海の幸レリーフ、ソウルに
秀林アートセンターに設置
(読売2016.5.19付)
明治の洋画家、青木繁の「海の幸」のブロンズレリーフが韓国のソウル市に開館した秀林アートセンターに設置された。12日の除幕式に出席した館山市のNPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表(64)が除幕式の様子を語った。
レリーフは館山市の彫刻家船田正廣さん(78)が塑像を制作、韓国光州市立美術館の河正雄(ハジョンウン)・名誉館長(76)がブロンズ制作を申し出た。日本に2枚、韓国に3枚寄贈された。
愛沢代表によると、同センターは美術教育や日韓美術交流の拠点として、河さんが理事長を務める秀林文化財団がオープンさせた。開館式を兼ねた式典には韓国側から政府関係者や文化人ら300人、日本からも大学や国際交流団体、財団と日本側の橋渡し役になったNPO関係者が招かれ、河さんや愛沢代表らが除幕を行った。
『海の幸』記念館、滑り出し順調
GWに562人、県北や都内から見学者
(房日新聞2016.5.18付)
先月29日に一般公開がスタートした館山市布良の小谷家住宅「青木繁『海の幸』記念館」のゴールデンウィーク中(4月29日〜5月8日)の来場者が562人にのぼり、人気ぶりを示した。GWは特別公開で、現在は土、日曜日に公開されている。
明治を代表する画家・青木繁が逗留(とうりゅう)し、代表作で国の重要文化財「海の幸」を描いた小谷家を、当時の雰囲気を残す形で修復し、記念館として公開した。館内には海の幸のレプリカや関連資料などを展示し、ガイドが案内にあたっている。
開館後の出足は順調。来場者の半数以上は県北や都内からで、青木繁、海の幸の人気の高さをうかがわせる。4日には105人が訪れたという。
千葉市から夫婦で訪れた押尾哲人さん(69)は「新聞で一般公開を知り、館山に来た。ガイドの説明も丁寧で分かりやすかった。関連資料も豊富で、青木繁が好んだ布良地区のこともよく知ることができた」
小谷家の現当主で記念館館長の小谷福哲さんは「多くの人が来訪され、順調な滑り出しとなった。皆さんガイドの説明を熱心に聞いて、関心の高さを感じた。今後もしっかりと案内をし、青木繁、富崎地区の魅力を伝えたい」と話している。
入館料は200円(小、中、高校生は100円)。時間は午前10時から午後4時まで。
問い合わせは、青木繁「海の幸」誕生の家と記念碑を保存する会(0470-22-8271)まで。
「海の幸」誕生の家、記念館に
ノーベル賞大村さん存続を支援、館山で修復完了、青木繁が代表作描く
(東京新聞夕刊2016.4.25付)‥⇒印刷用PDF
青木繁「海の幸」記念館が完成
ノーベル賞大村さんも祝福
(千葉日報2016.4.25付け)‥⇒印刷用PDF
小谷家住宅保存協力の大村さん
「さらに愛され発展を」
明治期の画家、青木繁が代表作「海の幸」を描いた館山市布良の小谷家住宅の修復工事が完了し、「青木繁『海の幸』記念館」として一般公開されるのを記念した式典が24日、同市で開かれた。保存活動に協力したノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智さんも参加。「地域での経済活動と文化活動が相まって豊かな生活をもたらす。芸術を志す若い人や愛好する人にさらに愛され発展することを祈願する」と祝辞を述べた。
小谷家住宅は木造平屋建てで、市指定有形文化財。繁は1904年末に40日間滞在し、国重要文化財「海の幸」などの作品を生み出した。
住宅は築120年ほどがたち老朽化。大村さんが理事長を務め全国の画家らで構成するNPO法人青木繁「海の幸」会、地元青木繁≪海の幸≫誕生の家と記念碑を保存する会、現当主の小谷福哲さん、市が連携し保存活動を進めてきた。
修復工事の総事業費は約2800万円。このうち500万円は大村さんがふるさと納税で市に寄付。市は560万円を補助した。
式典後、小谷家住宅を見学した大村さんは「この場所で海の幸が生まれたことは感無量。感性豊かな風土に感化されできた絵」と感想を語った。現当主で記念館の館長を務める小谷さんは「(修復完了は)終着点でなく、通過点。小谷家住宅を起爆剤に明治時代の活気を再現したい」と意気込んだ。
記念館は29日〜5月8日の大型連休期間は特別公開。その後は土日のみ公開。入館料は200円。(小中高100円)。問い合わせはNPO法人安房文化遺産フォーラム。0470(22)8271。
青木繁名画構想の絵地図
NPOが特定、館山・小谷家周辺描く
(読売新聞2016.3.8付)‥⇒印刷用PDF
明治の洋画家・青木繁(1882〜1911年)が、館山市布良の小谷家周辺をスケッチし、絵地図に残していたことが、NPO法人安房文化遺産フォーラム(館山市)の調査で分かった。海の女神を描いた青木の代表作「わだつみのいろこの宮」のベースになったとみられている。
絵地図は縦23センチ、横14.5センチの小型スケッチ帳の1枚。住居や雑木林、道路などが描かれ、上部に地図の主題らしい不鮮明な漢字が書かれている。
愛知県の収集家が、青木のスケッチ帳から見つけ、一昨年11月、描いた場所の特定を小谷家当主の小谷福哲さん(65)に依頼。小谷さん所属の同NPOが、絵地図の写真を元に調べた結果、①種台前半は海の神「大海祇命(おおわだつみのみこと)」とも読め、後半が「小谷氏邸」と読み取れる②住居部分が安房地方の漁家に多い分棟型。小谷家住宅も、かつては分棟型だった③明治期の古地図(陸軍迅速図など)と地形やメイン道路が一致する—ことなどから小谷家周辺の絵地図と結論づけた。
分析の中心となった同NPOの愛沢伸雄代表(64)は「青木は神話に関心が強く、神話世界の絵画化を考えていた」とした上で、「小谷家南側には、かつて厳島神社があった。滞在中に当主から地元の神話や海の伝承を聞き、地図を描くことから構想を始め、完成したのが『わだつみのいろこの宮』だと思う」と語る。青木のスケッチやデッサンには、展示会場の見取り図などもあり、記録、作品構想の取っかかりに書き残す習慣があったようだ。
絵地図を所ずしていた愛知県岡崎市の収集家、藤井純一さんは昨年3月に死去し、現在は藤井さんの知人が個人所有している。小谷家住宅は修復工事が終わり、4月から公開される予定で、小谷さんは「絵地図は作品の原点として展示物に加えたい。藤井さんの遺族、現所有者の了解も取り付けた」と話している。
*青木繁
東京美術学校(現東京芸大)を卒業した1904年(明治37年)夏、館山市布良に旅し、漁家の小谷家に40日間滞在、代表作「海の幸」(国重要文化財)を描いた。滞在中に構想し、後年発表されたもうひとつの代表作が「わだつみのいろこの宮」(同)。