韓国に建つ「快鷹丸」遭難記念碑

近代漁業の基礎を築いた水産講習所(後の東京水産大学、現東京海洋大学)の初の練習船「快鷹丸(かいようまる)」は、1901(明治34)年に進水し、館山湾での訓練を重ねていた。1907(明治40)年9月9日、館山湾から朝鮮海峡のサバ調査に向かった同船は、朝鮮半島の迎日湾(現韓国浦項市)で操業中、猛烈な暴風雨に遭遇し、学生3人と教官1人が殉難した。生存者は地元住民らによって救助、保護されたという。

遭難直後、迎日湾の九万洞に木製の供養碑が建立されたが、15年を経て腐朽したため、1926(大正15)年に高さ3m強の石碑が建立された。しかし韓日関係の悪化により、反日感情の対象として倒されてきた。

戦後の1971(昭和46)年、倒され埋没していた碑を、浦項市文化財保存委員長の朴一天氏と在日韓国人の韓永出氏の尽力により再建された。東京海洋大学の同窓会「楽水会」では現地住民とともに、今なおこの碑の保存と供養を続けている。

2007(平成19)年9月9日、遭難100年を記念して、楽水会と館山のNPO法人安房文化遺産フォーラムら有志は現地を参詣し、地元住民らと親睦交流を深めた。韓国最東端の岬で漁労に従事する人びとは、「海に生きる男同士の友情と証として、この碑を守っていかなくてはならない」と力強く訴えていた。

●『館山まるごと博物館』より

「快鷹丸記念碑」パンフレット

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