカと出会って、(盲目の)僕の人生が大きく変わった」と感謝の声が届いている。センパラ氏は、「交流は子どもたちにとって大きな刺激を与え、彼ら・彼女らの想像と思考を広めてくれた。彼らに国際的な友情と理解を教え、村の枠をこえて考えを深めさせている。いつか友人のいる日本に出かけてみたいと思うきっかけになっている」と交流の意義を語り、ウガンダの子どもが前進する勇気と強さをもたらしてきたようである。

2.足もとの地域から世界をみる

ウガンダ支援活動の始まりは1994年にさかのぼる。県立安房南高校(女子高)の生徒は、愛沢伸雄教諭(当時)による足もとの地域の戦跡などを教材化した平和学習の授業を受けた。生徒の実態に即して取りあげられたのが、婦人保護長期収容施設「かにた婦人の村」(以下「かにた村」という、社会復帰が困難な女性が暮らす施設)である。授業は生徒が戦争の事実と「かにた村」に住む元「慰安婦」の心の叫びから平和主義や人権問題を理解し、その向き合い方を模索するものであった。 生徒は「戦争がなくても平和とはいえない」「平和は戦争をしないだけじゃなくて、自分の思っていることを自由に言え、人種差別で悲しい思いのする人たちもいない、心が安らかで生活できることだ」と、平和や人権の問題を自分と深く関わる問題と捉えた。そして、自分たちにできることはないかと模索した。

生徒と愛沢教諭が「かにた村」の深津文雄牧師(2000年逝去)に相談したところ、エイズが蔓延し孤児が溢れる東アフリカ・ウガンダ共和国のセンパラ氏(CUFI所属)を紹介された。折しも、センパラ氏は1994年当時、日本のNGOにて研修中で、「かにた村」を訪問していた。安房南高生は「かにた村」を通じてCUFIと結びつき、ウガンダ支援活動を開始した。

校内文化祭では、ウガンダという国の概要やエイズの状況、子どもたちの様子を伝える展示を行った。全校生徒とその保護者、教員、「かにた村」、地域の人々に呼びかけ、文房具や衣類、生活用品などを集め、支援バザーも開催した。バザー売上と寄付金を合わせた支援金と、地域の商店などから集まった品々を箱詰めした支援物資をウガンダに送った。こうした高校生の取り組みは、毎年地元紙に取り上げられてきた。

活動初年度の1994年、センパラ氏は安房南高校を訪問した。生徒らは、果敢にウガンダの国づくりに取り組むセンパラ氏と直接顔を合わせたことで、「世界に目を向けた活動をこれからも続け、安房南高の良き伝統に」と活動の意義を前向きに受け止めた。一方、センパラ氏は「…貴校と私のCUFIとの間に、国際的友好と理解を推し進めるよう努力しながら、将来にはとてもすばらしい協力関係ができるものと期待しております。…発展への道は多くの困難を伴う長い道のりではありますが、私たちはうまくやり遂げたい…どうか私たちのことを忘れないでください」と述べた。この言葉のとおり、「ウガンダの子どもたちに夢と希望を」を合言葉に、高校生は先輩の姿に学び、自ら動き地域にも働きかけ、自主的な活動が後輩に託されていった。

3.自立のために弱者を力づけること

ウガンダでは、1962年の独立以後、政治経済の混乱、内戦による教育や医療の崩壊、エイズの蔓延などに苦しめられていた。こうした中、親と死別した孤児たちを保護するため、86年にセンパラ氏らが立ち上げたのがCUFIである。

センパラ氏はウガンダ赤十字での活動を経て、現在はCUFIの代表として、孤児や学校を中退・退学した子ども、技術を必要とする若者、女性たちにも支援の手を広げている。特に①子どもたちに教育の機会を与え、自立の力を身につけさせること、②自然を大切にし、子どもや大人と共に食べものを一緒につくって分かち合うことを重視して、教育支援や有機農業の実践と指導などの事業を展開している。CUFIは、人づくりと持続可能な地域社会づくりに日々奮闘している。

4.ささやかな支援が現地で実る

1999年、愛沢教諭はウガンダを訪問した。安房南高生の支援にどれほど救われているかという話に、愛沢教諭は、高校生のささやかな支援が、ウガンダの人びとを勇気づけていることを確認した。

翌年、それまでの支援活動が実を結び、現地に職業訓練校「安房南洋裁学校(Awa-Minami Tailoring School)」が建設された。学校の正面に安房南高校の校章が掲げられ、現在も安房とウガンダをつなぐ友情の証となっている。

しかし2008年、少子化に伴い、安房南高校は筆者の母校で、近隣の県立安房高校と統廃合した。創立100年の歴史ある安房南高校の名前が消えてしまっても、ウガンダの地に「安房南」と名付けられた学校がありつづけることは、生徒や地域の人々にとって誇りであった。支援活動の灯は絶やされることなく、安房高校JRC(青少年赤十字)部へと引き継がれ、JRC部では、地域のイベントや商店に出向き、活動紹介と募金活動を積極的に行った。また支援バザーの売上金と、「かにた村」や地域の商店から提供された服や生活雑貨、文具などを箱詰めした支援物資を送り、子どもたちとは手紙やカードで交流を深めた。生徒たちは「ウガンダの状況を理解できたし、私たちの贈り物で子どもたちが喜んでいる姿が嬉しかった」「地域は違えど、人と人は助け合える」と活動の意味を噛みしめた。しかし、活動継続が困難となったことから、最後の贈り物として友情の絆を示す長縄を送り、子どもたちが末永く笑顔でいられるよう願いを込めた。

2013年夏、安房にある私立安房西高校のJRC部と安房南高校の卒業生数名が集まった。卒業生たちは、活動をふりかえり、「先輩たちがやってきた活動を重要なことと受け止めた。自分がやったことは、高校時代のほんの数年で小さいことだけども、今思うと、とても大きいこと」と語り、高校時代の活動の意義と活動に対する意味を改めて感じているようだった。他方、私立安房西高校JRC部の生徒たちは、ウガンダ支援活動が二〇年も続いてきた歴史ある活動であることから、卒業生を誇りに思うと同時に、自分たちが活動を受け継いでいくことに意欲を示した。翌2014年、地域の人びとの応援と協力を得て、安房西高の文化祭で初のウガンダ支援バザー(通算第19回)が行われた。支援バザーで買い物をする地域の人びとの温かい真心が、活動を通じてウガンダに届いている。

5.地域に広がる支援の輪

努力と汗の跡が見て取れる取り組みが地域の共感を呼び、多くの大人たちの協力と応援がウガンダ支援活動を支えてきた。

活動の契機となった授業を実践した愛沢教諭は、現在NPO法人安房文化遺産フォーラムの代表を務め、NPO活動の一つにウガンダ支援活動を位置づけている。高校生と協力して緊急支援バザーを開催、また市民活動として独自に支援バザーを開催して、地域の人びとの協力を呼び掛けてきた。そして「安房・平和のための美術展」実行委員会の賛同を得て、第二回美術展(2006年)からチャリティ作品の収益や募金の一部をウガンダの子どもたちのために寄付した。CUFIを通じてその支援金が役立てられている。美術展の会場には、世界平和と美しい地球環境を次世代に引き継ごうとする美術家たちの作品とともに、ウガンダの子どもたちが描いた絵も展示されている。

1990年代の絵を見ると、内戦の様子を描いた鉛筆画が悲しさを表現していたが、その後、色鉛筆で描かれた日常生活や動物などの絵に変化した。鑑賞者は、「明るさや未来に向かう展望みたいなもの(希望)が感じられる」「色彩豊かでこちらが勇気をもらえるようだった」「内戦と最近の絵の劇的な変わり様に、子どもたちにとって、平和がいかに大切かをまざまざと実感した」と、絵を通じてウガンダの子どもたちの心に触れた。

6.安房から世界に発信する

日本の高校生は活動を通して、地域と世界は決して切り離された空間ではないことを認識した。生徒は「教室の中での学びとは別物」と、ウガンダの現実を伝え活動する努力の中で、自己と他者との協働による達成感や自分が他者に支えられている一方で他者を支えている一体感という、言葉を介さない身体レベルで、活動の意義を感じ取っている。

またウガンダ支援活動をきっかけに国際関係の大学に進学した卒業生もおり、活動の経験が、進路の幅を広げている。そして卒業生の多くは現在、社会人であり、子を持つ母親となっている。現役の高校生の活動の姿に触発され、子どもと一緒に高校生の活動を応援できればと願う卒業生もいる。

こうしたウガンダ支援・交流活動の輪はどのような意味を持っていたのだろうか。

世界で指折りの経済大国に発展した日本、近年徐々に経済成長を遂げ貧困削減と格差是正に取り組むウガンダ。しかし両国はそれぞれ戦争を経験した歴史・内戦によって翻弄された歴史をもつ。

その中でウガンダ支援・交流活動は、十五年戦争の加害と被害の傷跡が垣間見える安房という地域から始まった。安房の地に残る戦争の傷跡を見つめ、元「慰安婦」の心の叫びにどう応えるか、ウガンダ支援は安房の人びとが持つ平和意識を体現している。安房の地から平和の願いを発信し、世界に貢献する道を切り拓くことができる地域に根ざした活動なのである。

活動が始まって二〇年経った今、「誰のために」「何のために」やるのか、もう一度この視点に立ち返って草の根交流のあり方を考えることが重要である。