【東京新聞】241107_館山の謎 四面石塔

 

刻まれたハングル 梵字 篆字 漢字

幕府の朝鮮外交と関連? 平和祈願?

館山の謎 四面石塔 建立400年 記念シンポ

(東京新聞 2024.11.7.付)

館山市大網の浄土宗大巌院にある県指定有形文化財「四面石塔」が建立されて今年で400年。珍しいハングル旧字体も含め4種類の文字で各面に「南無阿弥陀仏」と刻まれている。江戸幕府の朝鮮外交や平和祈願との関わりも推察されており、9日に記念の歴史シンポジウム「四面石塔の謎をさぐる」が南総文化ホール(同市北条)で開かれる。

(山本哲正)

主催するNPO法人安房文化遺産フォーラムは「400年前の先人に思いをはせ、善隣友好と市民の誇りを育もう」と参加を呼びかけている。
 大巌院は1603年に安房国主・里見義康の帰依を受け、雄誉霊巌(おうよれいがん)(1554~1641年)が開いた。雄誉は徳の高さが評判で幕府の信任も厚く、1624年に江戸城の真っ正面に霊巌寺を創建。後に浄土宗総本山知恩院32世として日本一の大梵鐘(ぼんしょう)を鋳造。全国に3千人を超す弟子がいたとされる人物だ。
 石塔は高さ約2・19メートルで、玄武岩、または伊豆石(安山岩)の可能性がある。刻まれた文面によると、夫婦で生前法要を受けた「山村茂兵」という人物の寄進を受け、雄誉が24年に建立した。各面に彫られたのは和風漢字、中国篆字(てんじ)、インド梵字(ぼんじ)、朝鮮ハングル。特にハングルは15世紀につくられた「東国正韻(とうごくせいいん)式」で、100年ほどの短期間で消滅した字体という。この字体がなぜ使われたのか。石塔について解明されていない謎は多く、その一つだ。
 安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表は、県立高校の世界史教諭だった1992年から石塔を世界史や平和学習の教材にしながら調査研究を進めてきた。
 石塔建立の1624年は豊臣秀吉の朝鮮侵略から三十三回忌に当たり、日本に連行された「被虜人(ひりょにん)」の送還(第3回朝鮮通信使)が行われた年だ。愛沢さんは「仮に山村茂兵が朝鮮被虜人だとしたら、慰霊と平和を祈るために供養塔の建立を雄誉上人に願い出たと想像することができないだろうか」との見方を示している。
◆大巌院で見学会も
 シンポジウムは午後2時から同4時半。愛沢さんや、房総石造文化財研究会の早川正司さん、里見氏研究会の滝川恒昭さん、韓国語講師で翻訳者の永渕明子さんらが登壇予定。予約不要で資料代千円。大巌院で午前10時から四面石塔の見学会と奉納コンサート(参加費千円)があり、こちらは要予約で残りわずか。問い合わせ、申し込みはフォーラム共同代表の池田恵美子さん=電090(6479)3498=へ。
 大巌院の石川龍雄住職(77)は「多くの人に四面石塔の重要性を再認識していただき、日韓友好、文化交流が進めばうれしい」と話している。