【朝日夕刊】210315*まちの記憶~館山市街地

(朝日新聞夕刊_2021.3.15)‥⇒ 印刷用PDF(A3)

【まちの記憶 館山市街地】

南国気分の保養地に戦争遺跡 黒曜石・里見氏…栄えた海の要衝

歩き出すと、次の角の向こうに何があるのかとわくわくが止まらない。今月初めに訪れた館山はそんな町だった。

以前はJRの特急が定番だったが、今は本数の関係で東京駅発の高速バスがおすすめ。2時間ほど乗ると、旧市街が広がる館山駅(千葉県館山市)の東口に着く。西口へ回れば、見えてくるのは南欧スタイルの駅舎。海岸線までは明るい色の町並みが続き、リゾート気分が漂う。

駅から、伊豆大島などが見える洲埼灯台までは、車で20分。途中にはレストランなどを併設した「〝渚の駅〟たてやま」があり、テラスからは館山湾が一望できる。

館山市立博物館主任学芸員の岡田晃司さん(63)によると、館山に人が住み始めたのは、約7千~5500年前の縄文前期。「市内出土の黒曜石は伊豆諸島の神津島産。海上交易が行われていたようです」と岡田さん。古墳時代には、大寺山洞穴遺跡などに、舟に人を葬る舟葬墓が造られた。漁労など、海に関わる人々の墓とみられる。

戦国時代に入ると、館山はのちに曲亭馬琴の小説「南総里見八犬伝」とモデルになった里見氏の支配下に入る。

里見氏は市内の稲村城などを居城に安房を治め、一時は房総半島全域に覇を唱えた。

そんな里見氏の居城の一つだった館山城跡は現在、城山公園となり、花の名所として季節ごとに市民が集う。高台に建てられた模擬天守の内部は「八犬伝博物館」で、NHKの連続人形劇「新八犬伝」で使われた辻村寿三郎作の人形などを見ることができる。

江戸時代の館山は物流の集積地・中継地として栄え、押送船という快速船で、江戸までを一昼夜で結んでいた。当時の漁業の様子がよくわかるのが、海沿いの「〝渚の駅〟たてやま」にある「渚の博物館」の展示だ。一方、城山公園の館山市立博物館では、企画展「武士たちの明治」(21日まで)で、大政奉還後の1868年に、駿河から館山に移封された長尾藩の侍たちが、71年の廃藩置県によってもたらされた新しい時代にどう対応したのかを紹介している。

そんな館山が大きく変わったのは近代以降だ。蒸気船が東京との間を5時間で結ぶようになり、近代水産業の拠点として1901年に水産講習所の実習場が開設された。

保養地としても有名になり、イラストレーターで詩人の中原淳一も晩年の足かけ22年を過ごしたという。

☆ ☆

館山で忘れてはならないのが、戦争遺跡の存在だろう。

市内に残る戦争遺跡は47カ所。戦闘機を隠す掩体壕や海軍砲術学校跡など重要なものが多く、2004年には総延長1.6キロ超といわれる館山海軍航空隊の赤山地下壕跡が市によって公開され、05年に市指定史跡となった。多い年には3万8千人が訪れる。内部には工事に使われたツルハシの跡が残る。

NPO法人安房文化遺産フォーラム(愛沢伸雄代表、0470-22-8271)の事務局長を務める池田恵美子さんによると、館山海軍航空隊は関東大震災で隆起した館山湾の一部を埋め立てて1930年に開隊した実戦部隊で、西風を強く受ける特性を生かして短い滑走路で離着陸訓練を行っており、基地は「陸の空母」と呼ばれていた。

「私たちは赤山地下壕を、専門部隊によって秘密裏に造られた地下航空施設と考えています。房総半島南部はハワイ・オアフ島周辺と地形が似ており、真珠湾のフォード島と館山航空基地も近似していることから、1941年の真珠湾攻撃を想定して、パイロット養成が早い時期から行われていたのかもしれません」。

フォーラムではこのほか、画家・青木繁が滞在して「海の幸」を描いた小谷家住宅を修復して「海の幸」記念館にしたり、昭和初期の建築様式を残す旧安房南高校木造校舎の保全活動や見学会を行ったり、明治期に渡米したアワビ漁師・小谷仲治郎の旧宅から発見された古文書や書画の整理・解読を進めるなどして、地域史の掘り起こしと活用に力を注ぐ。町歩きにはフォーラムの「館山まるごと博物館」などの小冊子(600円)が便利だ。

(編集委員・宮代栄一)

 

東京にゆかりの老舗旅館

館山市街には東京にゆかりの深い店が少なくない。館山駅前の幸田旅館は1907(明治40)年に東京・本郷から移転した老舗。女将の幸田右子さん(69)は「東京では旧幕臣の榎本武揚さんにひいきにしていただきました。初代が体を壊し、静養もかねて開業したそうです」。

当時の写真をみると、海岸線までほかに建物はほとんどない。館山駅の前身の安房北条駅の開業が19年で、当初は船が唯一の交通手段だった。

南房総随一の料理旅館だったが、23年の関東大震災で全壊。現在の建物は「当初の部材を一部使い、建て増しを繰り返したもの」という。とはいえ、本館1階の内玄関つき客室「桜」の間には桜材を多く使うなどの凝ったつくりで、往時がしのばれる。「コロナで団体さんが減って大変。外で修行中の息子が継いでくれるまで頑張ります」

大正のレトロ建築でカフェ

築港前交差点にあるTRAYCLE Market&Coffeeは知識絵理子さん(44)&淳悟さん(43)夫妻が経営する、フェアトレードコーヒーとおからマフィンが売りのカフェだ。2016年に開店した。

大正初期に建築された古川銀行の鴨川支店を、鳩山一郎内閣で文部政務次官などを務めた詩人の小高熹郎氏が、昭和の初めに移築。水産事務所などをへて、小高氏を顕彰する「小高資料館」などとなったが、孫の絵理子さんが受け継ぎ、改装した。おからマフィンは試作を重ねたオリジナルで、抹茶&桜あん、コーンとツナのサラダなど、毎日、8種類前後を販売。「朝6時から百数十個を焼く」(淳悟さん)というが、早い日には数時間で売り切れる。絵理子さんは「『毎日食べてもあきない』を目指して作りました。今はコロナでテイクアウトのみですが、たくさんの人に食べてほしい」と語る。

 

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