安房の民俗文化
● 神余日吉神社のかっこ舞●
獅子の腰に付けた太鼓を羯鼓(かっこ)と呼び、雄・雌・子獅子の三匹で舞う神事舞を三匹獅子舞という。安房地域では、雨乞いのときだけに奉納されるのが特徴で、とくに「かっこ舞」と呼んでいる。
神余にある日吉神社では、7月19日と20日の祭礼時に、獅子頭をかぶった踊り手が腰に小さな羯鼓を付けて、打ち鳴らしながら舞う「かっこ舞」が奉納される。三匹の獅子が演じる「かっこ舞」は、農耕のための雨乞いであり、五穀豊穣を祈願することを目的としている。舞のときには、七色の紙を垂らして雨を表した花笠(雨滴笠)をかぶった少女が、笛に合わせて雨音を表すというササラをすり鳴らす。
この約200年前からおこなってきたという神事舞は、後継者がいなく何度か中断されていたものの、近年は地元の若者たちによって復活し保存会もつくられている。平成8(1996)年には館山市の無形民俗文化財に指定されている。
●古茂口獅子神楽●
神事に先だって悪魔払いの意味で奉納される神楽で、安房では神楽といえば獅子神楽を指すことが多い。古茂口の獅子神楽は、厄払いをもとめる家々を廻っておこなう1月15日の春祈祷の時に、また10月16日の日枝神社例祭の時に、それぞれ奉納される。
鳴り物である鼓や笛、太鼓、そして擦鐘(すりがね)などのお囃子にあわせて、二人の踊り手が舞う。奉納の演目は、序の舞、幣束の舞、剣の舞、くずしの舞と続くが、かつてはもっと演目が多かったという。安房では、村歌舞伎をおこなう前の演目として獅子神楽が奉納されていたようなところもあり、獅子神楽と村歌舞伎は一体となって若者たちの地域での芸能であったといえる。
昭和48(1973)年に館山市の指定無形民俗文化財になったものの、時代とともに後継者はいなくなり途絶えていた。だが近年、古茂口獅子舞保存会がつくられ、地域の人びとによって伝承されるようになった。
●山荻神社の筒粥神事●
館山市山荻にある山荻神社では、毎年2月26日に、その年の農作物の豊凶を占うために筒粥の神事をおこなっている。古来、事の吉凶を判定する法として神意を問うために占卜が種々おこなわれていたが、粥を使用した粥占神事もその一つである。山荻神社の伝承によると、景行天皇が諸国巡幸のときに、この神社で筒粥を使って五穀豊穣を占ったとされる古くからの神事という。
筒粥神事は、祈念式を終えると、前日に作った粥を葦筒19本に入れて炊き上げたものを神前に供え祈祷をした後に、宮司により筒粥が1から19まで並べ、順次2つに縦割りにする。筒の中にある粥の量によって、米など18品目の農作物の作柄と世情を判定し、木版刷の紙札に記載して結果を知らせる。かつて農家はこの結果を作付けの目安にしたという重要な神事であった。平成5(1993)年に館山市の無形民俗文化財に指定されている。
●洲崎踊り●
洲崎神社では、2月の初午と8月の神社例祭に、地元ではミノコオドリと呼ぶ洲崎踊りを奉納する。
この踊りでは航海の安全を司る鹿島の神を祀るために、悪霊払いになる鹿島踊りと、弥勒が訪れて富や豊作をもたらすという内容である弥勒踊りから成り立っており、小学生から中学生までの女子が踊り手となって、オンドトリの太鼓と歌に合わせ、ゆったりと輪になって踊る。その時に鹿島踊りでは扇を持って踊るが、弥勒踊りでは2月の初午のときは青竹にサカキと五色の幣束をつけたオンベ(御幣)を、また8月の例祭では木に白い幣束と鏡をつけたオンベを持って踊るという。
明治期には成人男性が踊っていたともいわれ、踊り手がなぜ女子になっていったかは不明である。昭和36(1961)年に千葉県指定文化財となり、昭和48(1973)年には国選択無形文化財なっている。
●厳島神社の湯立神事
館山市西川名の厳島神社では、元々1月15日におこなわれていた現在1月の第2月曜日に地元では「シオマツリ」と呼ぶ湯立神事がおこなわれている。
湯立とは、古来よりおこなわれていた神事で、神社の拝殿前の庭先で大釜に熱湯を湧かして、笹(竹の葉)をもって我が身や参列者に振りかける式である。巫女が神懸かりして神託を述べるために湯立をするのが本来の姿といわれているが、今は託宣に関係なく無病息災や五穀の豊穣を祈願しておこなわれる。神官役が笹でまわりに振りかけ、この湯を浴びると厄払いになることから、参列者は大釜のまわりに集まり、振りかける神官役もずぶぬれになりながら、四方へ湯を飛ばす。終わると、各自が大釜の湯にタオルや手拭をひたし、持ち帰って家族の身体をふいて無病息災を祈るといいます。
厳島神社の湯立神事は、昭和63(1988)年に館山市から市指定の無形民俗文化財として認定されている。