毎日新聞2022.11.11付
県指定有形文化財に指定されている旧県立安房南高校第1校舎(館山市北条)が10月29,30両日に一般公開された。2008年に県立安房高校に統合後、NPO法人「安房文化遺産フォーラム」などが保存活動を続け、年1回の見学会を開いてきた。台風15号被害と新型コロナウイルス感染拡大の影響で19年以降は中止が続いてきたが、今年は4年ぶりに公開することができた。
現存する第1校舎は1930年に建てられた。木造2階建てで1116㎡。薄いピンク色の建物が左右対称に伸びる外観は、羽を広げた白鳥に例えられる。日本の伝統的木造建築と洋風建築が融合した和洋折衷の設計で、当時としては最新の耐震技術が施されているという。
各教室には歴代の制服や落書きが残る机や椅子などが展示され、見学者たちは熱心に見入っていた。70年に安房南高を卒業したという館山市の加瀬久子さん(71)は「在学中は意識しなかったが、年齢を重ねるうちに、素晴らしい環境瀬青春期を過ごしたと気付いた。卒業生ではなくても、木造校舎のぬくもりに触れ、母校を大切にする気持ちを思い出してほしい」と話していた。
(房日新聞2022.11.5付)⇒ イベント詳細 ⇒ 木造校舎の魅力

県指定有形文化財の旧県立安房南高校木造校舎(館山市北条)の見学会が29、30日、開催された。台風被害、コロナ禍を経て4年ぶりに現地での開催となり、2日間で延べ520人が来場し、旧南高校の歴史や木造の建築美などに触れた。
同校舎は、関東大震災の経験を生かした耐震構造建築で、古い日本の木造建築と当時の新しい西洋建築の要素を融合させ、1930(昭和5)年に建てられた。建設当時の様子をよくとどめており、昭和初期の県の学校建築の姿を今に伝えているとして、95(平成7)年に県の有形文化財(建造物)に指定されている。
一般公開は、郷土の文化財の理解を深めるとともに、文化財を活用したイベントとして県教委と安房高校が主催。2018年からNPO法人安房文化遺産フォーラムが企画運営し、「安房高等女学校木造校舎を愛する会」が協力している。
コロナ禍を受けて予約制での開催となった今回は、安房地域の他、県内外からも申し込みがあり、にぎわいを見せた。さまざまな時代の制服や授業道具、写真、資料、安房地域にゆかりのある美術作品などの展示の他、動画上映なども行われた。来場者は、展示物をじっくりと見学、細部に見られる建築装飾にも目を凝らしながら校舎内を巡っていた。
西郷力さん(81)=神奈川県平塚市=は「初めて中に入った。素晴らしい木造建築を守りながら、何かに活用して多くの人が足を運べるといいですね」。妻で同校卒業生の登志子さん(79)は「卒業以来で懐かしいと思うとともに、当時は気付くこともなかったが、こんなに価値あるところで学んでいたんだと実感している。今後もぜひ保存していただきたい」と思いを話していた。
(房日新聞2022.10.6付け) ⇒-214x400.png)
県指定有形文化財の旧県立安房南高校木造校舎(館山市北条)の見学会が29、30日に開催される。台風被害、コロナ禍を経て4年ぶりに現地での開催となる。定員は午前、午後各200人(1組4人まで)で、事前申し込み、日時指定制で入場は無料。11日まで受け付けている。
木造校舎は、古い日本の木造建築と当時の新しい西洋建築の要素を融合させ、1930年に建てられた。建設当時の様子をよくとどめており、昭和初期の県の学校建築の姿を今に伝えているとして、95年に県の有形文化財(建造物)に指定されている。
一般公開は、郷土の文化財の理解を深めるとともに、文化財を活用したイベントとして県教委と安房高により毎年実施。NPO法人安房文化遺産フォーラムが企画運営し、安房高等女学校木造校舎を愛する会が協力している。
内容は、40分程度の所要時間で、校舎見学の他、写真や資料による地域の歴史紹介、館山市ゆかりの芸術家の作品展示、校舎案内の動画上映などを予定している。
申し込みは、29、30日の午前、午後のいずれかを選択し、インターネットの専用フォーム=QRコード=か、往復はがきで。往復はがきの場合は、代表者氏名、住所、電話番号、人数、希望日時を記入の上、NPOフォーラム安房南見学会係(〒294―0045館山市北条1721―1)へ送付する。
問い合わせは、NPO法人安房文化遺産フォーラム(0470―22―8271)へ。
旧安房南高第一校舎を次世代へ
「よわい92歳」の歴史的建造物、地域住民らが維持保存活動展開
随所に光る意匠や建築技法
(日刊建設工業新聞2022.3.4付)⇒ 印刷用PDF

11月3日 旧安房南高校から講演を生配信
木造校舎の魅了紹介
(房日新聞2021.10.3付)‥⇒ 印刷用PDF
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県教育委員会は11月3日、館山市の安房南高等学校旧第一校舎(県指定有形文化財)の魅力を伝えるオンライン講演会を開催する。事前申し込み制で参加費は無料。同1日まで参加者を募っている。
旧安房南高等学校の前身である県立安房高等女学校の校舎が、大正12年(1923)の関東大震災により倒壊したため、災害の経験を生かした耐震構造建築として、昭和5年(1930)に新築されたもの。建設当時の様子をよくとどめており、平成7年(1995)3月14日に県指定有形文化財となった。
講演会は、鋸南町の保田小学校や、大多喜町役場のリニューアルなどに関わった建築家、夏目勝也氏を講師に、木造校舎の魅力を現地から伝える内容。
時間は、午後1時から2時半まで。申し込みは、NPO法人安房文化遺産フォーラムのホームページ=QRコード=から、フォームに入力して申し込む。後日、メールにて送付されるZoomのアドレスと、パスワードを使用して配信を視聴する。
詳しい問い合わせは、安房文化遺産フォーラム(0470-22-8271)へ。

(朝日新聞夕刊_2021.3.15)‥⇒ 印刷用PDF(A3)
【まちの記憶 館山市街地】
南国気分の保養地に戦争遺跡 黒曜石・里見氏…栄えた海の要衝
歩き出すと、次の角の向こうに何があるのかとわくわくが止まらない。今月初めに訪れた館山はそんな町だった。
以前はJRの特急が定番だったが、今は本数の関係で東京駅発の高速バスがおすすめ。2時間ほど乗ると、旧市街が広がる館山駅(千葉県館山市)の東口に着く。西口へ回れば、見えてくるのは南欧スタイルの駅舎。海岸線までは明るい色の町並みが続き、リゾート気分が漂う。
駅から、伊豆大島などが見える洲埼灯台までは、車で20分。途中にはレストランなどを併設した「〝渚の駅〟たてやま」があり、テラスからは館山湾が一望できる。
館山市立博物館主任学芸員の岡田晃司さん(63)によると、館山に人が住み始めたのは、約7千~5500年前の縄文前期。「市内出土の黒曜石は伊豆諸島の神津島産。海上交易が行われていたようです」と岡田さん。古墳時代には、大寺山洞穴遺跡などに、舟に人を葬る舟葬墓が造られた。漁労など、海に関わる人々の墓とみられる。
戦国時代に入ると、館山はのちに曲亭馬琴の小説「南総里見八犬伝」とモデルになった里見氏の支配下に入る。
里見氏は市内の稲村城などを居城に安房を治め、一時は房総半島全域に覇を唱えた。
そんな里見氏の居城の一つだった館山城跡は現在、城山公園となり、花の名所として季節ごとに市民が集う。高台に建てられた模擬天守の内部は「八犬伝博物館」で、NHKの連続人形劇「新八犬伝」で使われた辻村寿三郎作の人形などを見ることができる。
江戸時代の館山は物流の集積地・中継地として栄え、押送船という快速船で、江戸までを一昼夜で結んでいた。当時の漁業の様子がよくわかるのが、海沿いの「〝渚の駅〟たてやま」にある「渚の博物館」の展示だ。一方、城山公園の館山市立博物館では、企画展「武士たちの明治」(21日まで)で、大政奉還後の1868年に、駿河から館山に移封された長尾藩の侍たちが、71年の廃藩置県によってもたらされた新しい時代にどう対応したのかを紹介している。
そんな館山が大きく変わったのは近代以降だ。蒸気船が東京との間を5時間で結ぶようになり、近代水産業の拠点として1901年に水産講習所の実習場が開設された。
保養地としても有名になり、イラストレーターで詩人の中原淳一も晩年の足かけ22年を過ごしたという。
☆ ☆
館山で忘れてはならないのが、戦争遺跡の存在だろう。
市内に残る戦争遺跡は47カ所。戦闘機を隠す掩体壕や海軍砲術学校跡など重要なものが多く、2004年には総延長1.6キロ超といわれる館山海軍航空隊の赤山地下壕跡が市によって公開され、05年に市指定史跡となった。多い年には3万8千人が訪れる。内部には工事に使われたツルハシの跡が残る。
NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表、0470-22-8271)の事務局長を務める池田恵美子さんによると、館山海軍航空隊は関東大震災で隆起した館山湾の一部を埋め立てて1930年に開隊した実戦部隊で、西風を強く受ける特性を生かして短い滑走路で離着陸訓練を行っており、基地は「陸の空母」と呼ばれていた。
「私たちは赤山地下壕を、専門部隊によって秘密裏に造られた地下航空施設と考えています。房総半島南部はハワイ・オアフ島周辺と地形が似ており、真珠湾のフォード島と館山航空基地も近似していることから、1941年の真珠湾攻撃を想定して、パイロット養成が早い時期から行われていたのかもしれません」。
フォーラムではこのほか、画家・青木繁が滞在して「海の幸」を描いた小谷家住宅を修復して「海の幸」記念館にしたり、昭和初期の建築様式を残す旧安房南高校木造校舎の保全活動や見学会を行ったり、明治期に渡米したアワビ漁師・小谷仲治郎の旧宅から発見された古文書や書画の整理・解読を進めるなどして、地域史の掘り起こしと活用に力を注ぐ。町歩きにはフォーラムの「館山まるごと博物館」などの小冊子(600円)が便利だ。
(編集委員・宮代栄一)
東京にゆかりの老舗旅館
館山市街には東京にゆかりの深い店が少なくない。館山駅前の幸田旅館は1907(明治40)年に東京・本郷から移転した老舗。女将の幸田右子さん(69)は「東京では旧幕臣の榎本武揚さんにひいきにしていただきました。初代が体を壊し、静養もかねて開業したそうです」。
当時の写真をみると、海岸線までほかに建物はほとんどない。館山駅の前身の安房北条駅の開業が19年で、当初は船が唯一の交通手段だった。
南房総随一の料理旅館だったが、23年の関東大震災で全壊。現在の建物は「当初の部材を一部使い、建て増しを繰り返したもの」という。とはいえ、本館1階の内玄関つき客室「桜」の間には桜材を多く使うなどの凝ったつくりで、往時がしのばれる。「コロナで団体さんが減って大変。外で修行中の息子が継いでくれるまで頑張ります」
大正のレトロ建築でカフェ
築港前交差点にあるTRAYCLE Market&Coffeeは知識絵理子さん(44)&淳悟さん(43)夫妻が経営する、フェアトレードコーヒーとおからマフィンが売りのカフェだ。2016年に開店した。
大正初期に建築された古川銀行の鴨川支店を、鳩山一郎内閣で文部政務次官などを務めた詩人の小高熹郎氏が、昭和の初めに移築。水産事務所などをへて、小高氏を顕彰する「小高資料館」などとなったが、孫の絵理子さんが受け継ぎ、改装した。おからマフィンは試作を重ねたオリジナルで、抹茶&桜あん、コーンとツナのサラダなど、毎日、8種類前後を販売。「朝6時から百数十個を焼く」(淳悟さん)というが、早い日には数時間で売り切れる。絵理子さんは「『毎日食べてもあきない』を目指して作りました。今はコロナでテイクアウトのみですが、たくさんの人に食べてほしい」と語る。