北下台(ぼっけだい)に観光地図看板を設置!

館山湾(鏡が浦)の中央で、海を見下ろす高台に位置する「北下台(ぼっけだい)は、高ノ島・沖ノ島を眺望する景勝地として好まれ、1885(明治18)年に館山で最初の公園として整備されました。

新井浦(旧安房博物館周辺)から柏崎浦(現自衛隊東側の岸壁周辺)にかけての浜は、物産の津出しの湊として江戸期より栄え、明治期以降は近代水産業発展の拠点として重要な役割を果たしてきたのです。

ここには、日本の近代水産業の父と呼ばれる関澤明清の顕彰碑や、海運・水産に貢献した正木貞蔵・清一郎の名を冠した「正木燈台」など、多くの歴史文化遺産がありながら、残念ながらヤブに囲まれて海も見えず、市民の憩いの場ではなくなっていました。

私たちの事務所(小高記念館)の元所有者である故小高熹郎は、生前、次のことを言い遺したといわれています。

① 館山市史に水産業のページをもっと増やすこと。

② 関澤明清と正木清一郎を、博物館の常設展示として顕彰すること。

③ 北下台を公園として再整備すること。

北下台は、城山公園(里見氏館山城跡)と多目的第桟橋(夕日桟橋)・渚の駅(旧安房博物館)を結ぶウォーキングコースとして最適の文化スポットです。

私たちはその遺言を実現すべく、ポイントラリー形式のガイドウォーキングや、、水産史を知るシンポジウムなどを繰り返し開催してきました。その結果、嬉しいことに、館山市商工観光課によって観光看板地図が設置されました。

「此碑は水産家関澤明清君の功績を不朽に伝ふる為、明治三十年同志四百六十名より拠出の資金壱千有余円を以て建碑に着手し、同三十二年五月に竣工す…」という碑文のとおり、後世に語り継いでいかなくてはならず、その一歩となったかもしれません。

ただかなしいかな、最近では、関澤の碑や、坂東丸・順天丸の遭難供養碑をはじめ、多くの碑が白くカビっぽくなっているのが気になります。こんなステキな地図看板ができたのですから、韓国浦項の「快鷹丸遭難紀念碑」のように、関澤の功績の恩恵にあずかり、あるいは敬慕する人たちでまもっていければな、と願っています。

北下台サイン看板8_23

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