木造校舎の周りの草が伸び、今年も草刈りと校舎の掃除など、
環境整備の活動がスタートしました。
およそ20名の方が参加しました。
「草をきれいに刈った後は花を植えたいね」という声も。
きっと青空と木造校舎と花々がとても良い景観として、
より多くの人を魅了する 心の観光資源になりそうですね。
きれいな景観が保たれるよう、みんなで定期的に草刈り・清掃・
庭の手入れ を続けていきたいと思います。
次回は、6月16日(日)8:00~ 草刈り・清掃です。
みなさんのご参加とご協力をお願いします。
木造校舎の周りの草が伸び、今年も草刈りと校舎の掃除など、
環境整備の活動がスタートしました。
およそ20名の方が参加しました。
「草をきれいに刈った後は花を植えたいね」という声も。
きっと青空と木造校舎と花々がとても良い景観として、
より多くの人を魅了する 心の観光資源になりそうですね。
きれいな景観が保たれるよう、みんなで定期的に草刈り・清掃・
庭の手入れ を続けていきたいと思います。
次回は、6月16日(日)8:00~ 草刈り・清掃です。
みなさんのご参加とご協力をお願いします。
房日新聞(2019.1.20付)⇒PDF
安房歴史文化研究会の今年度第5回の公開講座(通算57回)が、26日の午後2時から、館山市北条の市コミュニティセンター2階集団指導室で開かれる。NPO法人安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表が「安房の高等女学校にみる地域教育~大正期を中心に」のテーマで語る。資料代として200円。
愛沢代表によると、旧安房南高校舎は関東大震災後に再建された木造校舎。県有形文化財として地域の重要な文化遺産だが、現存している学校資料は千葉県教育史に位置付けられているだけでなく、地域の歴史文化を知る上で極めて貴重な文化遺産となっている。
1907年(明治40)、公立では県下二番目に設立され、大正期に県立移管となった。小学校教員養成校として大きな役割を果たした。大正期、安房地域に多数の小学校教員を送り出した意義は大きいという。
背景にある学校の教育姿勢や安房中学とのスポーツ交流、保護者の関わりなどを紹介する予定。大正デモクラシー期における自由教育では、安房郡小学校54校の取り組みは県下トップとされ、北条小など15校が最も優れていたといわれる。安房高女の教育実習校は北条小であり、安房高女出身の小学校教員はどうであったかを探ってみる内容。
房日新聞展望台(2018.11.3付)⇒PDF
以前から気になっていた建物を、じっくり見学する機会があった。木造だが風格があり、由緒を感じさせる。国道を走るとちらりと一部が見え、正体を知りたいと思っていたところだった。
館山市北条にある旧県立安房南高校の第一校舎。県指定の有形文化財だ。先月下旬に行われた一般公開では、朝方の強い雨にもかかわらず次々と見学客が訪れ、駐車場もぎっしりだった。
開校は明治時代の1909年。当時は安房郡立の高等女学校で、大正時代の1921年に県立に切り替わる。その2年後の関東大震災で校舎は倒壊し、現在残っている校舎が完成するのは昭和に入った1930年になってからだ。2008年には安房高校に統合され、使われなくなったこの校舎はほぼ放置された状態だった。
正面玄関の前に立つと、目に入るのは2階上部と玄関にある幾何学模様の装飾だ。1930年代といえばフランス発のアールデコと呼ばれるこのような様式が世界中に広がった時期。JR目黒駅近くの旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)がその代表例で、完成は南高に遅れること3年の1933年だ。南高が当時最新の流行を取り込んだ建築であることが分かる。
教室の内部を見ると天井から下部に突き出ているように見える梁が異常に太い。関東大震災クラスに耐えるような耐震構造が採用された、というガイドの説明を聞いて納得する。階段の幅の広さ、傾斜の緩やかさ、手すりの頑丈さなどにもいざという時への備えが感じられる。
廊下には明治以来の通学服などを人形に着せて展示。和服にはかま姿の初期のものから戦時体制下のもんぺ姿、戦時の制服など、近代日本の歩みがそのまま感じ取れるものだった。古い写真には、開校当時の運動会でダンスを披露するはかま姿の乙女たちの様子もあった。
数年前まではほこりだらけだったという廊下は、ボランティアたちが昔ながらのぬか雑巾で磨き上げてぴかぴかの状態。吹奏楽の準備などで行き来する現役の安房高生たちを見ていると、今も使われている校舎と勘違いするほど整備されて見えた。
ガイドによると、高等女学校の木造校舎が残っているのは、全国でも館山のほかには函館(北海道)しかないという。大事に残したい文化財だ。(U)
毎日新聞(2018.10.31付)⇒PDF
昭和初期の木造建築の堅固さと西洋建築の精緻な技巧による美しさをそのまま残し、県の有形文化財に指定された館山市の旧安房南高校の第一校舎が27日一般公開され、多くの卒業生らが懐かしそうに校舎内を見て回った。同校は学校再編で10年前に県立安房高校と統合し、校舎は現在使われていない。保存運動に協力する地元のNPO法人が事務局となり、年に1度、一般公開している。
安房南校の前身は1907(明治40)年に開校した安房郡立女子芸妓学校。その後安房高等女学校などと名前を変え、地域の女子教育の中心として役割を果たしてきた。
木造2階建ての第一校舎は1930(昭和5年)の建築。関東大震災で旧校舎が倒壊した教訓を生かし、日本古来の建築技法に加え、人工石やれんがを組み合わせた「アールデコ様式」の西洋式技法を取り入れた。正面玄関は、翼を広げたような左右対称の美しい外観が特徴だ。
約80年前に卒業した南房総市千倉町の新井喜代さん(100)は介護施設の職員に車椅子を押してもらって訪れた。当時のセーラー服を体に当てて「涙が出るほどうれしい」と昔を懐かしんでいた。【中島章陸】
房日新聞(2018.10.28付)⇒PDF
県指定有形文化財の旧県立安房南高校木造校舎(館山市北条)が27日、一般公開された。卒業生らが校内を巡って、学生時代を懐かしんでいた。
昭和5年に竣工した木造2階建て。日本古来の木造建築と新たに伝わった西洋建築を融合させたつくりが特徴だという。
一般公開は、郷土の文化財に理解を深めてもらおうと、県教委と安房高が毎年実施。今年は、同高の歴史調査をするNPO法人安房文化遺産フォーラムが企画運営し、安房高等女学校木造校舎を愛する会が協力した。
同会の会員によるガイドツアーでは、当時の最新技術で建てられたという建物の魅力などを解説。左右対称につくられた外観、耐震性に優れた天井、梁(はり)、装飾のある柱や階段の手すりといった説明に、参加者らが熱心に耳を傾けた。
古い写真、資料などを並べたギャラリーも開設され、学生時代に思いをはせる卒業生が多くみられた。仲間同士で、当時の思い出話に花を咲かせていた。
安房高の生徒も協力。部活動での作品の展示、書道パフォーマンス、吹奏楽部、ギター部による演奏で盛り上げた。
昭和55年度卒業生の草薙早苗さん(56)=館山市=は、「卒業以来初めて訪れたが、きれいなままで驚いた。いろいろな方の協力で、保存されていて、卒業生としてありがたい」とほほ笑んだ。
同フォーラムの愛沢伸雄代表は、「木造校舎と同時に、安房の地域教育で、大きな役割を担っていたことも知ってもらえたら」と話した。
きょう28日は、同フォーラムと同会が主催する「ミニ講話&証言の会」がある。歴史などの講話を聞き、思い出を語り合う企画。午後1時半から3時まで。
【日時】 2018年10月28日(日) 13:30~15:00
【会場】 旧安房南高校木造校舎
【主催】 NPO法人安房文化遺産フォーラム・安房高等女学校木造校舎を愛する会
100年の歴史をもつ木造校舎に残る貴重な資料から、調査研究を進めています。
「木造校舎で学んだ人びとと地域教育」と題し、大正期、安房高女の教育に関わった教員や安房高女の卒業生が教員となり安房の小学校教育に関わっていたことなどが紹介されました。
また、戦時下には館山病院で看護の勉強をして、沖縄の「ひめゆり部隊」のように、安房高女でも準備が進められていたことなど、明らかになってきた歴史に耳を傾けました。
最後は、安房南高校の校歌をみんなで歌い、会を締めくくりました。
今年の見学会では、「愛する会」の事務局を担うNPO法人安房文化遺産フォ―ラムが千葉県より公開事業を委託され、「愛する会」の協力のもと、事前の草刈りや掃除、当日の受付や展示解説、駐車場係などを行いました。
当日は小さなお子さんからご高齢の方まで幅広い世代の方たち1,000名近い来場者で、木造校舎に刻まれた歴史やレトロでノスタルジックな木造校舎のぬくもりに触れていらっしゃいました。