アワビ漁師たちの歴史

太平洋を渡った房総のアワビ漁師たち

今からおよそ130年前、明治時代に南房総からアメリカに渡ったアワビ漁師たちがいます。白浜町根本出身の小谷源之助仲治郎兄弟をリーダーとする房総の漁師たちは、カリフォルニア州モントレー地域で活躍しました。南房総とモントレーは、ほぼ同じ緯度にあり、太平洋を挟んで向かい合う半島同士ですが、暖流の房総とは異なり、モントレーは寒流です。

漁師たちは、冷たい海に耐えるため、ヘルメット型の器械式潜水具を持ち込み、アワビの大漁に恵まれました。兄の源之助は、アワビ産業を興していきました。アワビステーキやアワビ缶詰は、アメリカの人びとに喜ばれ、食文化に革命が起きました。日系人コミュニティには、政治家の尾崎行雄や画家の竹久夢二、皇族なども訪れ、日米親善の架け橋となっていたようです。

一方、弟の仲治郎は帰国して千倉町千田に住み、 漁業や教育など地域の要職を務めました。 親戚や近所の若者を潜水夫として養成し、アメリカへ送り込むとともに、安房水産学校の設立に大きな貢献を果たしました。

しかし、日米開戦によって、カリフォルニア沿岸に住んでいた日系人たちは、砂漠の強制収容所に移送されました。アメリカへの忠誠を誓わされました。

その頃の安房は本土決戦に備えて7万の軍隊が配備され、防衛の最前線として次々と特攻基地が作られていました。食糧増産のために花作り禁止令が出され、花畑は芋畑に変えられていきました。花の種苗を持っている者は「国賊」と呼ばれ処罰される密告社会構造において、渡米したアワビ漁師の家族たちは、どのような思いで生きてきたのでしょう。

戦争が終わっても、日本語の話せないアワビ漁師の二世・三世らと安房の家族らは、引き裂かれたまま出会うこともなく生きていきました。

地域の調査研究を契機として、「戦後60年」の2005年には平和祈念事業として【アワビとウミホタルがむすぶ日米交流】を開催、二世・三世らの来日が実現し、親戚同士の出会いが実現しました。

*参考:語り「太平洋を渡った房州のアワビ漁師達

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