青木繁が「海の幸」描いた小谷家、修復終え公開
29日から千葉・館山
(西日本新聞2016.4.7付)‥⇒印刷用PDF

青木繁が「海の幸」描いた小谷家、修復終え公開
福岡県久留米市出身の洋画家青木繁が1904(明治37)年に滞在し、代表作「海の幸」(国重要文化財)を描いた千葉県館山市の小谷家住宅(市有形文化財)が、修復工事を終えて29日から一般公開される。
房総半島最南端の、漁村として栄えた集落にある小谷家は、明治期に村の漁師頭などを務めた。屋根の吹き替えやなまこ壁の復元、展示の整備などを行い、約5千万円の総工費を、画家などでつくるNPO法人「青木繁『海の幸』会や、同会理事長でノーベル医学生理学賞の大村智・北里大特別名誉教授らが支援した。
29日から5月8日まで公開し、その後は土日のみ。一般200円ほか。維持のために年会費2千円の友の会も募集中。問い合わせは運営管理を行う「青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会」=0470(22)8271、awabunka@awa.or.jp
韓国財団がブロンズレリーフ寄贈
「海の幸」制作の小谷家に
(房日新聞2016.4.5付)‥⇒印刷用PDF

青木繁の代表作「海の幸」制作の地で、修復作業を終えて今月下旬に公開予定の小谷家住宅=館山市布良=に、海の幸を原寸大に彫刻した「刻画・海の幸」のブロンズレリーフが寄贈された。
館山美術会顧問の彫刻家・船田正廣氏が制作した塑像を、同氏と親交がある河正雄氏が理事長を務める韓国財団法人「秀林文化財団」が5枚のブロンズレリーフにした。
戦後70周年、日韓国交正常化50周年を記念した取り組みで、韓国国内3か所に加え、小谷家住宅と福岡県久留米市の青木繁の旧居の計5か所に寄贈し、日韓交流の架け橋とした。
レリーフは、すでに小谷家住宅に設置され、先月に除幕式が行われた。なお、同住宅は24日にオープニングセレモニーがあり、29日から一般公開される。
【写真説明】小谷家に設置されたブロンズレリーフと船田氏
海の幸誕生の小谷家公開へ
大村氏らテープカット500人でオープン式典
(房日新聞2016.4.26付)‥⇒印刷用PDF

明治を代表する画家・青木繁が代表作「海の幸」を制作した、館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」のオープニングセレモニーが24日、現地で開催された。保存活動の旗振り役となったノーベル賞受賞者・大村智氏はじめ約500人が、修復完成を祝った。29日から一般公開される。
大村氏が理事長で全国の画家で組織した「NPO法人青木繁『海の幸』会」、地元の「青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会」(嶋田博信会長)、現当主・小谷福哲氏、市の4者が連携して保存に動き、2年がかりの修復工事で、制作当時の姿を取り戻した。
小谷家前であった式典では、大村氏や嶋田会長、小谷氏、金丸謙一市長らがテープカット。大村氏は「待ちに待った修復、オープンを迎え喜ばしいこと。大勢の関係者の皆さんと喜びを分かち合いたい」と喜んだ。
青木が描いた当時の雰囲気を残す記念館室内には、「海の幸」の実物大の複製画、青木、小谷家に関連する数々の資料も展示された。
室内で海の幸の複製画を見る大村氏=同
室内を見学した大村氏は「こういうところから絵が生まれたのか。感無量。東京の真ん中では描けない。感性豊かな人が地域の風土に感化され、あのような絵が生まれたのだろう」と語った。
館長に就任した当主の小谷氏は「これだけの皆さんにお祝いしていただき感無量。オープンは通過点で、これから第2ステージが始まる。記念館を起爆剤に富崎地区に明治時代の活気を取り戻したい」。
地元保存会の嶋田会長は「この上ない感激。よくここまで来ることが出来た。皆さんのおかげで感謝のひと言に尽きる。維持、管理に全力を尽くしていきたい」と語った。
富崎小学校で開催された祝賀会には、修復に関わった人や地元の関係者ら500人が参集。地元の神輿、まつりばやしもあり、にぎやかにオープンを祝っていた。
一般公開は29日から。5月8日までのゴールデンウイークは特別公開期間で、その後は土曜、日曜日の週2日の公開を予定。入館料は、維持協力金として1人200円(小中高100円)。
【写真説明】修復された小谷家を前にテープカットした関係者ら=館山市布良
室内で海の幸の複製画を見る大村氏=同
「海の幸レリーフ除幕、小谷家住宅で
館山の彫刻家「足跡残せる」
(房日新聞2016.3.14付)‥⇒印刷用PDF

明治の洋画家青木繁(1882〜1911年)が「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅(市有形文化財)で13日、「海の幸」のブロンズレリーフの除幕式が行われた。同住宅の保存へ向けた修復が完了し、公開されるのに合わせ、美術愛好家が寄贈した。
「海の幸」は青木の代表作で、国の重要文化財。ブロンズは絵と同じ大きさで、石製台座にはめ込まれており、屋外に設置された。ブロンズの基になった塑像は、彫刻家の船田正廣さん(78)(館山市北条)が「刻画・海の幸」として2004年に制作。これを見た韓国光州市立美術館名誉館長の河正雄さん(76)(埼玉県川口市在住)がブロンズにすることを申し出た。出来上がった5枚は、日韓美術交流のため3枚が韓国に渡り、青木の出身地の福岡県久留米市と、ゆかりの小谷家住宅に寄贈された。
除幕式では、船田さん、河さんら5人が幕を外し、見事な出来栄えに約70人の出席者から歓声が上がった。船田さんは「これで少しは安房・館山に足跡を残せる」、河さんは「『海の幸』をブロンズで残せて愛好家として感動している」とそれぞれあいさつした。
小谷家住宅は4月24日に開館式があり、29日から一般公開される。
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・小谷家住宅、いよいよ竣工!
・公開行事
‥一般公開は4月29日(祝)から
・3月13日(日)臨時総会および見学会
・ブロンズ像「刻画・海の幸」船田正廣氏制作
‥河正雄氏より日韓5ヶ所に寄贈
・複製画「海の幸」「わだつみのいろこの宮」複製画
・NPO青木繁「海の幸」会・大村智理事長、ノーベル賞受賞
・千葉県文化財保護協会より功労者受賞
・青木繁旧居保存会・荒木康博会長が来訪
・小谷家住宅の保存に関わる基金と活動の報告
無印良品ローカルニッポンHPで紹介されました。
青木繁が「海の幸」を描いた小谷家住宅が地元保存会と全国美術家の協働で保存から公開へ
‥⇒http://localnippon.muji.com/news/1764/
寄稿「地域の貴重な文化遺産」
NPO法人青木繁「海の幸」会・理事長:大村智
(房日新聞2016.1.1付)

平成21年春、明治期の洋画家、青木繁を敬慕する画家の皆さんが設立準備をすすめていた「青木繁『海の幸』会」理事長への就任要請をいただきました。
日本美術界に多大な足跡を残された夭折の画家、青木繁の「その短い生涯に燃焼しつくした浪漫溢(あふ)れる世界に接して画家になる動機を得たという方が多くおられた」と聞いていたことから、私は単身、館山市布良の小谷家を訪れ、小谷家の皆さんと話をして事業の必要性を認識し、皆さんの熱意に動かされ、少しでも力になれればと理事長就任のお話をお受けしました。
若き学生たちが滞在した小谷家の一室に佇(たたず)んだとき、青木繁、福田たね、坂本繁二郎、森田恒友らの青春群像が建ち現れてくるような思いにかられたことを昨日のことのように思い出します。
平成22年1月、NPO法人の認可を受けた「青木繁『海の幸』会」が正式に創立され、「小谷家の修復、保存とその公開」を目標に置き、まずは全ての事業を遂行するために資金を集めることにとりかかりました。
平成23年3月の大震災により一時中断を余儀なくされましたが、全国の多くの方からこの活動への深い御理解と熱い御支援を賜(たまわ)り、おかげさまで寄付の目標もあと一息というところまで来ています。
小谷家の修復工事は順調に進み、この4月に無事公開に至れば、私どもの会としての初期の目的は達成できることになり、後は強い熱意をお持ちの地元の皆さんにバトンをお渡しすることになります。
修復を終えた青木繁「海の幸」誕生の家を地域の貴重な文化遺産として、後世に残していくことを切に希望するとともに、多くの皆様に、今から110年も前の日本近代洋画の原点が芽生えた地である小谷家を訪れていただき、当時の人々に思いを馳(は)せ、多くの感動を味わっていただけますことを、心から願っております。
(北里大学特別名誉教授)