風物詩

夏越しの大祓い

月の当番さんが「ナデ」持ってきました  早いなあ 半年過ぎたなと思う

紙を人の形に切り抜いた人形(ひとがた)

形代(かたしろ)=自分の身代わりだね

家族一人一人が身を撫でる(このことからナデともいうよ)

家族 各自が息を三度人形に吹きかける 残り半年清々しく過ごせますように

 ご苦労様です  

 

菊日和

 

二軒の菊の愛好家様が青木繁「海の幸」記念館に11月3日4日5日の三日間

丹精した菊を貸してくださいました 和菓子と抹茶でお客様はニコニコ顔

盆月

青木繁が明治37年8月22日に布良の小谷家から梅野満雄に絵手紙を

出している

私はいつもこの手紙を記念館で読むと懐かしい富崎(布良・相浜)の風景が浮かぶ

特に雲ポッツリまたポッツリ・・・からの文が好きだ

そして平砂浦の浜地にはウリ・スイカがよくできるとある

今年も保存会の会長が丹精込めたマクワウリが記念館の狭い畑にできた

黄色いかわには産毛がある  洗ってつるつるにして切る

やわらかく色はどちらかといえば白い 自然の甘みがこれも懐かしい

西瓜とマクワウリは私の子供の頃は盆月の仏さまのごちそうの一つに飾られた

 

 

布良 祭り終わる

うだる暑さ 昔は8月1日が布良の祭り

神社は記念館の脇の道を挟んだ高い所にある

記念館も景気づけに飾り提灯をぶら下げる

姉さ被りで女性の着物で担いでいた装束も今は服装も変わった

祭りと同じ日に記念館の庭で🎐を展示・館山在住の陶芸家福島久美子さん

私は昨年も記念館においでくださったお客様と🎐の音を聞きながらパチリ

7月23日Eテレ日曜日美術館で天才画家青木繁の人生を

石橋凌が追った 私がかって青木繁の故郷を訪ねたからなのか

心にしみる  再放送 7月30日 20時 みてね

 

 

 

 

 

 

 

夏越の大祓い

年を重ねると月日が速いです  小雨で神社は静かです 鶯が鳴いています 聞こえますか

ここは相浜神社です 茅野輪作りは布良は前からのようですが相浜は3年目です

3回くぐり抜けました

夏越の大祓い(6月30日)は私が子供の頃もありましたから

富崎の風習として続いているのでしょう 残したいものです

(私事です 痛みに弱い私は今年は外に出ることに気弱くなってましたが)

形代に名前を書き反省と祈念を込め体を撫で息を3回吹きかけて神社へお届けしました

なぜかほっと体が軽くなったような気がしましたよ ありがたや ありがたや です

 

春ですね

咲きました 陽光桜です

「海の幸」記念館・・昨年(二十八年 四月二十四日 開館)

スタッフで植えました きれいでしょ

来年は桜の周りに菜の花をと私は考えてます

記念館開館と私の誕生日同じです(だからなんなの)・言わせてね

新わかめ

食ってくらっしぇと若布をもらう

湯をくぐらせると見事(茶が緑色)  若布の芯(みち)は圧力鍋で佃煮風・

めめ(根)・・刻んで三杯酢 柔らかいところは干したり、

そのまま わけぎすみそやサラダにと若布ざんまいです

野草・・明日葉は柔らかそう

ヨモギ・クコ(もう遅いかな)・つくし・・散歩ながら摘みにいこうかな

3月3日

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桃の節句にふさわしい日和です

古い雛様と(江戸中期頃と明治)つるし雛見たくてね来ましたよ

今日は早くこないと混むと思ってさ「 海の幸」の画は忘れられているね

今日一日52名のお客様がにこにこ顔で時間を過ごされました

 

 

今日は初午祭

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春の最初の午ノ日が初午祭 今日です

庭で掃除をしているとで十時に行きますからと声がかかる 神主様は朝から

稲荷講・一軒稲荷社と廻り忙しそうだった

稲荷様の通る道にあら砂を敷き 御供えは油揚げ、赤飯

誰かがするめも好きだよと言われたが?

相浜はまだ神主様が廻る件数が多いようだ   

昭和50年頃まで小学校の生徒がおこずかいになる楽しい行事の一つだった

夜、地区ごとに集まり各家家に廻り歩く

大きな声で(女の子は少し恥ずかしいけど)

  お稲荷さんのお初 あげておくれあげねと商売繁盛させね

というと玄関があきご苦労様と家の人がお菓子やお金をくださる・・とてもうれしかったなあ

今は子供もいなくなり漁師さんも少なくなり 時代の流れでこんな風習もなくなった

今日は海の色もまっさおで富士山がくっきり見えた

あたり前に見ている私達だが相浜亭に食事に見えた若者が””すげーな”連発しているのに驚いた