布良日記

小谷栄 としさんの家

長年住んでいた家を富崎の過去の文化のあかしとして残そうと決断されたご夫婦

こじんまりしたすまいができたようです 本当によかったですね

秋にはそちらへ引っ越しができそうなことを聞きましたよ

横は管理棟です

全国皆さんの温かいお力です でもこれから記念館となる家の改築がはじまります

これからもよろしくお願いします

栄さん としさん、 引っ越したら台所でこの布のぞうりはいてくださいませんか

私の手作りのプレゼントです ちょと恥ずかしいな

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明日は富崎でかってお祝いでうたわれていた建前のほめことばでも披露しましょうかね

また見てくださいね

 

 

 

 

 

手打ちうどん作り

千葉県立館山野鳥の森の催し(7月)に参加

前から一度うどん作りに挑戦したいと思っていたのでわくわく

うどん粉をビニール袋に入れてわたされる えっ!手でこねるのではない?

20分ねかす間に竹はしを作りますと 真竹が水に湿してある

小刀を使うのは小学生以来かな なんてお喋りしながらの大人たち楽しそう

子供連れのお母さんはなれぬ手つきで真剣 子供も真剣・・

次は足でこねて・・こねて・・ またまた驚き そうか だから靴下持参なのか

次は包丁で押し切り 外で大なべに湯がぐらぐらしている

私のおちょこちょいはお椀に盛った写真をなぜか消去

めんは こしがありつやもあり職員の方のつゆも実に美味い はしはお持ち帰り

ありがとう 家つくれるかなr

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台風が去って

私が子供のころは台風がさると、女世帯の家には必ず親戚の男衆が家の様子を見回りにきてくれた

我が家は海に近いので雨戸も今も板戸だ 板戸でないと潮でさびが早くでる

建具屋さんに板戸に作り替えてもらった時安くて一枚3万はするよといわれた

それでも板戸のほうが長持ちするし安心だ かっては

台風前には漁師達が声かけあって船を曳いたが

いつの間にか機械で引くようになった

だんだんと漁師になる人がいなくなり港はさびれてきた

魚がとれなくなったのか、仕事がきついのか、生活をするのには経済的にたいへんなのか

私にはわからない  覚えているのは父が帰ってくると、しょい籠をしょって港にいきおかずになる

魚をもらいにいくのが子供の私は仕事だった 大人は揚げるのを手伝った

ひもで作ったくじをひきおかずの魚をもらってきたものだ

布良のあゆど まだ白浪が押し寄せている  にさいの海こちらも白浪が立っている

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ダイヤモンド富士

夕ひ 2

日中は陽が出ていたのに4時過ぎはどこへ行ったのだ

何を探してる?・・

26年7月8日~7月12日ごろダイヤモンド富士が観れるよと

元船員が教えてくれたからその日を待っている だめだとわかっていても

麦わら帽子を被り港にさがる

潮で煙って空気はむせかえるほど すぐ顔がべたべたする

子供のころ一度だけ漁船にのせてもらい海にでた、その時の潮のにおいだ

台風8号の影響で海も荒れてきている

その中でサーファーが4,5人泳いでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

富崎支部 相浜いきいきサロン

今日は七夕  毎年すっきりした空ではなくて寂しいと思うのは私だけかな

相浜では 社会福祉協議会富崎支部のボランティアのみなさんが

お茶のみ会を企画してくれ社務所に集まりました

布良のボランティアの皆さんもおいでくださいましたよ

富崎弁だと

”おおーよう、きてくれました。ゆっくりしゃべっていってくらっしぇ

おんだら三B体操の仲間が体操をやっからみて真似してさ・・きよしのずんどこぶしがながれる

そっから 踊りの会が相浜音頭、安房節を踊るからみてくらっしぇの、 拍手も頼むや!

こんなところかな  保健婦さんも見えて血圧を測ってくれましたよ

問題・・・トイレが和式で・・・我慢したって・・困ったさ・・避難所にもなるからみんなで考えべっさね

1・いきいき 3 4 相浜音頭 6

 

 

夏越しの大祓い

下書き保存のままでした ばちゃんが書いておりますのでごめんなさい

6月30日大祓いの神事がおこなわれました

一週間前から氏子総代さんが茅の輪を作ってくださいました

ご苦労様でした

茅の輪を左・右・中央と三回くぐると災い厄をのがれられると昔からいわれています

布良崎神社の茅の輪です

布良崎神社の茅の輪相浜神社の茅の輪

 

 

へいだうら(平砂浦)

漁師フラワーライン館山ホーストレッキングパークうまいね

相浜漁港は明治35年つくられた  相浜から見える海岸線平砂浦 地元ではへいだうらという

砂地6キロが続く その間に4本の小川が流れている その小川の名前もいちばんじろう、にばんじろう、さんばんじろう

よんばんじろうと呼んでいる

その へいだうらをおかの方へ(神戸地区)向かっていくと

現在は館山市立房南中学校があるが昭和16年には館山海軍砲術学校があって平砂浦は演習場に使われていたときく

房州の砂漠とまでいわれた、へいだうらに戦後神戸の女村長さん早川みたさんが県郡地域とで砂防林をおこなった

昭和23年から10年間だ 相浜からも女の人が働きにいった 私の母も働きにでかけていった

そして白砂青松といわれていたへいだうら が松くい虫などにやられれて松林が消えた そして今植栽が始まっている

フラワーラインは昭和42年にできた 最初は有料道路だったがすぐ無料になった

相浜から西崎方面へ道路沿えに常に季節の小花さいて心を和ませるている

1,2年かフラワーライン沿えにホーストレッキングパーク館山の施設ができた

話を聞くとこれからの季節夕陽のへいだうらをのんびりトレッキングするとか

写真の右側これは相浜漁協でやっているバーベキュー店  若いお嬢さんたちが楽しいそうに過ごしていた

 

 

 

今はm

 

 

 

稚貝は岩につける

7月2日

満潮時06時33分/19時58分

干潮時01時01時/13時17分 中潮(布良)

にさいの堤防に白い小旗が立っている

海女さん達が潜ってよいという合図だ・・やたら潜ることは違反だよ

私が浜を歩いていた時間は12時ごろ・・

潮がひいて浜で海士や海女さん達の声まで聞こえる

あわびや磯ものがとれたかな ひと仕事が終わってから

海士や海女さん達で鮑の稚貝をつけたそうだよ

えっ?つける?そうおくのでなく岩につけてあげるのさ  知らなかったね

稚貝の大きさは女の人の小指の先の一節もないほどのちいささとか

これが大きくなるには何年さきかな・・・だからあったなんて小さなあわびを

とっては絶対にだめ・・勿論

にさいにがりだまいそだま

にがりだまとこの土地ではいう ゆでで みをだして はかまをとり

食べる  皿のにがりだまは味噌あじで(味噌・味醂・砂糖)作ったともらう

味噌漬けのしょっぱさより甘口でうまい

ごちそうさまと私も おかもの(落花生の煮豆)をお返しする