1999年訪問
ウガンダ訪問記~ささやかな支援が、人びとを勇気づけている
安房南高校ボランティア委員会顧問 愛沢伸雄
<ウガンダ訪問記(上)>
今から五年前、私たちは「かにた婦人の村」の深津文雄牧師の紹介により、来日中のセンバラさんと出会った。以来、生徒会・ボランティア委員会では『ウガンダの子供たちに夢と希望を』を合言葉に、「かにた」の支援活動に協力しながら、センバラさんを代表とするNGO組織「ウガンダ意識向上財団(CUFI)」とのささやかな交流を続けてきた。
私は今回、校長先生はじめ安房南高の皆さんのご配慮をいただき、ボランティア委員会顧問として、二週間にわたりウガンダを訪れる機会を持った。そして、センバラさんと五年ぶりの再会を果たし、私たちの支援が現地でどう実っているのかを見聞きしてきた。その十四日間のウガンダでの動きを簡潔に報告する。
乗り継ぎで30数時間
一月九日に成田を発ち、途中の乗り継ぎ待ちを入れて三十数時間後、現地では十日午後、ウガンダのエンテベ空港に到着した。田舎風でのんびりとしている空港に、厳戒態勢が敷かれているとも知らずにビデオカメラを回したので、同行の高塚さんに「空港の撮影は禁止」と注意され、スタートから国情を肝に命じさせられた。
にぎやかな首都カンバラを経由して小一時間でムコノにある「かにた」の資金援助で建設された「かにた教育センター」(代表モーゼスさんによる私立小学校・略してKEC)に着いた。
ウガンダでは一月下旬より新学期ということで、今回大変お世話になったそのKECも休業中であったが、空の教室に置かれたベッドが、以後十日間の私の宿泊場所となった。
歓迎セレモニーで
今回の訪問では、まずCUFIの代表のセンバラさんと再会し、安房南高教職員・生徒会を代表して親しく挨拶を交わした。そして、CUFIの活動を見聞きするため、私たちの支援先であるムベンデ県チタリアに向けて出発した。カンパラから途中悪路を車で二時間近く走り、チタリア村の小中学校・診療所・職業訓練センター建設現場に案内された。またこの時、CUFIとチタリア住民の歓迎セレモニーが行われ、高塚さんの通訳で現地の方の話を聞いた。国連のユニセフの支援もなく、内戦やエイズで苦しみながら、CUFIを通じての、私たちの支援によってどれほど救われたか、との話に涙がとまらなかった。私たちのささやかな支援でも、この村の人々をどんなに勇気づけてきたかを、この時はっきり確認した。
この席で、私は山中校長のメッセージを代読したが、ウガンダの人々を励ます力強い言葉に、センバラさんはじめ皆さんに感銘を与えたことを報告したい。
セレモニーの最後に支援金千ドルをセンバラさんに手渡した。
<ウガンダ訪問記(下)>
ウガンダ再建の姿
つぎに「かにた」が現在取り組んでいる支援活動を見て回った。
その一つは、ここ数年「かにた」奨学金(生活費を含み年間一人十万近く)を受給してきた孤児など七十名以上のうちの、何人かのお宅を訪問し、現在の勉強や生活状況などを聞くことだった。
とくに、聴覚障害を持ったナチットプロスコービアさんのところでは、村をあげての卒業を祝う会に招待されたが、障害をもってはいても力強く生きようとする彼女の姿に接して、今後のウガンダ再建の礎になっていくと予感した。
二つ目には、塩川さんや高塚さんなどが支援している現地ボランティア団体や南高生のジャージなど中古衣料を送っている支援先を訪れた。
まず、医療活動に関わる人材の育成に個人的に取り組み、その後学校として認知されたエリザベスさんが運営する、セント・エリザ准看護婦養成学校を訪問した。
教科書が不足し、医療器具も欠く勉強環境であっても、前向きに明るく勉強する学生たちに接し、ウガンダの地域医療を担っていこうとする成年たちの意気込みの強さを感じた。
次にケニア国境にあるブシア孤児保健センターを訪れたが、昨年七月に南高生たちがボランティアで作業したダンボール箱や、教室に並ぶ、机や椅子を見て、感無量であった。
また、一昨年のコンテナの送り先であったウガンダ知的障害者協会(UAMH)プロジェクトでは、いまも資金不足に苦しむ看護学校の施設を見学し、そこで学んでいる障害をもつ三名の子供たちの家を訪問した。重い障害と貧しさに苦しみながらも、明るく接してくれた子供たちの姿が、今も目に焼きついている。
さらに、首都カンパラのスラム地区のナムヲンゴ教会を訪問した。心温まる歓迎会の後、まったくの自己犠牲的な活動で、多くの子供たちに夢と希望を与えているデーヴィットさんの案内で、スラム地区を回った。今ウガンダでは、デーヴィットさんのような、献身的な活動家を多く必要としているが、その一端を見た思いがした。
アフリカから21世紀の日本をみる
いま世界が日本に求める役割と期待は大きい。その役割と期待を果たすためには「アジアから過去を振り返り、アフリカで未来を見る」姿勢が、日本に必要だと思う。つまり、大きな傷跡を残した奴隷貿易や植民地支配の意味を、現在のアフリカの姿からとらえる視点で、二十世紀前半の日本とアジアとの深い傷跡を今日的に省察することが重要である。その姿勢が結局は、二十一世紀に日本が世界に貢献する道を切り開いていくと思う。ウガンダの地から、実はその貢献の道の芽が「かにた」や本校生徒による、草の根のウガンダ支援活動のなかで育っていると感じた。
現地の柴田さんの運転で赤土の悪路のなか、十日間フルに動いた。走行距離も三千キロ近くはあったと思う。「かにた」の塩川さんや高塚さん(元ウガンダ「かにた」事務所勤務)、現地でボランティア活動を続けている柴田さんの適切なアドバイスと通訳なしには、私の訪問目的は達成されなかった。この紙上をお借りし深く感謝申し上げたい。
限られた紙面であるので、言葉足らずで不十分なものとなったが、また別の機会に報告したい。
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