共生と交流を育んだ房総アワビ移民史
池田 恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム共同代表
『歴史地理教育』2026.7.増刊号 ⇒ 印刷用PDF
はじめに
房州根本(千葉県南房総市)の海産物問屋「金澤屋」の小谷源之助・仲治郎兄弟をリーダーとする男海士(潜水士)らは、明治期より米国カリフォルニアへ渡り活躍した。在米日本人の職業斡旋などに携わっていた佐賀県出身の野田音三郎が、モントレー海域にはアメリカ人が食さないアワビが大量に生息していることに気づき、乾鮑(干しアワビ)製造の専門家を調査派遣するよう農商務省に要請したことで、小谷兄弟に白羽の矢が立ったと伝えられている。
1897年9月、兄の源之助は渡航目的に水産業調査と記された旅券を手に単身渡米した。3か月後、弟の仲治郎は漁業製造監督、三人の男海士は漁業と目的が記された旅券をもち渡航した。しかし寒流のため素潜りは厳しく、故郷からヘルメット型の潜水器とともに、潜水士を呼び寄せた。モントレー半島から少し南下したポイント・ロボスを拠点に、潜水器アワビ漁と乾鮑製造の事業を始めたのである。
その後、実業家のA・M・アーレンと共同で缶詰会社を興した。苦楽をともにし、生涯にわたるパートナーとして強固な信頼関係を築いていった。
1.激化する排日運動のなかで
彼らが渡米してまもなく、中国人に続き日本人の排斥が高まっていく。水産分野で最初に漁獲規制が強化されたのはアワビ漁であった。移民政策が厳しくなると、潜水士の渡米も困難となったが、様々な議会対策や学術的な対抗策で粘り強く取り組み、房総アワビ移民らは異例の特別待遇を勝ち得たのである。地域社会においても市民との交流を大切にし、共生を育みながら、事業を継続していった。
アワビは缶詰や乾鮑にして中国と日本に輸出していたが、1915年にアワビ加工品はカルフォルニア州外への持出しが禁止され、事業は危機に陥った。そのころ、ドイツ人のポップ・アーネストというレストラン経営者が現れ、アワビステーキなどの調理法を開発した。サンフランシスコ万博で紹介されて人気を博し、アワビはアメリカ食文化に革命をもたらした。カリフォルニアのアワビ産業は100万ドルの収益を挙げ、そのうちの75%は小谷らの缶詰会社が占めたという。
事業に成功した小谷源之助は日本人会会長などの要職を歴任し、モントレー市民の信頼も得て、1930年に亡くなった。妻ふくは、「夫の在米34年間は、常に公共という精神で地域社会に貢献した人であった」と述べている。源之助の没後も、ゲストハウスには竹久夢二ら多くの芸術家や政治家の尾崎行雄なども滞在しており、その精神は子孫らに引き継がれていた。
やがて開戦に伴う日系人強制収容により、房州移民のアワビ事業は終焉を迎えた。終戦で収容所の閉鎖に伴い各地では反日運動が盛んになったが、モントレーでは解放された日系人らを迎え入れるための嘆願書が提出されたという。地元新聞には「民主的な暮らしをすべての人に」という見出しで報道され、作家のスタイン・ベックら多くの著名人も賛同し、400名以上が署名している。アメリカ人による組織的な親日運動としては例をみないほど大規模であった。日系人と地元住民らが築いた共生や交流は、現代まで続いている。
1994年、モントレー半島の日本人移住100周年記念式典において、小谷源之助の米国への貢献が顕彰され、ポイント・ロボスの州立自然保護区内の居住地跡は「コダニ・ビレッジ」と命名された。
2026年には、日系アメリカ人市民連盟(JACL)モントレー会館が百周年を迎えた。1925年にこの地を訪れた朝香宮夫妻が日本人の活躍に感銘して授けた下賜金と、アワビ事業の収益などを原資として、翌年に建てられた日本人会の集会所である。今なお日系人コミュニティの中心であり、館内にはヘリテージセンターもある。潜水器や様々な史料とともに、日米の国旗が染められた「万祝」という漁師の着物が展示されている。これは、南房総市の渡米子孫宅に保存されていたものを、友情の証として2007年に寄贈した。同じものは2点の現存が確認できており、もう1枚は館山市「渚の博物館」に所蔵されている。
一方、小谷仲治郎は9年滞米の後に帰国して房州千田(南房総市)に暮らした。潜水士を養成して米国へ送り込みながら、安房地域の教育や文化、水産振興に尽力した。共同経営者であったアーレンと妻サティの逝去時には、それぞれ千田の長性寺で仏式の法要を営んだ写真が残っており、絆の深さを知ることができる。
近年、仲治郎の旧宅を解体するにあたり、襖を丁寧に剥がしたところ、大量の古文書を発見した。おもに明治期の書簡や勘定書などの断簡文書であった。台風で水没した被災資料を原状回復し、コロナ禍に約530枚の崩し字を解読して分析調査を進めた。今まで知られていなかった渡米前の背景や人脈が明らかになってきた。生活のために様々な職業を求めた出稼ぎ移民とは異なり、政府とも繋がる専門家集団であった。
2.アワビをめぐる水産界ネットワーク
1878年、根本の森清吉郎は、器械潜水の始祖である増田萬吉を横浜から招聘して、潜水器を利用したアワビ漁法の試験操業を成功させた。一族の森惣右衛門も資金援助しており、村をあげての大事業となった。この漁法はまたたく間に全国各地へ広がっていった。
惣右衛門の弟・森大吉は、根本の金澤屋に婿入りし、4代目の小谷清三郎を襲名していた。実家の森家と協力しながら、潜水器アワビ漁業や安房の特産品である乾鮑の製造販売事業を進めていった。
清国貿易の需要が高い乾鮑は高品質が求められ、農商務省は1883年に第一回水産博覧会を開催した。清三郎は褒状を授与され、「製法宜キヲ得て品位佳良ナルニ由リ清国人ノ嗜好ニ適ス」と講評を得ている。さらに、1886年の大日本水産会主催の共進会で一等賞、1890年の内国勧業博覧会でも入賞し、乾鮑製造の第一人者として知られていった。古文書調査でも、「南京人に見せ‥塩かげんと云いかたちと云い申分なし‥と申され」たと記された書簡が見つかっている。
海外の最先端技術にも精通し、英語が堪能な増田萬吉との出会いは、清三郎が海外に視野を向ける契機になったと思われる。長男の源之助を慶應義塾幼稚舎と商法学校に、二男の仲治郎を大日本水産会水産伝習所に進学させ、8人の子女すべてに高等教育を与えている。先進的な学問や経営の実務技能を身につけた源之助、水産の最高学府で専門知識を得た仲治郎。2人とも学生時代から十分な英語力を習得し、後々まで役立つ人脈を培っていた。
卒業後の源之助は、家業の手伝いで新潟県佐渡や秋田県能代などに赴き、潜水器アワビ漁や乾鮑製造の事業を拡大して成功を収めるとともに、さらなるネットワークを築いていった。また、仲治郎の在学中より、金澤屋は水産伝習所や農商務省と深い繋がりがあったことも古文書調査から明らかになってきた。
1888年に創設された水産伝習所は、初年度より安房で実習をおこなっており、根本では金澤屋の小谷清三郎が乾鮑製造を指導している。伝習所の初代所長を務めた関沢明清は、農商務省事務官としてウィーンやフィラデルフィアの万博に参加し、米式捕鯨銃や缶詰製造、鮭鱒の人工ふ化など欧米の水産技術を日本に導入した近代水産業のパイオニアである。1889年に官を辞して館山へ居を移し、関沢水産会社を設立して自ら遠洋漁業や捕鯨事業などを展開した。中央と安房を結ぶ水産界ネットワークの中心にいたといえる。
さらに、仲治郎が水産伝習所で師事した海藻学者の岡村金太郎や動物発生学者の岸上鎌吉は、研究のための調査を根本で実施し、金澤屋の協力を得ている。特に岸上はアワビ研究の第一人者であり、農商務省水産調査所の主任技師として、論文「外国ニ於ケルあはび漁業」を発表している。これには、魚類学者でスタンフォード大学初代学長のデービッド・S・ジョーダン博士がモントレー周辺で調査した論文を引用している。
1896年に米国海洋調査船アルバトロス号の調査員らが来日し、水産伝習所において講演会、東京芝の紅葉館で懇親会が開かれた。通訳を務めた大瀧圭之助は、農商務省水産調査所技手の魚類学者であり、米留学時にはジョーダン博士に師事していた。こうしたアメリカの情報は、大日本水産会会報にも頻繁に紹介されており、小谷兄弟は渡米前からモントレーのアワビ情報に熟知していたと考えられる。
また、懇親会場となった紅葉館主の野辺地尚義は、日本の「英学教育の始祖」といわれる英学者である。しかも、小谷兄弟の渡米を導いた野田音三郎の岳父であった。渡航前年に、日米の水産界ネットワークがここに集結していたことは偶然ではないかもしれない。
3.地域コミュニティの共生と交流
仲治郎の没後、女婿の大島四郎は岳父の生涯を私家本『安房の潮左為』にまとめた。それには、「あるとき、加州海岸で大学生たちが魚介類の調査研究を行なっていた。たまたまその海岸にいあわせた仲治郎はその様子をながめていたのであるが、採集された貝の名や分類がわからず学生たちがしきりに議論しているのをみて、彼は明快に解明して学生たちを驚かせた‥」とある。これは、先述のジョーダン博士がモントレーに開設したスタンフォード大学のホプキンス臨海実験所の研修会だったと推察される。
渡米後まもなく排日の気運が高まるなかで、アワビ資源の枯渇を危惧する住民の訴えが起き、漁獲規制問題に発展していった。小谷兄弟は岸上のアワビ研究論文を科学的根拠として裁判で反論するとともに、白人342名の署名を郡議会に提出したり、在サンフランシスコ日本国総領事に陳情書を送ったりしている。
1940年の『在米日本人史』に「排日と小谷の苦闘」という章がある。「小谷兄弟の白人と提携した調査と研究を重ね‥」と記され、海上ピクニックを催して新聞記者や郡参事員などに潜水器アワビ漁の実況を見せて無害を訴えるなどの運動も紹介されている。
渡米前から培った専門的な学びや水産学権威らとの人脈、アーレンとのパートナーシップにより、厳しい移民政策下でも特別の事業継続が認められていった。
農商務省から海外実業練習生として派遣された椎原廣男は、「米国における本邦採鮑業者の状態幷びに経営法に就いて」という公式報告書を、1908年の『農商務省商工彙報 臨時増刊第十號』に発表している。アワビの餌である海藻の植生研究を専門としていた椎原は、水産講習所で指導を受けた海藻学者の岡村金太郎から小谷兄弟の話を聞いていたであろう。
椎原が調査でポイント・ロボスを訪れたのは、まさに排日運動が激化した時期であった。極めて困難な状況での移民問題は重要と考え、アワビ事業の分析をテーマに選んだと推察される。
この報告書は、「1.採鮑業の沿革/2.小谷採鮑製造所/3.加州沿岸に於ける鮑の分布/4.採鮑の方法/5.製法の一般/6.労銀/7.販路の状況/8.製造売上高/9.本邦仲買業者の不徳/10.採鮑業の将来に就て」という章立てで、米国の水産調査委員ウィルコックスの報告書も引用している。
渡米初期は裸体潜水であり、1898年より潜水器の使用をはじめ、1台あたり8人を要することや、米国製潜水器は品質が悪くゴム部に亀裂を生じたが、日本製を取り寄せると品質良好で長期間の使用に耐えた、などの記載もある。
事業経営については、「アーレン氏を支配人トナシ小谷両氏ハ単ニ使用人ノ名義ヲ仮用」しており、「之レ実ニ当北米合衆国ニ於ケル邦人経営法ノ最良手段」と述べている。在米日本人経営者の多くは白人と没交渉で融和する者は少なかったが、排日の妨害を避ける手段として彼らの日米共同経営のあり方を高く評価し、本国政府に報告していた。困難な苦労話ばかりでなく、アーレン夫妻と家族ぐるみで築いた共同経営の理念や深い信頼関係、地域コミュニティとの共生や交流を直に見聞きし、椎原は感銘を受けたのではないだろうか。
4.和歌山歴教協との教育交流
2025年度、「和歌山移民研究を軸とした国際交流事業実行委員会」に参画し、文化庁事業に取り組んだ。移民史・美術史・水産史をめぐる日米共同調査やシンポジウム・展覧会を協働でおこなってきた。
その一環として、アメリカ研修に参加した和歌山県歴教協の教員らとともに、「和歌山と千葉安房のオンライン教育交流会」を開催した。共生社会のあり方について考えるとともに、広域連携・国際的な視点へ広がる地域史教育について協議することができた。ユーチューブで公開配信しているので、QRコードより視聴していただけたら幸いである。

編集:戦争遺跡保存全国ネットワーク
発行:大月書店
初版:2026.6.
価格:13,000円+税(14,300円)
サイズ:B5、688頁
・・・・・・・
〔目 次〕 ※赤字は当NPO執筆(愛沢伸雄/池田恵美子)
序
第1部 戦争遺跡の調査・研究――歴史と現在
・近代日本の戦争遺跡とは
・代遺跡としての戦争遺跡、その調査研究の歩み
・調査法
・史資料の調査方法(国内/国外編)
・聞き取り調査の方法
・戦争遺跡保存運動のあゆみ
・保存された遺跡・保存されなかった遺跡
・戦没者遺骨収集に関する問題点
・水中戦争遺跡の問題
・文化財返還問題
・エコミュージアムと戦争遺跡(概要編)
・エコミュージアムと戦争遺跡(事例編)
・平和教育と戦争遺跡
・近現代史教育と戦争遺跡
・考古学会と戦争遺跡
第2部 戦争遺跡案内(国内/海外)
【国内編】
<北海道エリア>
・エリアの概要
・明治期の屯田兵関連・陸軍第七師団関連遺跡
・昭和の海軍関連・民間の空襲被害の遺跡
・北海道の防御陣地、トーチカ群
<東北エリア>
・エリアの概要
・八戸要塞跡(青森)
・葦毛崎海軍電探基地跡(青森)
・陸軍騎兵第三旅団覆馬場(岩手)
・松ヤニを採取した松並木(岩手)
・花巻防空監視哨聴音壕(岩手)
・中島飛行機黒沢尻疎開工場地下工場跡(岩手)
・陸軍省軍馬補充部六原支部官舎群(岩手)
・歩兵第四連隊兵舎(宮城)
・多賀城海軍工廠松島地下工廠跡(宮城)
・「不忘の碑」と「不忘平和 記念公園」(宮城)
・花岡事件関係遺跡(秋田)
・秋田県内奉安殿(秋田)
・大仙市強首演習場(秋田)
・大蔵寺の絆のさくら記念碑(秋田)
・男鹿市防空監視哨(秋田)
・田沢湖姫観音像(秋田)
・土崎空襲関係遺跡(秋田)
・東根市若木山防空壕(山形)
・原町飛行場跡(福島)
・西郷村旧軍馬補充部白河支部事務所(福島)
<関東エリア>
北関東(茨城・栃木・群馬)
・エリアの概要
・霞ヶ浦海軍航空隊関連遺構(茨城)
・鹿島海軍航空隊関連遺構(茨城)
・筑波海軍航空隊関連遺構(茨城)
・鉾田陸軍飛行学校跡(茨城)
・風船爆弾大津基地(茨城)
・栃木県の各種飛行場(栃木)
・栃木県の中島飛行機(栃木)
・栃木県の学童疎開(栃木)
「軍都」宇都宮(栃木)
・空襲の痕跡(群馬)
・防空監視哨(群馬)
・陸軍岩鼻火薬製造所跡と火薬製造所地下工場(群馬)
・迫撃第一連隊の特殊演習場跡(群馬)
南関東(埼玉・千葉・神奈川・東京)
・エリアの概要
・熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡(埼玉)
・東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔(埼玉)
・吉見百穴の地下工場跡(埼玉)
・館山海軍航空基地(千葉)
・館山海軍航空隊赤山地下壕跡(千葉)
・館山海軍砲術学校跡(千葉)
・房総半島南部の特攻基地群(千葉)
・『沖縄作戦ノ教訓』と本土決戦の抵抗拠点(千葉)
・大房岬要塞群(千葉)
・木更津海軍航空基地(千葉)
・第二海軍航空廠跡(千葉)
・富津砲台跡・富津射場跡・第一海堡・第二海堡(千葉)
・香取海軍航空基地跡(千葉)
・偵察教育を行う下志津陸軍飛行学校(千葉)
・射的から射撃、そして陸軍野戦砲兵学校へ(千葉)
・旧鉄道連隊材料廠レンガ建築(千葉)
・陸軍習志野学校跡(千葉)
・旧陸軍高射砲第二連隊の照空予習室(千葉)
・ロケット戦闘機「秋水」地下燃料庫跡(千葉)
・東京湾要塞跡・猿島砲台跡・千代ヶ崎砲台跡(神奈川)
・東京湾第三海堡遺構(神奈川)
・東京陸軍兵器補給廠・同塡薬所(田奈部隊)(神奈川)
・登戸研究所(第九陸軍技術研究所)(神奈川)
・東部第六二部隊(神奈川)
・相模陸軍飛行場(中津飛行場)跡(神奈川)
・宮根照空隊陣地跡(舞岡熊之堂遺跡)(神奈川)
・日吉台地下壕とその周辺(神奈川)
・旧日本海軍上瀬谷補給工場跡(神奈川)
・高座海軍工廠(神奈川)
・相模海軍工廠本廠(神奈川)
・第二海軍火薬廠跡(神奈川)
・貝山地下壕(神奈川)
・野島掩体壕(飛行機格納用大型隧道)(神奈川)
・三浦半島の本土決戦用遺跡群(神奈川)
・川崎市笹の原の戦災供養地蔵と野川戦没者慰霊碑(神奈川)
・北の丸の近衛連隊跡(東京)
・東京歩兵第一・第三連隊跡(東京)
・陸軍東京砲兵工廠跡(東京)
・戸山ヶ原の軍事施設跡(東京)
・北・板橋両区にまたがる日本の火薬庫(東京)
・陸軍代々木練兵場跡(東京)
・大橋~代沢に連なる兵隊屋敷跡(東京)
・駒沢練兵場跡とその周辺の軍事施設跡(東京)
・陸軍士官学校跡・陸軍参謀本部跡(東京)
・金属供出と東京大空襲・深川被災地(東京)
・浅草寺の戦災樹木(東京)
・戦災樹木・墓石(東京)
・靖国神社・遊就館(東京)
・本土防衛の最前線、伊豆諸島最南部としての八丈島(東京)
・戦争に翻弄された小笠原諸島(東京)
・浅川地下壕(多摩地域)
・帝都防空の基地、調布飛行場の掩体壕(多摩地域)
・旧日立航空機戦災変電所(多摩地域)
・多摩火工廠跡(多摩地域)
・立川陸軍飛行場と周辺(多摩地域)
<北陸・中部エリア>
・エリアの概要
・直江津東京俘虜収容所第四分所跡(新潟)
・立野原監的壕(富山)
・第九師団関連施設(師団司令部・偕行社・兵器庫など)(石川)
・野田山陸軍墓地(石川)
・大島水雷射堡(福井)
・歩兵第三六連隊・第一九連隊(福井)
・歩兵第四九連隊糧秣庫「赤レンガ館」(山梨)
・韮崎七里岩地下壕群(山梨)
・ロタコ(御勅使河原飛行場跡)(山梨)
・山梨県甲州市松里地区・陸軍食糧工場跡(山梨)
・日本焼結株式会社(長野)
・松代大本営地下壕群(長野)
・信州大学内赤レンガ建物(第五〇連隊糧秣庫)(長野)
・里山辺地下壕、中山・大嵩崎半地下工場群(長野)
・松本陸軍墓地(長野)
・長野県内の旧陸軍飛行場(長野)
・里山の民間射撃訓練用監的壕(長野)
・長野県の防空監視哨(長野)
・浜名海兵団(静岡)
・第二海軍技術廠牛尾実験所(静岡)
・陸軍第一技術研究所伊良湖試験場(愛知)
・愛知航空機株式会社瀬戸疎開工場(愛知)
・豊川海軍工廠と関連施設(愛知)
・高射砲第一二四連隊(愛知)
・名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠(岐阜)
<近畿エリア>
京都・兵庫・大阪・滋賀
・エリアの概要
・東山防空地下指揮所・海軍第三火薬廠朝来工場(京都)
・福 知山の歩兵第二〇連隊跡・工兵第一〇大隊跡・海軍福知山航空
・基地跡(京都)
・口丹波の戦争遺跡(京都)
・京都の空襲(京都)
・軍都伏見・第一六師団跡(京都)
・宇治火薬庫・火薬製造所跡(京都)
・軍都姫路・姫路陸軍兵器支廠西倉庫(兵庫)
・旧姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡(兵庫)
・陸軍加古川飛行場(尾上飛行場)跡(兵庫)
・第四師団(中部軍)司令部(大阪)
・高槻地下倉庫(タチソ)(大阪)
・旧真田山陸軍墓地(大阪)
・信太山丘陵周辺の軍事関連施設と信太山忠霊塔(大阪)
・大正飛行場(大阪)
・佐野飛行場(大阪)
・八日市飛行場(滋賀)
・北之庄郷軍八幡射撃場(滋賀)
・大津海軍航空隊跡(滋賀)
・岩脇山機関車避難壕(滋賀)
三重・奈良・和歌山
・エリアの概要
・特攻用飛行場(三重)
・海軍地下工場(三重)
・陸軍本土戦陣地(三重)
・海軍特攻基地(三重)
・大和海軍航空基地(奈良)
・屯鶴峯地下壕(奈良)
・和歌山県の陸軍本土決戦陣地(和歌山)
・和歌山県の海軍特攻基地(和歌山)
・由良要塞(和歌山)
・串本町の戦争遺跡(和歌山)
中国エリア
・エリアの概要
・旧広島陸軍被服支廠倉庫(広島)
・呉海軍墓地(長迫公園)(広島)
・呉市と周辺の戦争遺跡(広島)
・中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)(広島)
・比治山陸軍墓地と平和塔(広島)
・呉 市街地空襲で最多の犠牲者を出した防空壕跡(和庄公園)(広島)
・大久野島の遺跡(広島)
・旧美保海軍航空隊掩体群と宮内防空監視哨(鳥取)
・「チ号演習」関連遺跡(鳥取)
・美保関沖事件水中遺跡群(駆逐艦「蕨」と「葦」)(鳥取)
・旧鳥取歩兵第四〇連隊兵舎(鳥取)
・美保関海軍望楼跡(島根)
・三瓶原演習場遺跡群(島根)
・旧海軍大社基地遺跡群(島根)
・西郷海軍望楼跡(御崎谷遺跡)(島根)
・歩兵第二一連隊関連施設(島根)
・亀島山地下工場(岡山)
・玉島砲台・連島砲台・王島山砲台(岡山)
・第一七師団関連遺構(岡山)
・邑久光明園奉安殿(岡山)
・岡山空襲関連遺構(岡山)
四国エリア
・エリアの概要
・鵜来島砲台跡と防備衛所跡(高知)
・高知の防空監視哨(高知)
・第一三二震洋特攻隊越基地跡(高知)
・高知平野の「本土決戦」陣地跡(高知)
・旧陸軍歩兵第四四連隊弾薬庫・講堂(高知)
・愛媛の防空監視隊(愛媛)
・松山海軍航空基地跡有蓋掩体(愛媛)
・芸予要塞(愛媛)
・海軍佐伯防備隊由良崎防備衛所跡(愛媛)
・善通寺陸軍第一一師団跡(香川)
・詫間海軍航空隊跡(香川)
・丸亀俘虜収容所本願寺塩屋別院(香川)
・陸軍林飛行場跡(香川)
・板東俘虜収容所跡(徳島)
・徳島空襲関連の戦争遺跡(徳島)
九州エリア
・エリアの概要
・下関要塞跡(明治期)(福岡)
・下関要塞跡(昭和期)(福岡)
・小呂島砲台跡(福岡)
・大刀洗飛行場・大刀洗北飛行場(福岡)
・築城航空基地跡(福岡)
・軍都久留米の戦争遺跡(福岡)
・小倉陸軍造兵廠跡(福岡)
・北九州の防空陣地(福岡)
・東京第二陸軍造兵廠曽根製造所(福岡)
・福岡連隊跡(福岡)
・目達原飛行場跡(佐賀)
・長崎原爆遺跡(長崎)
・対馬要塞(長崎)
・壱岐要塞(長崎)
・佐世保要塞(長崎)
・日本遺産を巡るツーリズム(長崎)
・佐世保鎮守府の防空施設群(長崎)
・大村海軍航空隊基地・第二一海軍航空廠(長崎)
・川棚魚雷遠距離発射場とその周辺(長崎)
・陸軍菊池飛行場(熊本)
・熊本市内の陸軍遺跡、歩兵第一三連隊・熊本地方幼年学校(熊本)
・天草および人吉・球磨地域での本土決戦準備(熊本)
・東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所(熊本)
・三菱重工業熊本航空機製作所(熊本)
・宇佐海軍航空隊遺跡群(大分)
・佐伯海軍航空隊跡(大分)
・豊予要塞群跡地(大分)
・人間魚雷「回天」大神訓練基地(大分)
・新田原陸軍航空基地跡・唐瀬原陸軍航空基地跡(宮崎)
・宮崎海軍航空隊基地(宮崎)
・都城西飛行場・東飛行場(宮崎)
・富高海軍航空隊基地跡(宮崎)
・「八紘一宇」の塔(平和の塔)(宮崎)
・知覧飛行場(鹿児島)
・出水海軍航空隊基地(鹿児島)
・大隅半島の海軍飛行場(鹿児島)
・内之浦臨時要塞(鹿児島)
・鹿児島県本土の震洋基地(鹿児島)
・奄美大島要塞跡(鹿児島)
・奄美地方の奉安殿(鹿児島)
・熊本県内の西南戦争遺跡、田原坂など(西南戦争)
・熊本県内の西南戦争遺跡、熊本城(西南戦争)
・大分県内の西南戦争遺跡(西南戦争)
・宮崎県内の西南戦争遺跡(西南戦争)
・鹿児島県内の西南戦争遺跡①(西南戦争)
・鹿児島県内の西南戦争遺跡②(西南戦争)
沖縄エリア
・エリアの概要
・時代区分でたどる戦争遺跡
・沖縄県における戦争遺跡の発掘調査
・第三二軍首里司令部壕の保存・公開とその活用
・復帰後の沖縄における平和学習の展開
【海外編】
・中国に残る日本の戦争遺跡関連
・台湾の戦争遺跡
・韓国に残る日本軍の戦争遺跡
・インドネシアの戦争遺跡
・パプアニューギニアの戦争遺跡
・ガダルカナル島の戦争遺跡
第Ⅲ部 調べる・訪ねるためのデータベース
・指定・登録文化財の件数
・代表的な平和博物館・戦争資料館など
・おもな戦争遺跡保存運動団体
・戦争遺跡の所在地
索引
第92回知恵袋講座
「紀州太地ツアーの報告」
語り手:上田敦子さん・齊藤陽子さん・西木はな子さん
2026年7月30日(木)13:30~16:00
菜の花ホール第1集会室
参加費:会員200円・非会員500円(茶菓子付)
昨年度、当NPOは「和歌山移民研究
を軸とした国際交流事業実行委員会」に参画し、移民史・美術史・水産史をめぐる広域連携の文化庁事業において、日米共同調査やシンポジウム「太平洋まるごと博物館~紀州と房州とカリフォルニア~」などを開催しました。小谷源之助・仲治郎兄弟が率いる房総アワビ漁師らが活躍したモントレーでは、千葉より和歌山の移民のほうが多いことも明らかになりました。展覧会「舫う移民–紀州、房州、モントレーを結ぶ移民」は館山と太地で開催されました。NPOメンバー3名は会期中の太地を訪問し、太地町教育委員会の櫻井敬人学芸員のガイドを受け、多くの学びと深い感銘を得たそうです。有意義な紀行報告をお聞きしましょう。
⇒ 印刷用PDF(No.122)
◆ 文化財講座:旧安房南高校木造校舎の設計者をさぐる
6/27(土)13:30~16:00 館山市コミュニティセンター
講師:小島聡氏
◆ 李政美(いぢょんみ)お寺でコンサート@鋸南
―つながる海 つながるいのち-
◎ 房総アワビ器械潜水士たちの渡米背景をさぐる(1)
~小谷源之助・仲治郎と「金澤屋」の周辺~
文責:愛沢伸雄
◇ 祝!JACL(全米日系アメリカ人市民連盟)モントレー会館 建設100年
◇ 映画『世界一の夕陽と生きる』上映@東京
◇ CUFI(ウガンダ意識向上協会)より支援金のお礼とウガンダの近況報告
(房日新聞 2026.5.13.)-319x400.png)
元高校美術教諭の絵画作家、水上順義さん(78)=鴨川市内浦=の個展が、館山市北条のギャラリーヒロイで開かれている。ドリッピングと呼ばれる技法で描かれた抽象画約70点が展示され、来場者の目を引いている。
水上さんは、東京造形大学絵画科を卒業。美術教諭として長狭高、安房南高、安房高などで指導した。教諭の傍ら、主に絵の具を使用して色、形、線、質感などで平面画を表現する世界を追求し、フランス・リヨンでの個展開催、安房ビエンナーレへの参加など、精力的に活動してきた。 続きを読む »»