館山城下町と里見氏城跡群

 

館山という地名は、戦国大名・里見氏が居城をかまえていた館山城跡(城山)が、古くから多くの武将たちによって城館に使われていたことに由来します。城館の山を館山と呼び、やがて城の周辺のまちも館山と呼ばれるようになりました。里見氏は170年間にわたって安房国(房総半島南部)をおさめましたが、館山城は最後の20余年の居城でした。

館山城が築かれたことで、館山地区は里見氏の城下町として栄え、湊にはたくさんの船が出入りして賑わうようになりました。城の中心は標高74m(戦争中に高射砲陣地にするため削られ、今は65m)の独立丘で、鏡ヶ浦(館山湾)がよく見渡せました。周辺の平野部には、汐入川・見留川や水堀・沼地が城を取り巻き、濠としました。敵の侵入を防ぐために、山すその崖は垂直に削り(切岸)、外側に寺院を置き、根古屋に家臣団を住まわせて防御線を敷きました。鹿島の領民によって掘られたという鹿島堀の一部が今も残っています。

里見氏改易から200年後、馬琴が『南総里見八犬伝』を書き、江戸期から現代に至るまで日本中の人びとを魅了してきました。城山公園には、里見氏をはじめとする安房地域の歴史文化を紹介する館山市立博物館があり、その頂上には天守閣型の八犬伝博物館があります。

ガイドブック『あわがいど②~房総里見氏』

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