和紙人形展in青木繫「海の幸」記念館
会期=平成28年10月中の土・日曜・祝日
時間=午前10時〜午後3時
入館料=一般200円・小中高100円・友の会会員無料
最寄駅=館山駅よりJRバス安房白浜行きで「安房自然村」より徒歩3分
駐車場=バス停「安房自然村」周辺の空地に駐車可
【関連事業】
10月10日(祝)あいの浜ウォーキング
会期=平成28年10月中の土・日曜・祝日
時間=午前10時〜午後3時
入館料=一般200円・小中高100円・友の会会員無料
最寄駅=館山駅よりJRバス安房白浜行きで「安房自然村」より徒歩3分
駐車場=バス停「安房自然村」周辺の空地に駐車可
【関連事業】
(読売新聞千葉版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
福岡県久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市内の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。
レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた館山市の小谷家住宅などに寄贈された。
除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。旧居保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援で、すてきなレリーフを飾ることができた」と話していた。
(朝日新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911)の代表作「海の幸」の原寸大ブロンズレリーフが同市荘島町の青木繁旧居に設けられ、29日、除幕式があった。韓国の文化財団が寄贈したもので、旧居保存会のメンバーらは「代表作がゆかりの地で永遠に生き続ける」と喜んだ。
「海の幸」は青木が1904年に手がけた作品で、国指定の重要文化財。千葉県館山市の小谷家住宅に逗留(とうりゅう)して描いた。原画は久留米市の石橋美術館に常設展示されていたが、10月に美術館の運営が石橋財団から市に移管されるのに伴い、東京に移される予定だ。
ブロンズレリーフは、在日韓国人2世の河正雄・秀林文化財団理事長(76)=埼玉県川口市=が、日韓の美術友好交流の架け橋として寄贈を申し出た。30代で「海の幸」に魅せられた河さんは日韓国交正常化50年の昨年、レリーフの制作を決意。5点を作り、絵の描かれた館山市の小谷家住宅や韓国の3美術館にも贈った。
レリーフは、絵画部分が横1.8メートル、縦0.72メートル。裸の男衆がサメを担いで更新している原画の迫力が立体的に表現されている。横2.2メートル、縦1.6メートルの台座は保存会が用意した。
除幕式で、河さんは「1970年代に出会った『海の幸』を、日韓両国に寄贈できて感無量。青木繁生誕の地で多くの人に親しんでほしい」と語った。旧居保存会の荒木康博会長は「文化交流の架け橋として大切にしていきたい」と話した。
(市川雄輝)
(読売新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市出身の洋画家・青木繁(1882〜1911年)の代表作で、国重要文化財「海の幸」のレリーフが同市荘島町の青木繁旧居に設置され、29日、除幕式が行われた。「海の幸」に感銘を受けた韓国・光州市立美術館名誉館長の河正雄(ハジョンウン)さん(76)(埼玉県川口市)が制作、寄贈した。旧居保存会は「青木が結んだ交流を大切にしたい」と話している。
レリーフはブロンズ製で、縦72センチ、横180センチ、厚さ4センチ、重さ75キロ。計5枚制作されたうちの1枚で、これまでに韓国の美術館や「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅などに寄贈された。
河さんは在日韓国人で、画家を志望していたが、家庭の事情で断念。電器店経営の事業に成功し、絵画作品を収集している。「海の幸」を見て「汗と海のにおいが充満し、労働の喜びが表現されている」と感動したという。
昨年、戦後70年関連行事で館山市を訪れた河さんは、日韓国交正常化50周年の美術交流として両国にレリーフを設置することを提案、製作費などの支援を申し出た。
除幕式には河さんのほか、レリーフの受け入れ窓口になったNPO法人「安房文化遺産フォーラム」(館山市)の愛沢伸雄代表や、久留米市の楢原利則市長が参加。河さんは「韓国と近い九州に設置で来てうれしい。美術の交流を通じて日韓の新しい時代を迎えたい」と喜んだ。
旧居は青木繁が上京する17歳までを過ごした家屋で、市民有志の保存運動が実を結び、2003年から公開されている。保存会の荒木康博会長は「多くの方の支援ですてきなレリーフを飾ることができた。韓国との末永い文化の架け橋となることを期待したい」と話していた。
(西日本新聞・筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市出身の洋画家青木繁の代表作「海の幸」を描いたレリーフが、同市荘島町の青木繁旧居に設置され29日、除幕式があった。寄進した韓国の秀林文化財団の理事長、河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=は「両国の交流の架け橋となってほしい」と期待を寄せている。
在日2世の河さんは、画家に憧れた経験から不動産賃貸業で成功後、美術館へ絵画寄贈を続けている。昨年、戦後70年と日韓国交正常化50年を迎えたことから、レリーフ化を企画。旧居の他に「海の幸」が描かれた千葉県館山市の小谷家住宅や韓国の美術館計5カ所に寄贈した。
レリーフはブロンズ製で幅約1メートル80センチ、高さ72センチの原寸大。御影石製の台座に乗せ敷地内の庭に置いた。河さんは「働く姿の美しさなどが表現された『海の幸』に感動した。レリーフを通じ、両国の絆が強くなることを願っている」と話した。
(森田明理)
(毎日新聞筑後版2016.7.30付)‥⇒印刷用PDF
久留米市同市荘島町の青木繁旧居に29日、青木の代表作「海の幸」(1904年)をモチーフにしたブロンズレリーフが設置された。在日韓国人の実業家で、日韓文化交流を進めるソウルの秀林文化財団理事長を務める河正雄(ハジョンウン)さん(76)=埼玉県川口市=が、美術作品を通した日韓友好を願って寄贈した。
レリーフは、オリジナルの海の幸と同じ縦70・2センチ、横182センチ。青木繁が海の幸を描いた千葉県館山市に住む彫刻家、船田正廣さんが原型となる塑像を制作した。日韓国交正常化だった昨年、河さんが船田さんに依頼してレリーフを計5枚作り、3枚を韓国の美術館、2枚を館山の青木繁「海の幸」記念館(小谷家住宅)と、久留米の青木繁旧居に寄贈した。
29日はレリーフの除幕式があり、河さんや久留米市の関係者ら約50人が出席。市所有の旧居を指定管理する保存会の荒木康博会長(66)は「このレリーフが館山、韓国の人たちとの懸け橋になることを願っています」と述べた。70年代に海の幸を初めて見て感動したという河さんも「美術品は人類の宝。レリーフを通し、今まで以上に日韓両国の友好を重ねたい」と語った。
(中村清雅)
(読売2016.8.17付)‥⇒印刷用PDF
朝鮮王族の李?鎔(イジュンヨン)の書「七言対句」が、館山市布良の市指定有形文化財「小谷家住宅」で公開されている。書は2年前、小谷家住宅で見つかり、その後の調査で、王位継承争いに巻き込まれた李が1899年(明治32年)から8年間日本に亡命し、同市北条(当時北条町)で暗殺されかけたことがわかった。
館山市立博物館の岡田晃司学芸員(58)によると、李は朝鮮王朝第26代皇帝の高宗のおい。七言対句は「江上晴烟人似樹楼中紅燭妓如花 韓国李?鎔」と書かれ、名前と雅号「石庭」の印が押されている。「大河の上の明るい霞(かすみ)の中に立つ人は樹(き)に似ている 楼閣にゆらめく紅(あか)い灯(あかり)の中に立つ遊女は花のようだ」という内容。
李の書は鋸南町の日本寺にもある。町史によると、1902年6月に書かれた「乾坤山」の扁額(へんがく)で、乾坤山は日本寺の称号の「山号」に当たる。日本次の住職と同郷だった人物が揮毫(きごう)を依頼し、奉納した。岡田学芸員は七言対句について、別人が書いた可能性を否定し、「日本寺のように頼まれて書くことがあった。一部しか知らない亡命者の偽作を書くことは考えにくい」と指摘している。
扁額を書いた同じ年、李は刺客に襲われる。1902年11月12日付「東京朝日新聞」によると、同5日午前11時頃、北条町八幡倶楽部で男が面会し、帰りがけに短刀で刺そうとしたが、家人に取り押さえられ、殺人未遂容疑で警察に逮捕された。男は東京から船で入り、警察も尾行中だったという。
明治期に政治亡命し、命を狙われたことは、小谷家住宅で七言対句を見つけたNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が、当時の外務省資料や、警察の報告書などを国会図書館で調べ、裏付けた。愛沢さんは「神戸でも、朝鮮王族関係者の同時暗殺が亡命者内で計画されていた。李は館山で宿舎を転々と変えていた」と語る。
小谷家当主の小谷福哲さん(65)は「なぜ小谷家にあるのか、どんな気持ちで書いたのか知りたい。波乱万丈、数奇な運命をたどった李が、その後、無事王族に復帰できたのが救い」としている。
小谷家住宅は、洋画か・青木繁が「海の幸」を描いた場所として知られ、七言対句は、小谷家修復後の「青木繁『海の幸』記念館」に展示中だ。
(房日新聞2016.4.1付)