太平洋・アジアとの交流文化

逆さ地図に象徴されるように、弓型に弧を描く日本列島の頂点にあたる安房国は、古くから太平洋に開かれた海路の要衝でした。交易の湊であり、豊かな漁場にも恵まれた地の利ゆえに、戦略的軍事拠点として繰り返しさまざまな支配権力の影響を受けてきた地といえます。しかし一方では、太平洋アジア世界の海に生きる人びとが往き来し、特に海運や遠洋漁業が発展していくなか絶えない遭難事故を救助しあうなど、異なる価値観を乗り越え交流文化を育み、共生してきた地でもあります。

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清国船「元順号」漂着
清国船「元順号」遭難救助の日中友好碑 . 太平洋の波が打ち寄せる千葉県南房総市千 […]
日中交流
●遣唐使船で中国に運ばれた「望陀布」 -房総は(「総」は良質の「麻」)-麻織物の […]
平和祈願の錦綴織
● 綴錦織にこめられた平和の祈り ・遠藤虚籟(えんどうきょらい) 1890(明治 […]
安房に来た済州海女
●済州島からの朝鮮人海女と軍需物資「カジメ・アラメ」● カジメとアラメは外海性岩 […]