1919(大正8)年、安房北条駅まで鉄道(房総西線)が開通し、新しい時代に向かっ […]
震災復興とまちづくり
房総半島から200km沖合の日本海溝は、2つのプレートがぶつかりながら潜りこんで形成されています。その影響が最も大きい房総半島先端の館山は、日本で一番隆起しているといわれます。実際、市内の至るところで斜めの地層や段丘を目にすることができます。
元禄大地震や関東大震災で壊滅的な打撃を受けた安房では、隆起した干潟を新田や港湾にしたり、地すべり地帯に棚田をつくるなど、知恵を結集して災害から復興してきました。
100〜200年のサイクルで起きる大地震や津波のたびに、経験ゆたかな先人たちは助け合い、困難を乗り越えてきました。安房に多く見られる棚田は、地すべり地帯の復興と災害防止の知恵でもあるのです。館山では、地震で隆起した砂丘列ごとに集落や新田が開発され、海岸に平行してまち並みが形成されてきた歴史が見られます。
館山駅から市立図書館に向かう路地に、「サイカチの木」と呼ばれる老木があります。せまい通りを占領する邪魔な存在と見られがちですが、なぜ今まで切らずに残されてきたのでしょうか。サイカチは「皀角子」「皀英」と書かれ、発音が「再勝」に通ずるため、縁起の良い木として大切にされてきました。また幹や枝に鋭いトゲがあるので、門や柵の周囲に備え、転じて鬼門除けの木とされたといいます。
もっとも重要なことは、いざというときに葉が食用、実が洗剤、さらにはトゲが解毒剤になり、日々の生活のなかにとても役立っていたことです。この木によじ登って津波の難をのがれたという元禄大地震の逸話も残っています。まちなかの歴史・文化を見直すとともに、先人たちが「サイカチの木」を通じて、私たちに語り伝えたいと願ってきたことに耳を傾けてみましょう。
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