小谷家住宅・沿革

【種別】館山市有形文化財(建造物) 指定

【名称】小谷家住宅 1棟

【所在地】千葉県館山市布良1256番地

【所有者の氏名】小谷 福哲

【構造形式】桁行10.98m、梁間8.55m、寄棟造、桟瓦葺き、平面積92.7㎡

【時代】明治時代

 

【創建及び沿革】

小谷家の所在する布良(めら)は房総半島最南端に位置している。布良浦は潮流が激しく古くから魚介類の宝庫で、延享年間には鮪延縄漁も創始されて布良は漁村として大いに栄えた集落である。

小谷家は江戸時代から続く漁家で、昭和19年に廃業するまで船主であった。明治には布良村漁師頭や布良救難所看守長を務めるなど(注1)、村の指導的役割を果たした家柄である。

布良は明治9年、明治22年、大正2年に大火を被り、それぞれ229戸、74戸、137戸が焼失している。当時の家屋はほとんどが茅葺き屋根であったと思われるが、次第に屋根を瓦葺きにするなど不燃化を考慮した造り方に変化していったものとみられる。

小谷家住宅は、明治9年大火後に再建されたと言い伝えられている。しかし、間取りや垂木止めに洋釘を用いるなど、明治初期の造りよりも新しい傾向を示しており、明治22年大火後の再建と考えた方が妥当である。また、明治37年にはこの住宅の「オクフタマ」に洋画家青木繁が逗留していることや客座敷平書院の欄間彫刻に橘義信作の刻銘(注2)があり、義信は明治20年代から活躍して大正15年に没していることから、明治22年大火後の再建を裏付けている。

住宅は建ちの低い桟瓦葺きの平屋建てで、内部に土間はなく下手に差し掛けの土間・炊事棟を建て、安房地方に多く見られる分棟型に近い形態をとっていたとみられる。あるいは農家とは異なった漁家としての性格が出ているとも考えられる。この差し掛け部分は昭和43年ごろに建て替えられ、背面上手裏の連続した2か所の押入も後に増築された。

(注1) 明治35年に安房郡富崎村長より長年の漁師頭等を務めた功績に対して感謝状を受け、明治45年には帝国水難救済会総裁大勲位威仁親王より救難事業の功績により表彰を受けている。

(注2) 欄間彫刻刻銘 「安房郡国分村/後藤喜三郎/橘義信作」

 

【棟札及び墨書銘等】

平書院欄間彫刻刻銘「安房郡国分村/後藤喜三郎/橘義信作」

 

【説明】

住宅は南面し、桁行五間半、梁間三間半の主屋主体部と南正面・東側面に半間の庇を廻した桁行六間、梁間四間の平屋建て、寄棟造、桟瓦葺きで、庇屋根は一段低い桟瓦葺きとなっている。西側の台所・納屋部分は元の土間・炊事棟を昭和43年ごろに建て替えたもので、主屋西側壁と軒廻りは大壁造り漆喰塗り、正面側の腰壁は海鼠壁であった。これは相次ぐ大火を経験し、屋根を茅葺きから桟瓦葺きに、海風が強くかまどのある台所棟に接する西側は大壁造り海鼠壁として、火災に備えた造りとなっている。

間取りは正面中央に式台付き玄関を設け、その奥にザシキとナンドを前後に並べ、これらの隣に客座敷として二間続きのオクフタマ、下手に板の間2室がそれぞれ前後に並び、ザシキと板の間前面に横長の小部屋が配置されている。天井は客座敷を棹縁天井とするが、ほかは根太天井としている。また、イタノマ後室には中二階が上がり、階下は漁船員の宿泊、階上は漁具置き場に利用された。

押板と仏壇を備えたザシキはその背後にナンドを配し、これらの上手に床の間と書院を備えた客座敷二間を取る構成は江戸時代からの上層民家の定型どおりである。しかし、客座敷前後の部屋境とザシキ境の交点に柱を立てておらず、冠婚葬祭や寄り合い時などに三部屋20畳大の大広間として使えるようにしたもので、近代的間取りの傾向を示している。

また、伝統的間取りでは出入口として座敷玄関と側面土間部分からの戸口が使用されるが、この住宅ではザシキ正面に普段の玄関を設けていること、さらに玄関脇の庇を小部屋の書見台として利用するなど住まい方が江戸時代と異なった新しい傾向を示していて、現代住宅に連続する祖形を持っているといえる。

構造は柱が太く、客座敷を除いて根太天井とするなど木太いつくりで、海に臨む小高い場所に立地していることから、台風など海風に対処している。小屋組は和小屋組で二重梁構造とした堅固なつくりとなっている。

建物の改造としては、ナンド背面に窓の痕跡があり、当初はこの背面にある縁が雨戸を建て込んだ内縁形式であり、これに続く便所脇にある半間押入2か所が後設となるのが主なる箇所である。

この住宅は漁業で栄えた布良に残る明治中期の上層漁家として貴重である。その造りは分棟型民家の系統をひいており、屋根を桟瓦葺き、一部を大壁造りとした防火造りとし、伝統的な間取りを脱して近代的間取りの傾向を示している点に特徴がある。また、明治期の洋画家青木繁が寄寓して「海の幸」(重要文化財)の制作に係わった家としても広く知られている。以上から小谷家住宅は歴史的価値が高く、かつ地方的特色において顕著であり、館山市内の歴史的建造物として重要である。

 

【保存上の留意事項】

建物はほぼ良好に保存されているものの、次の箇所の修理が必要である。

①正面本体・庇間鉄板を撤去して本来の軒廻りを表す。この際には庇屋根取り付き部及び本体部軒廻りの修理が必要となる。

②正側面大壁、海鼠壁の補修・復原

③背面瓦屋根及び木部補修(緊急性あり)

④屋根桟瓦葺きの葺替え

【小谷家々系図】