青木繁画伯記念碑建立趣意書

「われ丹青によって男子たらん」と深く自からに誓った明治洋画壇の鬼才 青木繁画伯が福岡市杉浦病院の一室で不遇のうちに夭折されてここに50年を迎えました。

画伯はその30年に充たない生涯に、天びんにくわえ情熱を傾注し、妖しいまでの光芒を強く放つ幾多くの佳作を残されました。その作品は明治浪漫主義の一大金字塔として景仰されているところであります。

明治37年夏、それは画伯の短い生涯で最も幸福であり、良き年であったといわれておりますが、房州〝布良海岸〟に滞留し、ここに素材を得て熾烈に生命を燃焼させ、作品〝海の幸〟を始め数点を描き上げました。

ゆらい房州路は、その敦厚な風俗と、秀麗な景趣をもって知られ、夙に文人墨客の来訪多く、なかんずく布良の磯浜は黒潮に烟り、厳冬のころ早や菜種の花の咲き乱れる地であり、前方指呼の間に伊豆大島を浮べ新島利島など遥かにこれに連り、天城の嶺、富士の容姿はその右方に仰がれる所であります。加うるに漁村独特の人数風俗は共に画人の愛好かかないところ、即ち画学生の町と言われるゆえんでもあります。

ここに画伯を敬慕し、その作品を熱愛する者たちあい寄り、ゆかりの布良海岸に記念の碑を建立して、永く追慕いたしたいと発起いたしました。

願わくばこの挙に対し、深い御理解と御賛同を賜わり、お力添えをいただけますならば、望外の幸せと存じます。

 

昭和36年9月

発起人
代表 田村利男:館山市長
坂本繁二郎:文化勲章受賞
辻 永:日展理事長
富永惣一:国立西洋美術館長
中沢弘光:文化功労賞受賞
熊谷守一
金沢秀之助
石川寅治:日展監事
山下新太郎:文化功労賞受賞
河北倫明:国立美術館次長
中村新一:芸術院会員
鈴木千久馬:日展評議員
嶋田 繁
川名正義:千葉県公安員
穂坂与明:館山病院長
赤穴 博:…児童園長
安田豊作:館山市立北条小学校長
野原 肇:館山市布良漁業協同組合
神田徳次
小谷 庸
長谷川広治

事務局:館山市役所