交流のはじまり

高校生によるウガンダ支援活動が始まったきっかけは、高校世界史教諭であった愛沢伸雄先生(現・NPO法人安房文化遺産フォーラム代表)による地域教材を使った授業にありました。愛沢先生は、足もとの地域から世界を見て、そして自己に戻る視点を養い、地域社会に根ざして地球市民として生きるための教育を実践されてきました。なかでも、戦争遺跡や婦人保護施設「かにた婦人の村」(以下「かにた村」)、ハングル「四面石塔」などの地域教材を活かした授業づくりに取り組んできました。旧県立安房南高校ではこうした平和学習を契機に、1994年より生徒会によるウガンダ支援活動が始まりました。

地域に根ざした平和学習 ~「かにた婦人の村」にまなぶ

愛沢先生が地域に根ざした教育実践を志したのは、1989年に社会科教員研修で「かにた村」を訪問したことがきっかけです。
「かにた村」は売春防止法に基づく全国唯一の長期婦人保護施設で、さまざまな障害をもち社会復帰が困難な女性たちを救済するためのコロニー(共同体)です。創設者の深津文雄牧師が説いた「底点志向」とは、底辺よりさらに低い社会のどん底にいる小さく弱い人びとに寄り添うことであり、それを福祉事業の原点と考えていました。この理念に賛同した世界中のキリスト教ネットワークを通じて集められた基金により、1965年に館山の旧海軍砲台跡地に「かにた村」が設立されました。ここでは、傷ついた女性たちが支え合いながら、それぞれの障がいに応じてできる作業を通じて、人間性を回復し、働くことの喜びを得ていく共生の村づくりが実践されています。「かにた後援会」と称して広く支援を呼びかけ、全国から送られてくる中古衣料や日用品をバザーで販売し、施設運営に充てています。

戦後40年のとき、ここで暮らしていた一人の女性が、戦時下に慰安婦であったことを告白しました。長い間心に秘め、毎夜夢を見て苦しいので、戦地で亡くなっていった仲間たちを弔ってほしいという願いを受け止め、深津牧師は「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑を施設内の丘上に建てました。石碑は空を突き刺すように建っています。

愛沢先生は深津牧師からの聞き取り調査を重ね、「かにた村」と石碑の存在を地域教材として取り上げ、女子校であった安房南高校で平和・人権学習の授業をおこないました。地域に生きる一人の女性として、告白に至った女性の生き様に焦点を当てた9時間にわたる授業を受けた女生徒たちは、「私たちの身近にこんな大事なことがあった」「平和は戦争をしないだけじゃなくて、自分の思っている事を自由に言えたり、人種差別で悲しい思いのする人たちもいない、心がやすらいで生活できる事だ」「平和とは国民一人一人がささえているもので、その国民は自覚しなければいつでも崩されていくものだ」などと感想を記しました。戦争に関わって悲しみや苦しみ、怒り、葛藤を抱えた女性の生き方を、単なる同情を越えて、女子高生なりに自分と深く関わる問題として考えました。これを機に「かにた村」のボランティア活動に参加し、さらに視野を広げ、「今なお世界では、戦争で苦しんでいる女性や子どもたちがいる。何か自分たちにできることはないか」と模索を始めました。

奇しくも、「かにた村」では1989年から国際支援活動に取り組んでおり、バザーの中古衣料や日用品なども送っていました。このことは、「かにた村」が世界の人々の支援によって建てられた経緯とも関係しています。「かにた村」の女性たちは、日々の作業で得たわずかなお金を出し合い、募金にも協力していました。女子高生が深津牧師に相談したところ、ちょうど「かにた村」に来訪したばかりであったスチュアート・センパラ氏(NGOウガンダ意識向上協会)を紹介されました。足もとの地域から世界に目を向けた活動を始めるきっかけとなりました。

足もとの地域から世界へ

長期間の内戦後、エイズが蔓延、孤児が増加していたアフリカのウガンダ共和国。望まない少年兵に仕立てられて心に傷を負った者や、貧困で家もなく食事も満足にとれない者があふれていました。ウガンダ意識向上協会では、そんな子どもたちに生活や教育を与え、自立に向けてサポートしてきました。そして、設立メンバーの一人でもあり、二代目の代表となったセンパラ氏は、農村指導者として社会の再建に貢献するため、1994年に日本の栃木県にあるアジア学院へ留学し、持続可能な循環型農業を学びました。

その際、研修の一環として館山市にある「かにた村」を訪問したことがきっかけとなり、安房南高校の生徒たちとの縁が結ばれました。帰国直前に安房南高校を来訪されたセンパラ氏からウガンダの状況を聞いた女生徒たちは、「ウガンダの子どもたちに夢と希望を」を合言葉に立ち上がりました。同年は、国連の「子どもの権利条約」を日本が批准した年であり、学校で勉強がしたいと願う孤児たちのために支援をしようと考え、「相手の顔が見える」活動としてウガンダを支援先に選びました。

1994年以来毎年、バザー売上や募金を少しずつ送り続け、高校生と市民の協働による支援・交流活動は四半世紀以上におよんでいます。