「海の幸」記念碑

館山ユースホステル(YH)建築時に、青木繁の没後50年を記念して、田村利男館山市長と全国の著名な画家が基金を募り、YHの隣接地に1962(昭和37)年建立。設計はYH同様、東京大学教授の生田勉
1998(平成10)年のYH廃業時、国有地の記念碑にも撤去命令が出たが、住民の要望に応え、館山市が借地料を国に払いうことにより保存された。
⇒ 建立経緯は論文「漁村が誇る3つの〝あ〟のまちづくり」

 

明治洋画壇の天才画家といわれる青木繁は30年にみたない生涯であったが、天ぴんにくわえ情熱を傾注した幾多の佳品を残し、明治浪漫主義の一大金字塔として景仰されております。

画伯は生涯で最も幸福であり、良き年であったといわれる明治37年夏、この地に滞留し、代表作となった〝海の幸〟を始め数点を描き上げました。

この碑は画伯を敬慕し、その芸術を愛する者たちがあい寄り、没後50年を記念して、ゆかりのこの地に建立したものである。

昭和37年4月 発起人 【記念碑文より】

⇒ 設計者:生田勉の想い



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