三重テレビ「欽ちゃんのニッポン元気化計画」の取材で、
レポーター兼カメラマンは、遠松未来さんが来訪されました。
今日の元気人は、彫刻家・船田正廣さん。
長野県上田市出身、東京芸術大学卒業、
千葉県立安房高校と安房南高校と安房西高校で美術教育をしながら、
制作活動に励んできた代表作は、安房西高校に展示されている刻画『海の幸』。
制作年は2004年。なんと、青木繁が『海の幸』を館山市布良で描いたのが1904年。
まるで導かれるように、ちょうど100年目にレリーフを制作されたのです。
館山では、青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会が発足しており、
船田先生はその役員です。
美術界では、青木繁が愛した地・布良は聖地と呼ばれ、
全国でも美術関係者の皆さんが、NPO青木繁「海の幸」会を立ち上げ、
青木繁が滞在した小谷家住宅の修理基金をつのる活動を展開中。
今年は、「青木繁《海の幸》オマージュ展」が東京銀座と館山で開催されます。
『里見氏稲村城跡をみつめて』 第五集
ー里見氏城跡(稲村城跡・岡本城跡)国史跡指定記念ー

⇒房日新聞2012.4.20付
里見氏城跡(稲村城跡・岡本城跡)国史跡指定記念のつどい
峰岸純夫氏 講演「享徳の乱と里見義実」


(房日新聞2012.4.18付)
里見氏城跡の国指定記念、市関整備、史跡整備へ市民ら集う
時代背景を研究家らが討論

(房日新聞2012.4.17付)
アワビ漁開拓の子孫 米国から来日-268x400.jpg)
ゆかりの地巡る 父の故郷に感慨深く
(房日新聞 2007.6.22付)
明治時代に房州から米国・カリフォルニア州モントレーに渡り、アワビ潜水器漁を開拓した小谷源之助の4男、ユージン・コダニさん(81)と、ユージンさんの娘キミ・コダニ・ヒルさんらが南房総を初めて訪れ、20日に源之助ゆかりの地を巡った。
源之助には男女合わせて9人の子どもがおり、ユージンさんは末子。若いころは建築家として働き、現在はカリフォルニア州オークランドに住んでいる。
ユージンさんらは前日の19日、NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラムが館山市内のホテルを会場に開いた催しに参加し、パーティなどで関係者と交流した。催しには白浜で最初にアワビの潜水器漁を行った増田萬吉、いち早く米国へ渡りアワビ漁の可能性を探り、源之助が渡米するきっかけとなった野田音三郎の孫らも横浜から参加、子孫が初めて一堂に会した。
真夏を思わせる太陽が照りつけた20日は、源之助らアワビ潜水器漁に関する調査を13年にわたり続けている、南房総市千倉町の山口正明さんが案内役、館山市国際交流員のサイモン・メットカーフさんを通訳に、ゆかりの地を巡った。
一行は安房博物館、同市白浜町根本の源之助生家跡、源之助の両親が眠る墓、源之助の両親が眠る墓、源之助と二人三脚でアワビ漁に貢献した、弟の仲治郎の生家跡を訪問し、2人を偲んだ。
自分のルーツをたどったユージンさんは、疲れも見せず山口さんに盛んに質問し、「生きているうちに父母の故郷を訪れることが出来て幸せ」と感慨深げ。また娘のキミさんも「祖父が住んでいた地域、遊んでいたであろう海を見ることができて感動的」と話していた。来日に際し、ユージンさんや関係者と連絡をとるなどした山口さんも、調査に携わってきただけに「子や孫が初めて出会う機会ができ、感慨深いものがありますね」と話していた。
戦国時代の武将・里見氏の拠点
稲村城跡に市道建設計画
保存を訴え教諭らがつどい 館山で14日
(あさひ新聞 1996.4.9付)
戦国時代の武将・里見氏が館山市稲に五百年前に造った稲村城の城跡に、県が造成する工業団地の取り付け市道が通ることになり、貴重な城郭の保存が危ぶまれている。このため、地元高校教諭らがフィールドワークと講演のつどい「房総里見氏と稲村城をみつめる」を十四日午後一時から同市コミュニティセンターで開き、市民の参加を呼びかけている。
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