【アサヒ】960409_稲村城跡に市道建設計画
戦国時代の武将・里見氏の拠点
稲村城跡に市道建設計画
保存を訴え教諭らがつどい 館山で14日
(あさひ新聞 1996.4.9付)
戦国時代の武将・里見氏が館山市稲に五百年前に造った稲村城の城跡に、県が造成する工業団地の取り付け市道が通ることになり、貴重な城郭の保存が危ぶまれている。このため、地元高校教諭らがフィールドワークと講演のつどい「房総里見氏と稲村城をみつめる」を十四日午後一時から同市コミュニティセンターで開き、市民の参加を呼びかけている。
稲村城跡は、JR内房線の南、九重駅の西方六百メートルにある標高六四メートルの丘陵。曽呂の完成は二代里見成義の一四九一年(延徳三年)。五代義豊まで約四十年間居城として使われ、里見氏の安房制覇の拠点になったという。哺鄭状態は良く一九八三年には県教委が測量・確認の調査をしている。
城山と呼ばれる本丸に当たる曲輪(くるわ=山を平らに削った所)や、舌状の尾根に造った出先の曲輪、土塁のほか、水往来と呼ばれ空堀(からぼり)としても使われた堀切の道、進入道などが手付かずで残っている。
周辺には「西門」「要害」「堀ノ内」「内宿」の地名、屋号があり、五輪塔、宝篋(ほうきょう)印塔、武士の墓「やぐら」も。県教委の「県中世城跡調査報告書」によると、城そのものは東西南北各五百メートル四方だが、周囲の丘陵も含めた広い意味での城は東西二キロ、南北一・五キロ。
城の南約一・三キロの同市稲・宝貝地区の山林六十八・七ヘクタールに県企業庁が工業団地「館山インダストリアルパーク」の事業決定をしたのは九二年。二千年の完成をめざしている。これに伴い、進入路の市道「八〇四二号線」三千三百五十メートルは事業と同時に認定された。団地北側の二キロについて工事を急ぐといい、城跡にかかる六百メートルを除いてそくりょうを済ませ、五〇%の用地買収を済ませた。
進入道路の工事を担当する館山市工業団地推進室によると「予定コースだと、国道128号とJR内房線を高架でまたぎ、城跡の山を橋げたに山の中を通過する。着工を前に埋蔵文化財の調査もあり、その結果で多少ずれることもある」という。
これに対して「保存する会」の代表の愛沢伸雄・県立安房南高教諭は「埋蔵物ではなく、城の遺構そのものの保存が大事。有名な館山城などは、戦時中に一部形が変えられたが、稲村は無傷に近い貴重な城だ。里見氏の歴史を観光の目玉にしている市が城跡を壊すことになるとすれば残念なことだ」と話す。
十四日のフィールドワークは午後一時から現地を訪ね、専門家の話を聞く。2時半からは千葉城郭研究会員で館山市文化財審議委員の県立柏井高教諭滝川恒昭氏が「里見氏の歴史における稲村城」、城郭研事務局長で県立佐倉東高教諭遠山成一氏が「房総の中世城郭と稲村城」を講演する。無料。