お知らせ

【NHK福岡】4月23日(土)=青木繁の没後100年=放送されます。

NHK福岡の地域特集
「没後100年〜生と死の絵画」

4月23日(土)総合・九州沖縄地方 午後4:30〜5:13

明治後期、日本画壇にすい星のように現れて駆け抜けた天才画家・青木繁。『海の幸』など日本美術史上に残る名作を次々と描き上げた後放浪生活に入った。そして「骨灰は故郷のケシケシ山に埋めて欲しい…」と言い残して逝った。28年の人生であった。番組では、青木繁の数々の名作を紹介すると同時に、手記や手紙、友人らが青木繁の人や作品について書いた批評、エピソードを取り上げ、折々の青木繁の心の動きを見つめていく。

【出演】石橋美術館学芸課長 森山秀子

※館山でも取材協力をしました。

110325~0515=没後100年青木繁展(石橋美術館)

没後100年青木繁展〜よみがえる神話と芸術

◎期間=2011年3月25日(金)〜5月15日(日)

◎会場=石橋美術館(福岡県久留米市)

◎開館時間=10〜17時(入館は16時半まで)

◎休館日=月曜日(5月2日は開館)

◎入場料=一般1,000円(800円)、65歳以上700円(500円)、大高生500円(400円)、中学生以下無料

※()内は15名以上の団体料金

⇒⇒印刷用パンフレットはコチラ

◎プレイベント

*3/12(土)米倉斉加年、青木繁を語る

◎ギャラリートーク

=開催日:3/26(土)27(日)、4/2(土)3(日)10(日)17(日)24(日)、5/7(土)8(日)15(日)

◎美術講座

*4/9(土)「青木繁 実像と小説のあいだ」渡辺洋氏(神戸大学名誉教授)

*4/16(土)「青木繁と日本前衛の〝前夜〟」長田謙一氏(首都大学東京教授)

*4/23(土)「青木繁の生涯と芸術」植野健造氏(同館学芸員)

*5/14(土)「布良という聖地…《海の幸》が生まれた場所」貝塚健氏(ブリヂストン美術館学芸員)


【参考】

○京都展2011.5.27(金)〜7/10(日)京都国立近代美術館

○東京展2011.7.17(日)〜9.4(日)ブリヂストン美術館


【東京】110216*青木繁の下絵発見

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⇒⇒画像印刷は下段の添付ファイルからご利用ください。

 

日本絵画史を代表する国の重要文化財「海の幸」などを描きながら、貧困の末に二十八歳で夭逝(ようせい)した画家青木繁の未公開スケッチや和歌、生活ぶりを伝えるメモなど六十点を、愛知県岡崎市の愛好家(62)が所蔵していたことが分かった。青木の作品の多くを所蔵する石橋美術館(福岡県久留米市)が確認した。今春開催する没後百年を回顧する特別展で一部が公開される。

約六十点の内訳は、下絵などが六割、和歌やメモなどが四割。いずれもB5判程度のスケッチブックの用紙に鉛筆などで記されていた。創作活動をしていた一九〇二〜一〇年と重なるが、「海の幸」を制作した〇四年に残したとみられるのが約三割で最も多いという。

「海の幸」誕生につながったとみられる漁師や魚を連想させるスケッチは約十点あり、制作の場となった千葉県館山市布良(めら)で主に描かれた。釣りざおや絵の具を買うための借用書のような書き込み、館山市のある房総半島の地図も確認された。

同じく重文で古事記を題材にした「わだつみのいろこの宮」(〇七年)につながった下絵も二点あった。栃木県芳賀町で描いたとみられるこの下絵の所在が確認されたのは、同美術館によると約四十年ぶりという。

このほか、東京美術学校に通った青木が習作に励んだことをうかがわせる上野動物園のツルを描いた作品も確認。時期は特定されていないが、「京」「大津」などを題材にした直筆の和歌五首もあった。青木は関西での活動の記録がなく、これらの和歌も存在を知られていなかった。青木の動きをたどる貴重な史料となりそうだ。

岡崎市の愛好家は東京の画廊関係者から約二十年前に購入して私蔵してきたが、今年が青木の没後百年にあたることから、同美術館の特別展への協力を申し出たという。

同美術館の森山秀子学芸課長は「青木の作品は油絵、スケッチを含め約四百点しか知られておらず、今回確認した六十点は青木の息づかいを感じさせる第一級の史料。裏表にさまざまなメモもあり、今後精査して作家活動を浮き彫りにしたい」と話している。

特別展は三月二十五日から五月十五日まで同美術館で開催。京都国立近代美術館(京都市=五月二十七日〜七月十日)、ブリヂストン美術館(東京都=七月十七日〜九月四日)でも開催される。

 

(東京新聞2011,2,16のトップ記事です)

【東京】110215=「海の幸」館山の家、存続危機

夕暮れに輝く裸の漁師たちの中で振り向く美女の顔。日本洋画史上の最高傑作といわれる青木繁「海の幸」は一九〇四年、千葉県館山市布良(めら)の網元宅で制作された。この家はほぼ当時のまま現存するが、存続の危機にある。没後百年の今年、抜本的な保存策を訴える声が高まっている。

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(東京新聞2011.2.15付)