富崎の神話①~忌部
古代の安房を描く神話のひとつに、『古語拾遺(こごしゅうい)』という書物に書かれている、忌部(いんべ)という氏族があります。忌部氏は、朝廷で神祭りを担当していました。忌部氏の指導者だった天富命(あめのとみのみこと)は、宮中に神殿を建て、木綿や麻などの織物や鏡・玉などの祭りの道具も、自分たちで作ることになりました。玉は出雲の国で作り、布は四国の阿波の国で作りました。
その後天富命は、布を織るための植物を栽培するのに、良い土地を求めて、四国の忌部一族を率いて、海路を東に向かい、房総半島の南端に上陸しました。そして、阿波の国で栽培していた、穀物や麻を植えてみると、良く育ちました。そこで房総半島を「総の国」と名づけたのです。古代には麻のことを、総といっていたからです。のちに総の国は二つに分かれ、都に近い半島南部を上総の国、北部を下総の国としました。
また、阿波の忌部氏が移住した本拠地を、故郷にちなんで「安房」と名づけ、天富命はそこに先祖の天太玉命(あめのふとだまのみこと)をまつる神社を建てました。それが、安房神社の始まりであると伝えています。また、天太玉命のお妃が洲宮神社と洲崎神社にまつられています。
これらのことも、すべて本当にあったことかどうかは、はっきりしません。しかし、現在でも安房神社の周辺を神戸(かんべ)地区といいますが、神戸は神に仕える家のことで、安房神社の神に仕える人々の家がある地域だったということです。
また、「神余(かなまり)」は、神戸の余りということで、神戸の人口が増えたため、あふれた人々が新しく開拓して住んだ場所という意味になります。まさに、この辺りは、安房神社ゆかりの地域なのです。