寺崎武男(てらさきたけお)
●寺崎武男(てらさきたけお) 1883〜1967
明治16(1883)年東京生まれ。青木繁より3年遅れて、明治40(1907)年東京美術学校卒業後、農商務省実業生として渡欧。ヴェニスとベルリンを本拠地に、フレスコ画(塗りたての漆喰の壁に描かれた壁画)やエッチングなどで活躍。大正5(1916)年帰国、翌年日本水彩画会や文展に本格的な作品を出品。大正7(1918)戸張弧雁、織田一磨、山本鼎らと日本創作版画協会を創立。さらに昭和5(1930)年には洋風版画会創立同人となり、日展無審査になっている。この年、日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞。この観音を主題にしたテンペラ画『幻想』は、今なおヴェニス近代美術館の壁面を飾っている。版画家の山本鼎(かなえ)らと日本創作版画協会を設立するとともに、壁画・版画・テンペラ・エッチング・水彩画・油絵など日本の美術史に多くの影響を与えた。
1930(昭和5)年、日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞。1949(昭和24)年に法隆寺の金堂壁画が焼失したために国宝の輪堂に壁画を描き、明治神宮の聖徳記念絵画館には『軍人勅諭下賜ノ図』が収蔵されている。
武男は彫刻家・長沼守敬を慕って館山を訪れるうち、房州の海がすっかり気に入り、館山町西の浜に別荘を建て、避寒避暑がてら来遊してスケッチをし、構想を練り、多くの大作を描く。第二次世界大戦で東京赤坂の家が焼失してからは館山に定住し、旧安房中学校(現安房高校)から美術講師として招かれ、海外仕込みの本格的な芸術を館山の若者たちに教えた。
神話の里・安房に惹かれてか、安房神社や諏訪神社(館山市波左間)、下立松原神社(南房総市白浜町)などに、神話を題材にした作品が多く残されている。なかでも、布良崎神社の大作は、鳥居型に額装されている。