布良日記

おらがごっつお

昨日地層めぐりで布良の浜近くにつるながほえていたのをみつける

相浜の新田の浜近くはどうかなと出かけてみる

砂浜にさがる草むらに浜ひるがおがへびりつている

8月と思ったら7月で

砂浜に近いところにつるな(野草)があった

昭和40年から50年代 相浜は民宿が10軒近くあった

その中の1軒のおばあさんがよくるなを使った料理を出していたときく

緑のものの無い時によいと言ってたと

料理のメニューは私にはわからない

つるなには味はない 匂いもない ゆでるとあくがある

母がおひたしで出していたから私は食べているがぼそぼそしていまいちだった

スーパーにいけば、野菜の種類も豊富な現在、クコは食べるがつるなは相浜でも

食べられていないらしい

明治 青木繁が逗留したころは青物(野菜)は何を食べていたのだろうか

そう思って作って近所の年寄りの方に試食をしてもらってみた

化学調味料はなし

天ぷら・胡麻和え

シラスおひたし(かって鰯がよくとれていたので)

かつお節おひたし(自分で削ったもの)・ 甘酢あえ

試食

さっぱりしていいねと しらすのお浸し・甘酢・ てんぷら ・ 胡麻和えも好評・・ほんとかな?

つるなって・・つるな科・ 食用・胃潰瘍・胃酸過多症に・海辺にはえる・冬超えしない・

誰も見向きしない・ てんぷら・炒め・味噌汁などにもするらしいとある おためしあれ

 

 

 

 

 

 

布良の地層を学ぶ

ヘリテージまちづくり講座

7月1日 布良本郷社務所

講師 (高橋直樹氏 千葉県中央博物館学芸員)

19名参加

国道地理院によると日本で最も隆起しているという

標高23・5mにある館山市布良の海食洞の地層は250万年から500万年の泥岩でできていると聞く

おどろきである(県の指定天然記念物)

残念だが今はふさがれている

草を刈り皆さんにいつかお見せできるとよいが

布良地域は布良層といわれ250万年前の層

相浜と布良の境は300万年の白浜層と呼ばれているところがある

火山灰で鉄を多く含んでいる 見ると確かに

その岩は風化して蜂の巣状に穴があいていた

地層をみるなどしたことがないので貴重な体験をした

蜂の巣状 風化 白浜層 断層 手水鉢 房州石

 

北下台(ぼっけだい)に観光地図看板を設置!

館山湾(鏡が浦)の中央で、海を見下ろす高台に位置する「北下台(ぼっけだい)は、高ノ島・沖ノ島を眺望する景勝地として好まれ、1885(明治18)年に館山で最初の公園として整備されました。

新井浦(旧安房博物館周辺)から柏崎浦(現自衛隊東側の岸壁周辺)にかけての浜は、物産の津出しの湊として江戸期より栄え、明治期以降は近代水産業発展の拠点として重要な役割を果たしてきたのです。

ここには、日本の近代水産業の父と呼ばれる関澤明清の顕彰碑や、海運・水産に貢献した正木貞蔵・清一郎の名を冠した「正木燈台」など、多くの歴史文化遺産がありながら、残念ながらヤブに囲まれて海も見えず、市民の憩いの場ではなくなっていました。

私たちの事務所(小高記念館)の元所有者である故小高熹郎は、生前、次のことを言い遺したといわれています。

① 館山市史に水産業のページをもっと増やすこと。

② 関澤明清と正木清一郎を、博物館の常設展示として顕彰すること。

③ 北下台を公園として再整備すること。

北下台は、城山公園(里見氏館山城跡)と多目的第桟橋(夕日桟橋)・渚の駅(旧安房博物館)を結ぶウォーキングコースとして最適の文化スポットです。

私たちはその遺言を実現すべく、ポイントラリー形式のガイドウォーキングや、、水産史を知るシンポジウムなどを繰り返し開催してきました。その結果、嬉しいことに、館山市商工観光課によって観光看板地図が設置されました。

「此碑は水産家関澤明清君の功績を不朽に伝ふる為、明治三十年同志四百六十名より拠出の資金壱千有余円を以て建碑に着手し、同三十二年五月に竣工す…」という碑文のとおり、後世に語り継いでいかなくてはならず、その一歩となったかもしれません。

ただかなしいかな、最近では、関澤の碑や、坂東丸・順天丸の遭難供養碑をはじめ、多くの碑が白くカビっぽくなっているのが気になります。こんなステキな地図看板ができたのですから、韓国浦項の「快鷹丸遭難紀念碑」のように、関澤の功績の恩恵にあずかり、あるいは敬慕する人たちでまもっていければな、と願っています。

北下台サイン看板8_23

布良崎神社の神輿と青木繁「海の幸」

昨年、石橋美術館・京都国立美術館・ブリヂストン美術館で開催された

「青木繁・没後100年展」で直筆デッサンなどが多数公開されました。

そのなかで「『海の幸』下絵」を見ると、襦袢に姐さんかぶりという女装が描かれていますが、

これが、かつての布良崎神社の神輿を担ぐ衣装だったそうです。

朝日新聞千葉版7月20日付に紹介されたように、地元では、

青木繁『海の幸』は布良崎神社の神輿がモチーフという説が有力です。

今回は、青木が滞在した当時の祭りを再現しとう、という機運が高まり、

何人かの若い衆は、女姿のふん装を再現しました。

今日は雨上がりのお天気で、御浜下りの夕焼け絶景が見られず残念でしたが、

神輿の賑わいに、青木がインスパイアされたであろうことを思うと、時を超えてワクワクしますね。

明日は、青木繁研究者で福岡大学の植野健造教授の講演会があります。

乞うご期待! ⇒詳細はコチラ

小谷家住宅より新史料を発見-1

青木繁が滞在した小谷家住宅は、明治期の漁村の旧家です。

今日は、押入れから重要古文書の大発見がありました。

一番のお宝は、日本の水産業パイオニア・関澤明清から小谷喜録宛ての直筆感謝状。

「拝啓残暑之候先以愈御清適慶賀此事ニ候陳者過般中本所生徒御地出張中ハ御多忙之中特ニ漁具其他之説明ヲ煩シ生徒ニ於テモ満足致居候依テ聊謝意ヲ表スル為ノ重要水産動植物図差進候間御受納相成度候右謝辞申延度如茲御坐候 敬具

明治二三年九月十日  水産伝習所長 関澤明清 小谷喜録殿

本文動植物図は通運便ヲ以テ差出候也」

ウィーン、フィラデルフィアの万博で欧米の水産業に驚愕し、

国策として水産業発展のための尽力をするとともに、

水産教育の重要性を訴えた関澤は、

明治22(1889)年に開かれた水産伝習所の初代所長となり、

明治25(1892)年に自ら館山に捕鯨・遠洋漁業会社を設立、

明治30(1897)年に関澤は53歳で亡くなりましたが、

その年、水産伝習所は官制の水産講習所となり、

明治34(1901)年には館山実習場が開かれ、

戦後の東京水産大学、東京海洋大学になっていきます。

明治23(1890)年の段階で、関澤が館山の小谷家に生徒を送り込んで、

実習を行なっていたというのは、本当に大きな発見!です。

布良の漁業と小谷家がいかに重要な役割を果たしていたか、

今後の調査研究に期待できます。

布良のとなりの漁村・根本からアワビ漁師の

小谷源之助と、伝習所卒業の弟・仲治郎

モントレーに渡米し、アワビ産業を起こしていった史実も、

もう少し解明されていくかもしれません。ワクワクします。

ちなみに、

『関沢明清 若き加賀藩士、夜明けの海へ』和田頴太著(北国新聞社)が、

2012年4月に発行されています。

【追記】 関連記事が掲載されました。

*北國新聞 2012年10月2日付け

*朝日新聞千葉版 2012年10月13日付け

青木繁オマージュ展のギャラリートーク

館山市の渚の博物館では、青木繁《海の幸》オマージュ展開催中です。

主催は、全国の画家で組織されているNPO青木繁「海の幸」会です。

本日は同会場にて、ギャラリートークが行なわれました。

講師は、主催団体の佐々木豊氏(洋画家)とワシオ・トシヒコ氏(美術評論家)です。

まるで掛け合い漫才のようなユーモアたっぷり、楽しく深く飽きない2時間でした。

晩年、青木繁が過ごした佐賀から駆けつけてくださった金子剛氏(画家)も加わり、

青木繁を尊敬し、愛する画家さんたちの思いがあふれていました。

このオマージュ展は、一流の画家さんによる作品が並んでいますが、その趣旨は、

青木繁が滞在した小谷家住宅(館山市布良)の保存修理基金のための、チャリティ企画です。

ご購入希望の方は、NPO青木繁「海の幸」会にお問い合わせください。

なお、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会では、

会場ボランティアスタッフの協力をしています。

協力希望の方は、当会までご連絡ください。

小谷家の庭整備

日本列島、異常な大雨続きのため、各地で大きな被害が起きています。

館山では被害そのものはそれほどでもなかったようですが、

青木繁が滞在した布良の小谷家住宅は、道路より低いため、

玄関まわりの庭先が泥で崩れてしまいました。

そこで、1.5トンの砂利を敷き詰め、整備しました。

作業は小谷福哲さんと金久修さん、ご苦労さまでした。

ちなみに、小谷家はご当主が今なおお住まいのため、まだ一般公開はされていません。

見学希望者は、公開見学日ほかイベントにご参加ください。

庄漫さんの銅版画『わだつみのいろこのみや』

「青木繁は、重要文化財に指定された作品を2点残しており、『海の幸』はご存知のように布良の小谷家に滞在した1904年夏に描かれました。もう1点の『わだつみのいろこのみや』は、布良で海女メガネを借りて海に潜った感動がヒントになって、3年後に完成したと言われています。

青木繁の没後100年にあたる昨年、私は遺族として何か記念に残るものを故郷に残したいと思い、中国出身の版画家・庄漫さんに銅版画『わだつみのいろこのみや』の制作をお願いしました。彼女は歯科医から版画家に転身した才能ある若い女性で、国際的に活躍しています。28歳で夭逝したことにちなんで28点制作してもらい、現在1点は久留米市役所に展示されています。

いずれ、布良に記念館が開館した折には、寄贈したいと思っていますが、今回、青木繁オマージュ展ということですので、小谷さんに1点をお預けし、期間中多くの皆様に見ていただけたら幸いです。

高山喜一郎氏 (青木繁の弟・義雄の孫)」

 

久留米出身の高山さんは、赤坂東急ホテル3階で「赤坂有薫」という、

おいしい九州料理の飲食店を経営されています。

このブログをご覧の方は、館山から紹介で来たとおっしゃってください。

きっと大歓迎され、もしかしたらサービスがあるかも!?