地域教材で日韓交流を学ぶ-生徒と学ぶ「四面石塔」の謎

地域教材で日韓交流を学ぶ
~生徒と学ぶ「四面石塔」の謎

執筆:愛沢伸雄

*千葉県歴史教育者協議会会報33号(2002年)収録

1.生徒が主役の社会科授業をめざして

全日制普通高校1年生「現代社会」(週4時間・4クラス162名)でおこなった授業実践の一部を報告したい。内容は身近にある歴史的な地域教材を通じて、生徒自ら課題テーマを設定し、10数時間をかけて調べながら、まとめは書く力を身につけるために小論文の作成という授業構成である。この実践のねらいは、まず第1に図書室での「調べ学習」を中心にして、生徒自らが主体的に学習課題を探し出し、その課題を追求するなかでさまざまな身のまわりの認識を変えていくことである。第2には、取り上げた教科書の単元は「『現代社会における人間と文化』文化交流と国際理解」であるが、身近なことから国際交流を考えるために、地域にある歴史的な資料を学ぶことで、国際交流にふさわしい地域認識を育てることにある。

2.テーマを追求する調べ学習から小論文の作成を

第1学期中間考査以降、「『現代社会における人間と文化』文化交流と国際理解」を取り上げることにした。ところで2002年「ワールドカップ・サッカー」という国際的なイベントが日韓共催となったので、日韓の国際交流を視点にして地域からの国際化のあり方を探ることにした。

はじめに授業で取り上げる教材を検討した。課題テーマを設定し追求するために、まず生徒たちが興味・関心をもつ歴史的な内容の教材を構想した。と同時に課題を見つけることに時間がかかったとしても小論文作成において、生徒の調べ学習の姿勢が反映し、学習の達成感が感じられていくような教材になることを想定した。

そこで私自身が数年来調査研究している千葉県館山市の浄土宗寺院である大巌院にある「名号石塔」という文化財を取り上げた。この石塔は東西南北の四面に4種類の字形でそれぞれ「南無阿弥陀仏」と刻字されているが、石塔のなかの刻字以外には関係した史料がなく、極めて謎に満ちたものであった。ゆえに生徒たちがさまざまに考察し謎を解いていくなかで、主体的な調べ学習と日韓の国際交流のあり方を考えることができる地域教材と判断した。

□ 授業構成

●1時間目
「真の国際化とは(文化交流と国際理解)」を考える
~2002年「ワールドカップ・サッカー」と日韓交流について

●2時間目
地域にある交流を伝える歴史的遺産を紹介する。
~プリントの「四面石塔」をみて石塔のことを推定する。「私は四面石塔をこう推定する」提出

3時間目
クラスみんなの意見 「謎の四面石塔をこう見た」報告と発表、意見交流

●4・5時間目
図書室調べ学習(a)
テーマ設定準備「四面石塔の謎-テーマを決める」
参考資料プリント配布
調査 (1)年表作成 「四面石塔建立の時代の年表を作る」提出
調査(2)仏教関係 「仏教や時代の歴史事項を調べる」 提出

●6時間目

●7時間目
HR教室-「テーマ設定」の予備調査-提出プリントと学習のチェック

●8・9時間目
図書室調査学習(b)「テーマ設定」と調査項目の検討・書籍資料確認

●10時間目
愛沢自作VTR視聴「ハングル四面石塔の謎」

●11・12・13時間目
図書室調べ学習(c)調査研究
愛沢作成「雄誉霊巌上人」年表

14時間目
「調査研究ファイル」の配布

●15時間目
HR教室-「調査研究ファイル」のチェック・参考資料愛沢論文配布

●16・17・18時間目
小論文作成
作成上の注意-専用原稿2枚(2400字)配布

●19時間目
小論文と「調査研究ファイル」一式の提出(期末考査時間)

3.謎の多い大巌院「四面石塔」を地域教材に

近年の地域史の観点から地域文化財を調査研究して教材化をすすめた。ここで取り上げた館山市の大巌院にある千葉県指定有形文化財の「四面名号石塔」を地域教材にすることで、地域に生きる人々の文化交流や平和の思いを身近なものにするように認識させたい。授業展開では、地域教材に興味・関心をもたせるために、まずこの石塔建立の意味を推理させながら、時代状況や仏教に関すること、あるいは地域の歴史を丁寧に調べる学習を促した。なかでも石塔を通じて、自分の住む地域から東アジア世界との関わりや国際交流のあり方を考えることを求めた。

江戸時代初期の1624(元和10)年に建立されたと思われるこの石塔は、四面に梵字(サンスクリット)、篆字、和風漢字、ハングルによってそれぞれ「南無阿弥陀仏」と刻字された、日本でも大変めずらしい名号石塔である。千葉県指定有形文化財(建造物)「四面石塔附石製水向」(以下「四面石塔」と略する)については、「千葉県の文化財」において、「元和10年(1624)に雄誉霊巌上人が建立した玄武岩製の四角柱の名号石塔です。総高219センチメートルあります。東西南北の各面には、北面のインドの梵字に始まり、西面に中国の篆字、東面に朝鮮のハングル、南面に日本の和風漢字と、わが国まで仏教が伝来してきた国々の言葉で『南無阿弥陀仏』と名号が刻まれています。これは阿弥陀如来の救いの慈悲の光があまねく世界を照らしていることを表しています。このなかでハングルは、李氏朝鮮第4代王世宗が1446年に公布した『訓民正音』という文字で書かれています。それは現在使用されているハングルのもととなった古い文字で、非常に短期間で消滅したため、本家の朝鮮でも近年までよくわからなかったものです」と記載されているだけである。

この「四面石塔」の東面にある、1624(元和10)年に刻まれたと思われる、現在のハングル字形と違う古い字形のハングル(以下、初期ハングルと略する)の刻字に注目させたい。この刻字を通じて、16世紀末から17世紀初頭の東アジア世界の日本と朝鮮との関係が、安房という地域から浮かびあがってくるはずである。結論的には「四面石塔」の一面に初期ハングル字形によって、「南無阿弥陀仏」と刻字させたなかに、秀吉の「朝鮮侵略」が関わることが暗示していると私は推定している。授業のなかでは、秀吉の「朝鮮侵略」後におけるアジア世界の「善隣友好と平和」を願った石塔と大胆な推理を提示した。

ところで四面に刻まれた文字以外は何もわからず、結局は推定の域をでないが、北面の梵字「南無阿弥陀仏」の右側に刻字されている「寄進水向施主山村茂兵建誉超西信士栄寿信女為之逆修」とか、左側の「元和十年三月十四日房州山下大網村大巌院檀蓮社雄誉(花押刻字)」の刻字に注目することで、刻まれている名号や讃偈(経文)から平和の願いや思いを推定したり、石塔建立に関わったと思われる雄誉上人やその関係者の平和の思いを調べることはできると判断した。

史料もなく謎だらけであっても、生徒たちが歴史の謎を解く楽しさや歴史的な推理の面白さをもった地域教材なので、個々に課題テーマを決めることができれば、調べ学習が十分に成り立つだろう。また、テーマを決めるにあたって大胆に推理したものであっても、「四面石塔」が製作された時代背景や、そこに関わっている人物の歴史、あるいは初期ハングルの歴史を検討することで、「善隣友好と平和」の思想を探ることができるであろう。さらに、雄誉上人という一人の僧侶を通して、地域から日本、朝鮮、東アジアとの交流と「善隣友好と平和」の行動を学び取ってもらいたいと考えた。

ここで石塔の四面に刻まれた文字を示す。(北面・西面・南面・東面の写真)

 

4. 授業のながれ〜「四面石塔」から、テーマを設定し、調べる

授業の2時間目に、次の質問しプリントに書かせた。「右の四面石塔に刻んであることは次のことだけです。この刻んであるものからどんなことがわかるか、あなたなりにその事実、あるいは推定などを書いてみてください。」全クラス160余名のおもだったものを6つに分けて要約してみた。

a.いつごろつくったのか:「元和十年」とは人が亡くなったときか、この塔を建てたときか

b.どこにあるのか:「房州山下大網村大巌院」

c.誰がつくったのか:「寄進」とあるので「山村茂兵」という人が建てた・「大巌院檀蓮社雄誉」がつくったかも・ハングルがあるので韓国の人がつくった・「南無阿弥陀仏」とあるので仏教徒がつくった・「大巌院檀蓮社雄誉」の名前がある・「建誉超西信士」「栄寿信女」とある・里見家の信仰や外交に関係している人のかも

d.なぜそこにあるのか:戦争で亡くなった人たちを慰霊した碑・「南無阿弥陀仏」と仏をまつったお墓で日韓交流を深めるため・皆が幸せになるように願ってつくられた・それぞれ違う国の文字があるので何かの象徴・何かの記念に建立

e.さまざまな推定:それぞれの言葉にはどんな意味があるのか・どうして四面に刻んだのか・文字の内容はそれぞれ同じではないか・4面に「南無阿弥陀仏」とお経が書いてある・「罪を皆除く」と書いてあるので皆の罪を除いてくれる・「寄進水向」とあるので水に関係ある・いろいろな国の人々が亡くなって合同で墓にした・「逆修」に関係あるのか・「罪を皆除く」と書いてあるので罪をもった人の石塔・韓国や中国から「南無阿弥陀仏」が房総に伝わりそこから全国に広まった・「八万四」は戦死した人の数

f. 石の四面の文字(東面の文字)ハングルに似ている・文字はハングルである・甲骨文字では(南面の文字)漢字では(西面の文字)漢字に近い・漢字になる前の文字に似ている・「金印」の文字に似ている・西面と南面の字が似ているので同じ内容か(北面の文字)お墓の後ろに立てる木に書いてある字の似ている・梵字では(石塔の上部の文字)北面の文字と同じ文字か・四面すべて同じである

以上、生徒たちはさまざまに「四面石塔」の様子を推定しているが、四面のひとつが漢字で「南無阿弥陀仏」という刻字なので、やはり仏教に関するお墓とか、慰霊の石塔と答えたものが多い。中学校での歴史学習では、身近にある仏教の歴史や文化などを取り上げていないのか、一般的な仏教に関する知識をもっていないと感じた。

各生徒の推定は、すぐにクラスごとにプリントにまとめ、次時に「クラスみんなの意見『謎の四面石塔をこう見た』」として報告した。授業では、特徴的な推定内容を生徒自身に発表させ、その理由も述べさせた。またそのことについて他の生徒の意見や感想も出させ、自分と違う推定の事項については、今後調べ学習をする際に参考にするようにと指示した。

4時間目からは図書室での「調べ学習」に入った。プリント「四面石塔の謎-テーマを決める」を配布し、各人が課題テーマを考えていくために、まず3時間をかけて全体が共通の調査研究をすることにした。ひとつは年表の作成で「四面石塔建立の時代の年表を作る」とし、ふたつ目は仏教関係の基本事項を確認するために、「仏教や時代の歴史事項を調べる」とした。この2枚のプリントは提出させた。調べ学習を指導しながら気がついたことは、授業に集中できない生徒も少なくなく、やはり図書室の資料だけでは無理とわかり、わかりやすくかいた教科書や資料集からプリントを作成し参考資料とした。プリントは随時提出させ、不十分なところをチェックした。

7時間目はHR教室に戻り、いままでのプリントの提出状況を確認しながら、課題テーマのプリントを配布し各生徒に考えさせた。次時から3時間、図書室で課題テーマを考えるとともに、そのための参考文献を探すことを示唆した。

8時間目からいよいよ調べ学習のために、課題テーマの設定と調査項目の検討や参考文献の確認に入った。ここからが一番大切な作業であるので、さまざまな情報を流すことにした。なかでも5年前に作成したVTR「ハングル四面石塔の謎」を見せた。生徒たちは映像によって「四面石塔」の大きさや刻字の内容などを確認したことで、推定してきた一部のことの解答となった。視聴後、「四面石塔」の謎に対して、私自身はどう推定したかを簡単に紹介した。生徒たちには、自分の推定やクラス皆の推定意見を参考にしてテーマをつくり、資料を集めながら調べ学習によって課題を追求し、小論文にまとめていくことを指示した。

5.小論文をみる

(1)S・Aの場合

① 初めに推定したおもなこと
・元和十年三月十四日に建てられた・「南無阿弥陀仏」はお経でよく聞く
・お墓に刻まれている文字のようである
・面ごとに書いてあるのは、その面に対して何か意味があるのだろうか

② 調査テーマ:「なぜ四面に違う文字なのか」
・日本とそれぞれの国で何か交流があったのか・石塔ができたときのそれぞれの 国の出来事は
・4つの文字について詳しく調べる

③ 小論文題名:「なぜ四面に違う文字なのか」 
執筆:S.A(県立長狭高校1年時)

<はじめに>
私は千葉県館山市の浄土宗大巌院にある千葉県指定有形文化財「四面石塔」を知り、いろいろな疑問が浮かんできた。そのなかで、私はそれぞれの面の文字の国と日本との関係や交流を知りたいと思い調べた。まず、それぞれの文字について知り、日本と関係の深い国について知ろうと思った。次に石塔に刻まれている「南無阿弥陀仏」についてどういう意味で、なぜその文字なのかということを調べることにした。

<1.文字について>
まず、それぞれの文字について知ることで、日本との間に何かあるのかということを調べた。北面の文字については「悉曇(しったん)」という。悉曇とはサンスクリット語のSiddhamの音訳であり、サンスクリットの文字を悉曇と称している。一般的にはサンスクリット文字、専門的には悉曇として使い分けられている。悉曇学というのは、中国と日本においてサンスクリット文字においてなされた文字や音声の学問という。日本語とサンスクリットとの間には、古来中国を通じて、非常に深い関係がある「南無阿弥陀仏」といった題目も本来はサンスクリットに由来している。
次に西面の文字については、漢字になる前の文字で「篆字」という。日本で使われる漢字は中国から由来してきたものである。南面の文字も日本で使われている漢字である。
そして東面の文字は朝鮮の文字で「ハングル」という。このハングルは李氏朝鮮の第4代国王世宗が1446年に公布した「訓民正音」という文字で書かれている。それは現在使用されているハングルの基となった古い文字で短期間で消滅したため朝鮮でも近年までよくわからなかったものという。このようにそれぞれの文字から中国や朝鮮と日本が何か関係があったということがわかった。

<2.「南無阿弥陀仏」について>
四面に刻まれている文字を解読したところ、どれも「南無阿弥陀仏」という文字ということがわかった。それはお寺などで多く耳にする言葉であったので、もっとよく知ろうと調べた。
「南無阿弥陀仏」という文字は「阿弥陀仏」に帰依するという意味で、中国唐代の高僧善導の解釈によれば、「南無」とは帰依を意味するサンスクリット語であり、仏に帰依して救いを求めようとする民衆の願いを実現するために働く阿弥陀仏の行動を示しているという。「南無阿弥陀仏」によって、民衆の願いと仏の行動が一つになって、平和な極楽浄土で仏になることができると説いた。つまり、生命の危機や死の際に「南無阿弥陀仏」と唱えると皆が仏になり、極楽浄土で幸せになるという。
こういうことから日本や朝鮮などが阿弥陀仏の力で皆が友好で幸せになることを願い、「南無阿弥陀仏」と刻んだのではないかと、私は推定した。

<3.日本と朝鮮との交流〜「朝鮮通信使」をみる>
調べたなかで日本と朝鮮とはいろいろな交流があったとわかったが、さらに調べていくと、豊臣秀吉の「朝鮮侵略」が大きな意味をもっていると知った。1592年から96年の秀吉の「朝鮮侵略」は朝鮮の人々の心に日本人に対する憎しみを残した。しかし、江戸時代に入ると対馬藩や幕府の対応のなかで友好関係は回復する。これは朝鮮通信使の来日というかたちで実現したのであった。
この朝鮮通信使というのは、朝鮮国王が日本国王(将軍)に国書を渡すために派遣した使節である。はじまりは1404年に足利義満が朝鮮と対等な外交関係を結び、双方で国書を交換したときである。しかし、両国使節の友好的な往来は、1592年からの朝鮮侵略(文禄の役)と1597年の朝鮮再侵略(慶長の役)という一方的な侵略戦争で崩れてしまった。
江戸幕府は、こうした侵略戦争の後に友好関係を修復していくために、江戸時代を通じて朝鮮通信使を招くようになった。通信使は1607年から1624年までの国交回復・戦後処理のための使節が3回と、1636年から1811年までの将軍代替わりのときの使節が9回の合計12回である。最初の3回は日本からの使節に対する答礼の使節で、回答兼刷還使という。これは答礼を兼ねて、秀吉の「朝鮮侵略」のときに日本へ連行された多くの朝鮮人捕虜の返送を目的にしていた。捕虜には陶工や学者などが含まれていたが、彼らが江戸時代初期の技術・学問の発展に果たした役割は大変大きなものであった。この答礼のための使節が派遣される背景には、長年朝鮮と日本の間で交易を通じて文化交流を続けていた対馬藩の役割が重要であった。
また、記録によると通信使が途中で立ち寄るところでは、日本の知識人の訪問があとをたたなかったという。当時の日本において儒学の先進国である朝鮮から学びたいという意識が高かったのだろう。このことから通信使を通じて江戸時代には朝鮮の文化が伝えられ、友好的な関係があったことを忘れてはならない。

<まとめ>
この石塔について調べていくうちに、たくさんの疑問が浮かんできて、何かワクワクしたような気持ちになった。今までこういうまったくわからない、資料も少ないものについて、こんなに詳しく調べたことがなかったのでかなり手こずった。
私のテーマであるこの石塔に刻まれている4つ文字は、それぞれサンスクリット(悉曇)・篆字・漢字・ハングルであることがわかったが、このなかでもハングルの文字が日本との関係が一番強いと感じ、とくにハングルや朝鮮との交流について調べてみた。その結果、16世紀末の秀吉の「朝鮮侵略」が関係しているように思えた。しかし、そのことが関係あるかどうかについては、資料もなくよくわからなかったが、調べたなかでは重要な関わりがある出来事と思った。そして、「南無阿弥陀仏」という文字は、仏に帰依して救いを求めようとする民衆の願いと仏の行動が一つになって、平和な極楽浄土で仏になることである。それが「南無阿弥陀仏」を唱えることの意味とわかった。この言葉がもし秀吉の「朝鮮侵略」と関係すれば、石塔は日本と朝鮮との友好と平和の思いを表したものかもしれないとまとめたい。四面石塔を通じて日本と朝鮮の出来事を学んできたが、テーマを決めて調べるなかで、とくに両国には友好と交流の深いつながりがあったことを知った。

(2)生徒たちの感想と授業分析

S・Aはまとめで「この石塔について調べていくうちに、たくさんの疑問が浮かんできて、何かワクワクしたような気持ちになった」と学ぶことの楽しさを印象的に語っている。多くの生徒が「調べることが大変でしたが、少しずつわかっていく喜びもあるので楽しかった。こんな授業もいい」とか、あるいは「自分で見つけて疑問となったことを調べていくことで、自分なりの結果がでるので達成感があった」と述べている。とくに「調べていくうちにいろいろなことがわかってきて・・・・次から次に調べたいことや疑問が浮かんでくるので、すごく面白くなってき」たとか、「疑問を調べていくと、もっと疑問がわいてくるところが調べ学習の面白いところ」という言葉に、生徒たちに主体的な学習スタイルを確立させていくことの重要性を強く感じた。なかでも調べ学習に入る前とその後の学習では、学ぶ姿勢が変わったという感想が目立った。

日頃、生徒に学ぶ課題を設定し、その課題追求と解決のため学習方法を教えることはない。S・Aがこの授業で「何もわからないことに対して疑問をいだき、それを調べていくうちにいろいろなことを得るという方法は、とてもすばらしい学び方」であると学んだのは大きな収穫であったろう。また「いろいろな疑問にぶつかり夢中になって調べた。さまざまなことを知る方法を学ぶことができてとてもよかった」などと、授業展開で学ぶことの意味や方法などを認識した生徒がいたことを大切にしたい。

さて、S・Aはスタート時に四面石塔を見て「面ごとに書いてあるのは、その面に対して何か意味があるのだろうか」と推定したが、資料が少ないなかでテーマの設定では「日本とそれぞれの国で何か交流があったのか」と課題をしぼった。そして、調べ学習では石塔ができた時代の出来事として、日本と朝鮮の交流の姿を「朝鮮通信使」の歴史から探っている。

「探れば探るほどいろんな謎がでてきた。そして、もっといろんなことが知り、謎を解い」ていきたいと述べた生徒もいるが、調べていくうちに「私のテーマの答えにたどり着けるのだろうか」と不安になったり、「判断する資料が乏しいという以前に、自分の歴史に対する知識の甘さを痛感」させられたと率直に述べたものもいた。歴史の謎などを探っていくような課題は、テーマ追求の姿勢を呼び起こし、認識を深化させる契機になっていくように思われた。

さらに、S・Aは「『南無阿弥陀仏』についてどういう意味で、なぜその文字なのか」という課題を追求しているが、「日本や朝鮮などが阿弥陀仏の力で皆が友好で幸せになることを願い、『南無阿弥陀仏』と刻んだのではないか」と推論し、「石塔は日本と朝鮮との友好と平和の思いを表したものかもしれない」と仮説をたてた。

日韓の歴史や交流関係を課題にした生徒たちのなかには、「・・・・謎がでてくる石塔である。これをきっかけに、もっとたくさんの人々にその存在を知ってもらい日韓の交流を広げていけないか」とか、「僕たちが今回やったような学習が必ず必要にな」るといい、「四面石塔がこれからの日本と韓国・朝鮮との関係をもっと良くするためのきっかけの一つとなる」と、数時間の調べ学習で深めた歴史的な認識であっても、生徒なりの日韓交流の提言がなされたところを注目したい。

最後に、地域について生徒たちはどんな認識をもっただろうか。「ただの田舎の町としか思わず何も知らないまま、何も感じないまま暮らしてきた」だけでなく、「地域について知らないし、知ろうという気持ちももっていなかった」ことを正直に述べた生徒がいた。「地域のことを何も知らないということを思い知らされ、安房もとても立派な歴史があることを知」ったと、この授業がいま住んでいる地域を再認識する機会となったようだ。

今後、社会科学習を進めていくうえで、足元にある地域を見直す謙虚な姿勢が国際化にふさわしい歴史的な認識のベースとなることや、地域認識を深めていくことが日本の歴史を具体的に学ぶ契機になることを、次年度の歴史学習への課題として提起していきたい。



【参考論文】愛沢伸雄

江戸時代ハングル「四面石塔」のなぞ〜安房から見た日本と韓国(朝鮮)の交流
16・17世紀の安房からみた日本と朝鮮〜朝鮮侵略から善隣友好へ
近世安房にみる朝鮮〜朝鮮通信使と万石騒動
地域教材「四面石塔」を活かした現代社会の授業実践